書簡2(前編):メイドのミヤゲは15歳
親愛なるお母様へ
ごめんなさい、昨日の手紙に「発毛薬は、目的部分以外に絶対につけないように」という注意を書かなかったのは私の落ち度です。今日送った脱毛薬をお父様の手のひらに塗ってあげてください。
お母様に聞かれて書くのを忘れていた事に気がつきましたが、新しい領主様がこの村に来たのは今から1節気くらい前のことです。あの日の朝、私は物見櫓の警戒鐘が叩き鳴らされる音で目が覚めました。
「龍だ、龍が出たぞぅ」
という叫びを聞いて、女子供は領主館の床下にある待避穴に大慌てでもぐりこみました。ゴブリンやオークならともかく、村の戦闘職が力を合わせても撃退できるのはせいぜい豪傑熊までです。龍種が相手では、全員で立ち向かっても時間稼ぎにすらならないでしょう。
この村には勇者様に連絡する手段など用意されてはいません。もしあったとしても絶対に間に合いません。
ああ、私達は今日ここで命を落とすのだ、村の者達が前の領主様にあんな事をしたから、ばちが当たってこの村は滅ぶのだ、私は真っ暗な待避穴の中でそう思いながら尻尾を膨らませて震えていました。
しばらくすると上のほうから鈍い地響きと、聞いたことのない恐ろしげな鳴き声が伝わってきました。私達は息をひそめて暗闇の中で身動きもせずにじっとしていました。それがどれほどの時間だったのかよく判りません。
やがて物音が聞こえなくなって静かになりました。それでも皆、怖くて誰一人動こうとはしませんでした。
そうしていたら誰かが近づいてくる気配がして、入り口の鉄蓋がコンコンと叩かれました。そして
「大丈夫か、みんな無事か」
と家令のエンガワさんの声が聞こえました。
私が、大丈夫です、龍はどうなったんですか、と聞くと
「とりあえず中にかけた鍵を開けて出てきてくれ。村人全員を集めろと言われた」
とエンガワさんが答えました。
領主様がいなくなった今、村の責任者はエンガワさんのはずです。いったい誰に「言われた」というのでしょう。
穴からはいだして領主館の外に出た私達は、エンガワさんが黙ったまま指さす方向を見て息が止まるほど驚きました。お祭り広場に、雪のように真っ白い大きな龍が体を伏せていたからです。
その白い背中に腰をおろして、おどおどした落ち着かない様子で周囲を見回している黒い貴族服の男のヒトがいました。それが王都からはるばるこの村までやってきた新しい領主様でした。
白い龍の足下には白い魔道士服の若い女のヒトと、異国風の青い服を着た女の子が立っていました。女のヒトは優しそうな表情ながらも、魔道士の杖を握りしめて周囲を警戒しておられるご様子です。一方で女の子のほうは妙に堂々としたご様子で、私達の姿をご覧になると
「これで全員か」
とエンガワさんにお聞きになりました。
「村を留守にしている者を除いて、この集落にいる者はここに全員集めました」
とエンガワさんが答えると、女の子は満足そうにうなずいて、収納空間から初代勇者様の紋章がついた印籠(訳者注:携帯用の薬入れ)をお取り出しになって、村の者達にお見せになられました。
「この紋所をしかと見よ。ここにおわす御方こそ、このほど勇者代行たる将軍様よりご下命をさずかってこの地へとおもむいた新しきご領主様、ヤマダ・タイチロー準男爵閣下にあらせられる。皆の者、頭が高い、ひかえおろう」
とおっしゃいながら「威圧」のスキルをお放ちになられました。
女の子のものとは思えぬ強大な魔力の波動を浴びて、私達はとてつもない恐怖を感じました。子供が火球をくらったように泣き出し、ある者は恐ろしさのあまり吐き、またある者は失禁しながら平伏しました。私も尻尾を逆立てながら急いで地面に顎をこすりつけました。
しばらくすると
「もう良い。面を上げい」
という声が聞こえたので恐る恐る顔をあげると、女の子はドヤ顔で龍の背中にいる領主様を見上げておられました。領主様はおたおたと慌てた様子で、どういう顔をしたら良いのかわからないという様子でした。
「これよりこの村の者共は、一人残らず領主様の下僕である。命令に逆らった者は龍の餌にする。口答えはいっさい許さぬ。しかと心得えよ」
と女の子に告げられて、あー、これはとんでもない領主様が来たなと思いました。
3代前の領主様のように子供の生き肝を肝刺しにして食べたり、皆の毛皮を剥いで外套を作ったりするような精神的にアレな貴族様が中央から追放されて辺境流しにされてきたのならば、こちらもそれなりの対応をさせていただくしかありません。
私は領主様の鼻の穴を眺めながら、あそこから奥まで爪を突き入れて、そのまま脳味噌をかき混ぜれば私でも倒せるかな? などと考えておりました。
(続く)