2話:時間を止められる男は実在した!
「ほっ、ほっ、ほっ!」
「はひっ、はひぃ、はひぃっ」
「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ!」
「はひぃ、ひぃ、ひぃっ、ひぃぃ」
「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ!」
「ひぃ、ひぃっ、ひぃぃっ、ひぎぃぃぃぃぃぃ!」
「ほっ、ほっ――どうした?」
「ひぃ、ひぃっ、ど、どっ、どうしたもこうしたもッ……なんであたし迄アンタと一緒に海の上走らなきゃいけないのよォーッ!」
「俺の傍に居たいから、では駄目なのか?」
アズライグル海峡を、その海面を勇者と女神が全力疾走。
一体全体、どういう状況なわけ、コレは?
舟を漕いでも、気球を飛ばしても、勿論、泳いでだって渡れない海。それが“不渡の海”アズライグル海峡。
なのに――
なんであたし、勇者と併走してるわけ?しかも、海の上を。
わけ分かんない!
―――時は遡る
海は時化、上空も荒れている――なので、決して渡れない。それがアズライグル海峡。
その海峡を、こいつは歩いて渡る、と云い出した。
まだ、魔術とかスキルでどうこうする、ってなら話も分かる。勿論、そんな事したって、どうにもならないんだけど。
突然、異世界に召喚されたんだから、その類の摩訶不可思議パワーでどうにか攻略法を模索したいってんなら、まだ、可愛げがある。
だけど、さ――
踏み出した足が海に沈む前にもう片方の足を突き出し、これを繰り返して浮力を保つって。
それ、一体、どこのビックリ人間なわけ?
あたしが呼び出したのは勇者であって、見世物小屋の奇人変人じゃないっつーの!
もう、完全にイカれてる――
――終わった~、あたしの救世主伝説、終わったわ~。
なけなしの聖召石叩いて引いた召喚なのに、これ、完全にババ掴まされた。
う~ん――どうやって、言い訳しよう……
「どうした、ラヴ? 不安そうな顔をして」
「……そりゃそうよ。そんな訳の分からないアイデアでこの不渡の海を渡るつもりって云われたら」
「ああ、それならこれをごらん」
そう云うと、風雅は左腕を胸元に掲げる。
その手首には、金属の腕輪が嵌められている。外側には硝子が嵌め込まれた小さな円形の奇妙な勲章の様なものが取り付けられいる。
小円盾と呼ぶには余りにも小さ過ぎるそれの意匠は精緻を極め、装身具と呼ぶには精妙過ぎる。
「風雅、それなに?」
「これは時を刻むもの――時計、という機巧だ」
「……時計?」
「このナグルマンティとは違う別の異世界の聖神器の一つで、とある女神より授かった至宝。名を【十三使徒】。俺の“権能”の触媒だ」
「至宝?? 権能??」
――えっ?
なにそれ? 女神のあたしですら初耳なんですけど!
ニュアンス的には、凄いアイテムとスキルを保有している、みたいな感じだとは思うんだけど、今一つ実感が湧かない。
「え~と、――その至宝とか権能とかってのがさ? 不渡の海渡るのとどう関係するわけ?」
「オーケー! この時計の秒針、細長い針の事だ。これを見てごらん」
「うん? あー、うんうん、ちょっとずつ動いてるね」
「そうだ。この秒針から決して目を離すなよ?」
「え? うん、分かった」
なに? なんなの?
なにをする気なの?
「秒針が、この長い針が一番上に来た時、俺の権能を見せてやろう」
「……うん」
「あと5秒、だ」
「うん」
「4、……」
「……」
「3、……」
「……」
「2、……」
「……」
「1、……」
「……」
「 」
「…………――、あれ?」
!?――
――いない!
消えた!
風雅が目の前から消えちゃった!
えっ!?えっ!?
どういうこと?どーゆーことなのッ!!?
辺りをきょろきょろとしていると、唐突に後ろから声が。
――「ラヴ、俺は君の後ろにいるよ」、と。
え?――
――「俺はいつだって君の傍にいるよ」。
なにごと?
振り返るとそこには風雅の姿が。
「こ、これは……一体、なにをしたの?」
「第壹の権能<時閒停止>。簡単に云えば、時を止める力」
「えっ! えっ!!? す、すっ、すっっっごォーーーい!! そんな凄いスキルを瞬間的に使えるって、あたし達神々にもいないよォー!!!」
「そうなのか? そこ迄驚いてくれるのなら、披露したかいがあった、というわけだな。
尤も、実際には俺が知覚できる範囲のものを静止させているだけだ。万物を停止させているわけではない」
「……?? ちょっと、よく分からないです」
なんかよく分からないけど、こんな凄い魔法?術?技?みたいなの使えるって、やっぱこいつ、本当は凄いのかも?
只のアホじゃなくて良かった!召喚してラッキー!
――あれ?
でも、今の力がアズライグル海峡渡るのと、どう関係するわけ?
「えっと~、すっごい能力だってのは分かったんだけど、これと海渡るのってどんな関係があるの?」
「――ああ、海に着けば分かる」
―――時は戻る
ざぱ~ん――
アズライグル海峡、その波打ち際上空、崖の上。
寒々しく、荒々しく、どことなく暗い不吉な印象の海が一面に広がる。
魔王の居城がある向こう岸は翳んではっきりとは見えない。
陸伝いより海峡を越えた方が遙かに近道とはいえ、海峡である事に代わりはない。荒天と時化を差っ引いたとしても、かなりの距離がある。
「ここが不渡の海、アズライグル海峡よ。それで一体、どうするつもり」
「まず、権能の力を発揮させる範囲と効果を絞る」
「うんうん、それから?」
「海を渡る」
「うんうん――って! だからー、それをどーやってすんの、って話!」
「こうする」
徐に、ぴょん、と跳ねる風雅。
一瞬で姿が消える。
崖下に落下。
「!!? ……ちょっ! ちょっとーーッ!!!」
焦って崖下を覗き込むと、まるで水墨画にでも描いたかの様な荒々しい高波が、凍った訳でもなく固体化されている。いや、固定、なのかな?
その高波の上に颯爽と立つ風雅が手招きをする。
「ラヴ、こっちに来いよ」
「……そ、それってどーなってんの??」
「周辺の時を止めている。なので、沈まない」
――時を止める。
時を止める、ってこんな事できるの?
海を、波を、水そのものの流れを、止めちゃってる訳?
凄い!
凄いけど、なんであたしは動けるの?
「俺が認識し、意識さえすれば時閒停止の対象下にも対象外にもできる。今は分かり易く広範囲を静止させ、君を対象外にしている。
実際に渡る時には、俺と君、二人の周辺だけでいい」
ちょっと、コレ、本格的に凄い能力なんじゃないの?
この勇者、当たり、なんじゃないの!!
「さあ、こっちに来い。飛び降りろ。俺が、受け止めてやる」
両手を広げ、あたしを見る眼差し。
ヤダ……
――カッコいい!
よ~し!飛び降りちゃうよ!その厚い胸板目掛けて、跳び込んじゃうよ。ついでに、抱き締めちゃうぞ!
どうりゃっ!!!――
助走をつけ、勢い良く、崖から跳び込む。
近付く。風雅に、そのイケメンに。
あー、ほんと、こいつ、かっこいい。
どさくさ紛れにチューしちゃおっかな~?
うん、しちゃおう!
いや、しちゃうネッ!!
スイッ……――
えっ!!?
よ、避けた……
――どぼん!
「ちょ、ちょっ、ちょっとーーッ! なんで、避けるのよ~! あと、なんであたし、海に沈んじゃうのよー! ゴボゴボッ」
「――すまない。あまりにも見事な飛び降りだったんで無意識に躱してしまった。海に沈むのは、時止めの対象外の儘だから」
「だったら早く助けなさいよ! あたし、金槌なの! 泳げないのよー! ゴボ、ゴボッゴボッ」
腕を引かれ、抱き抱え上げられ、海面に下ろされると、風雅と同じように立つ事ができた。
浮力を得ている訳ではなく、固い大地の上に立つのと感覚は同じ。不安定さは微塵もなく安定している。
これなら確かに、歩く事ができる。
「さあ、走るぞ」
「えっ!? 走る?」
「走れば日が暮れる前には向こう岸に辿り着ける筈だ」
「えー!? 今日中に渡りきるつもりなの!? 近道できるんだから、そんなに急がなくても……」
風雅は振り返り様、にこやかに笑みを浮かべ、
「保たない」、と。
「なにが?なにが保たないの?」
「集中力が、だ」
「集中力? なんの? なんの集中力が保たないの?」
「時止めの、だ」
「……――あ、ああっ!」
先に云ってよ、そーいう事は!
当然といえば当然よね。魔術やスキルだって持続時間的なものあるし、抑々体力だって限界があるもの。
時を止める、なんて出鱈目な力を永続的に発揮出来る筈もない。
「俺から離れるなのよ」
「え??」
「集中力を保たせる為、効果と適用範囲を絞っている。俺から離れれば――」
「離れれば?」
「――海の藻屑となる」
ヤダー!
こんな冷たい海の上で死にたくない!
いや、女神だから死なないけど、溺れて沈んで汚い水鱈腹飲んで海底で永遠の時を過ごすとか、死ぬよりも怖ろしいんですけどー!
「よーし、向こう岸迄、競走だ!」
「なんで競走すんのよ!」
「その方が本気になれるだろ?」
「なんで本気にならなきゃいけないのよ!」
「――本気になった女性は、美しい。きっと、君も。無論、俺も」
……――やっぱり、こいつ、
アホなのかも――