0.00 プロローグ
※恋愛です。
親友。字の通り、親しき友と呼ばれる人物。それは沢山いる友人の中でも大抵は一人か二人に絞られた、数少ない選ばれた人間。幼馴染みや彼氏彼女とはまた違う、何をしても許され許せる、そんな歪で特別な存在。
俺こと硲獏はずっとそうだと思っていた。
そう、この日までは――。
「っだら゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「っん゛がぁぁぁぁ!!!」
研ぎ澄まされた暗闇の中、月明かりが薄く照らす神社の境内。振り被った拳が正面から突っ込んで来る一人の馬鹿の頬にまともに入る。メキメキッと骨が軋む音、同時にそれは自分の顔から耳からも直接響き渡った。
「ッグらァァぁぁぁぁぁ!!!」
「っだぁぁぁぁぁ!!」
全力で拳を振り抜き追撃に入る。しかしそれは相手も同じ、こちらに向かって全力で振り被っている。
傍から見れば喧嘩と言うには程遠い、殺し合いとも見える様な戦慄が走る光景――。
周りに見られていたとしても躊躇など一切しない。殺意に駆られた瞳が交差し合い、本気の一撃が何度も何度も互いの顔面や体中に重く入る。
痛みなど感じない。アドレナリンのせいなのか脳は体の危険よりも、目の前に立つ馬鹿に膝を付かせる事を優先させる。
「い゛い゛加減にブッ倒れろや゛ぁ゛!!」
「てめぇがいい加減にしろ゛ぉ゛!!」
声と声が静寂の中響き渡り、それは鉄や鉛が衝突する様に弾き合う。拳は抉れて真っ赤に染め上がり、馬鹿の血なのか俺の血なのかも分からない。学生服のシャツも所々赤黒く染め上がり、この喧嘩の壮絶差を物語っていた。
「う゛ら゛ぁぁぁぁ!!」
約三十分だろうか。何分経ったのか分からないが、ようやく転機が訪れた――。
「ッ!!!!」
右足が馬鹿の横っ腹を確実に捕らえた、血が巻き散らかる地面にやっと跪く。片膝を付き、結ばれた長髪が解けたみっともない姿にゆっくりと殺意を持って近づいていく。
「起きろ!!こっからだ、ぶっ殺してやる」
「っぐぁ…!」
問答無用で馬鹿の胸ぐらを掴み上げる。馬鹿力、普通片手で人間を持ち上げる事なんて出来る訳がない。しかしフィクションの様に軽々と持ち上がる。
「裏切りやがって!!!!」
ボロボロの顔面に血の味がする喉がこれ以上とない程に、死ぬ直前の豚の様な張り裂ける声で叫ぶ。
「このっ!糞野郎!!死ねやぁ!!!」
再び馬鹿の顔面に一発、ニ発と抉れた拳を何度も叩き込む。怒りなのか、それとも悔しさなのか――、自分でも訳のわからない感情が拳に渦巻いている。
「応援してるとか笑って言ってたくせしやがって!!ずっと空きを伺ってたのか?!あぁ?!」
「…っっるせぇ!!テメェこそ俺がどんな気持ちでお前等を見てたかも知らねぇくせして!!裏切ったのはテメェの方だろうがぁ!!!」
胸ぐらを掴んでいた俺の手が叫び声と共に力任せに振り払われた。
「てめぇが死ねぇ!!!」
咄嗟に反応した瞬間、遅かったのか馬鹿のカウンターが鳩尾に抉り込んでくる。
「んぐぁッ…!」
息が吸えない。形勢逆転――、体制が保てなく俺の膝が自然と地面に崩れ落ちていきそうになる。一瞬意識が飛びかけたが、即座に何とか踏ん張り正気を保つ。
「はぁはぁ…、こんな事しても意味ないのは分かってんだろ!!」
ボコボコの顔をした馬鹿も今の一撃が限界だったのか。叫びながら一度後ろに引き、これ以上は追撃が来る様子はなかった。
「…ッカハァ!」
正面から聞こえてくる怒号など聞いてられない。肺に詰まっていた息が血反吐と一緒に戻ってくる。直様再び前に出ようとするが、流石に限界が来ているのか膝が前に出る事を強く拒む。
「はぁはぁ…ックソ!!ックソ!!!おめぇもこうなる事分かっててやったんだろうが!!」
何度も鼓舞する様に太腿を叩き、動かない足より先に口から言葉が出てくる。
「当たりめぇだ!!てめぇが俺に勝てるわけねぇだろ!!」
馬鹿の吼える様な一言に更に怒りが増す。歯が砕ける程に食いしばり、自分の足が拳で折れる程強く何度も殴り続ける。
「俺がお前に負けるって言いたいのかよ…、そんな訳ねぇだろ…、お前に負けた事なんて一度もねぇんだぞ…?」
「は?優等生のふりした馬鹿獏お坊ちゃんが、調子こくんじゃねぇよ。何もかも全てが俺に劣ってんだよ!!」
「…これ以上やるならもう容赦しねぇぞ、糞兎」
「上等だ!徹底的にやってやら゛ぁ!!」
互いの言葉に触発され、動かない筈の足が再び同時に前へ出た。体力も回復する筈がないのに、再び殴り合いの喧嘩が始まろうとする。
「殺してやるよ…、俺様に喧嘩売ったこと後悔させてやる」
狂ったのか、馬鹿の殺気がより増して瞳孔が更に開かれる。そして狂気的な笑顔を浮かべながらこちらに向かってくる。その表情は時折見た事のある、本心で殺し合いを楽しみ始めた姿。
「…やってみろ、てめぇが死ぬまでやりやってやるよ」
――ここから本気の戦いが始まるという気持ちが気合が入れ直される。
「っくははは!!!この腐れ陰キャがよぉ!!!!!」
「うるせぇ!!脳筋馬鹿がぁぁぁ!!」
卑怯なんて関係ない。落ちている大きな石を本気で投げる、砂で目潰しをする、木から圧し折り先端の尖った枝を心臓を狙って刺そうとする。
しかしそれは馬鹿も同じ、殺す気で何でも汚い手段を使ってくる。互いに紙一重で躱しあい、躱し切れないなら致命傷を避けるために違う場所で受けきる。そして何度も体の毒素を吐き出すように罵倒し続けた――
「はぁ、はぁ。本当いい加減にしろや…!」
「ックソ…!視界がわりぃなぁ!!」
意識は朦朧としている。目も腫れているのか、視界がほとんど見えない。馬鹿も産まれたての鹿の様に足をガタつかせながら、倒れないよう内股で姿勢を保つ。
何となくだが分かる、これだけ殺り合い続けたからこそ。きっと次の一撃で決まる。
「これで、終わりだ。そのまま一生見えなくしてやるよ」
「おめぇのその見っともねぇ足を潰してやるよ」
残りの体力を一撃に込める。今まで殴った中でも一番弱い力になるだろう。それでも十分、殴れれば関係ない。ゆっくりと一歩一歩互いに近づいていく。
しかし、それに連れ意識が遠くなりふわふわとした感覚が頭の中で揺れている。
「―――ッ!!」
限界を迎えたつもりじゃなかった。突然、両膝が地面に着いた。
ゆっくりと頭から順番に体が落ちていく。きっとこれが限界という事なのだろう。
負けたくない、最後の方はその気持ちで精一杯だった。この勝負に負けてしまったら、今までやってきた事全てがこの馬鹿に負けたと思ってしまう。一生悔いが残る、そんなのは絶対に嫌だ。落ちていく最後の瞬間、その気持ちだけで目の前を見る。
「…っくそ…っが!!」
そこには惨めに完全に倒れった馬鹿の姿。大口を叩いていたが、出任せだったのだろう。その姿を見て安心したのか、俺も一気に力が抜け落ちていく。
「…ぁ?」
柔らかい何かに支えられる。目を横に向けるとそこにはもう一人の親友の顔が見え、俺を肩で優しく支えていた。
「ごめんね」
幕を閉じる合図が鳴る。小さく苦しそうな声が耳の中に入ってきた。
初めて見る悲しそうな顔にポロポロと涙を流す亜弥を横目で見ながら、薄っすらと残っていた意識は完全に失われていった――。
――そうして約一ヶ月後。俺は病院の廊下を走り抜けていく。目的地は無い。ただひたすら真っ直ぐ、誰もいない場所を求めて。息を切らして軋む体を抑えながら必死に前を向く。
意識を失ってから目を覚ますとベットの上にいた。周りは真っ白の壁、大きな窓とドア。花瓶が置かれた小さな机と椅子が一つ置かれた大きな部屋に、たった一人で一週間も寝ていたらしい。
その時に窓から反射して見えた顔は喧嘩の壮絶さを語る様な傷や痣まみれで、体の所々が大量の包帯に包まれてた。
「っクソ!!」
この入院生活の約一ヶ月間、頭や体が痛む度に喧嘩の記憶が思い出された。
その都度かなりムカついていたがあの時とは違ってアドレナリンが切れ、それよりも痛みの方が酷かった。初日から少しでも動かそうとしたのだが、指先を動かすだけで体中に痛みが走ってそれどころじゃなかった。殺す気でやり合ったが、本当に言葉通りの殺す気――だったかもしれない。
冷静に考えたらヤバい事をしていたと思う、だが反省する気は今でも全く無い。反省するなら最初からやらないし、あそこで手を抜いたら俺が殺されていた。体が動かなかったので仕方なく医者の話を黙って聞いて、体が動くまでは安静に過ごす事にした。
それから数日――、ボロボロの体がやっと動くようになり、再び馬鹿と喧嘩をする為に病院内を血眼で探し回った。しかし、この病院にその馬鹿の姿は何処にも無かった。おかしいと思って受付にいる看護婦に話を聞くと、ここに運ばれて来たのは俺だけだった。
連絡を入れたのはおっとりとした声の女の子、血の海に倒れていたのは俺だけ。もう一つ誰かが倒れていた様な形跡はあったらしいが、引き摺られた様な跡は途中で消えていたと看護婦は言っていた。
その話を聞いて俺の中には二つ穴が空いた様な喪失感が生まれ、その後一つ大きな後悔も生まれた。
一人取り残された俺――。勝ったと思っていたのに、得れる物も残る物も何も無かった。
「はぁはぁ…ちくしょう…!!!」
その後は何回も病院から抜け出して外へ二人を探しに行った。だが行方も分からないのに見つかるはずも無く、宛もなく彷徨い続けてはボロボロになった体を引きずって病院に戻ってきた。何度叱られても、何度体が悲鳴を上げても、何度忘れようとしても――、気づけば体は外へ走り出していた。
日が進む度に考えてしまう、何故こうなってしまったのだろうと。他に解決策は無かったのかと急に考えてしまう。被害者は間違いなく俺の筈なのに、それを考えてしまう事さえも苛ついてしまう。
「っ糞がァァァァ!!!!」
誰もいない病院の屋上まで走り、誰に向けてかも分からない何かを晴らす様に何度も空へ叫んだ。
そんな事をしても無駄だと分かっていたけど、それでも叫ばないといけなかった。何故か二人にもう二度と会えない、そんな気がして仕方がない。取り返しの付かない事をしてしまったと後悔してしまう。間違いなく勝ったのは俺なのに――、涙が頬に流れていく。
――高校に復帰した初日、改めて俺は小さな頃からの親友を二人無くしてしまった事に気づく事になる。
しかしその事を切っ掛けに知る事や気づく事も増え、そして一人の転校生を切っ掛けに俺に関わる全員の日常に変化をもたらした。
空いた穴はゆっくり、ゆっくりと回復していく。しかしその穴は最初に埋まっていたモノとは違うモノが埋め込まれていく。それもまた悲しいのか、それとも喜びなのかは誰にも分からない。でも確実に言える事はこれが青春だと言う事。
血塗られた世界は洗い流される様に綺麗な別世界へ変貌する。終わりを迎えた俺達の歪な青春が新たな始まりを告げる。
カクヨムに掲載されている内容までは毎日投稿させて頂きます。