お仕事開始!
「すっごい」
舞台の裏に出たところでメリーが横に並んだ。
「どうやったの。ねえ、どうやったの」
「お前にゃ分かんねえよ」
しっしっと手で追い払うがメリーは気にも留めなかった。
「あんなに大きな団長さんがびゅんっ、て飛ばされてたよ? かなり飛ばされてたよ? すごいなー、コースケってほんとに強かったんだね」
熱のこもった口調で言われて正直悪い気はしない。
「まあ本気を出せばこんぐらいはな。じいちゃんよりは弱かったし。余裕」
「おじいちゃん?」
「鬼のように強い人。それでいて誰よりも優しいっつーか懐の深い人だった」
「ふうん」
メリーは首をかしげてからにこりと笑った。
「いつかトマさんにも勝てるといいね」
「いつかじゃなくてもう勝てる」
ムッとして言い返すと、メリーは「そろそろ行こうか」とこちらの手を取った。
「? どこに」
「お仕事」
そのまま小走りで走り出す彼女に引っ張られるようにして、孝介も足を踏み出した。
舞台の賑やかさを背後に置き去りにする。途中で劇団員の一人に声をかけられるが一言、
「ちょっとトイレ借りてきまーす!」
と、呼び止める隙を与えず走り抜けた。
舞台ではまだ演目を行っていて人々は皆そちらに意識をとられている。人気のない広い庭を通り抜けて、屋敷の方へと回り込んだ。
月明かりの下を一緒に走っていると少し不思議な気分になった。メリーの衣装の飾りがちらりと光を反射する。なんだか寂しいような、いらいらするような。舞台で踊るメリーの姿を思い出した。
建物の陰に入り込んだところで足を止めた。
「さぁて、お仕事開始だね!」
「なあ」
使用人用の勝手口だろうか、扉にとびつくメリーの背中に声をかける。
「なあ、メリー」
「あれ?」
きょとんと声を上げる彼女の手の中で、扉の取っ手が動いた。開いている。
「やったラッキー!」
「ちょっと待てって!」
再三のこちらの呼びかけに答えることなくメリーは扉の隙間から中に滑り込んだ。
孝介は漏れてくる薄明かりを見つめながら、出どころの分からない嫌な味を奥歯にかみしめた。
よくわからないが気に入らない、そう思った。
「コースケ、はーやく」
ちょいちょいと手招きを追いかけて扉をくぐる。
「なあって」
「こっちかな」
入った先は詰め所のような小部屋で、奥にもう一つ扉がある。メリーの背中がその向こうに消えた。
「なあおい! 待てって!」
「しーっ。気づかれちゃうよ」
戻ってきたその腕を捕まえる。
「え。なに?」
「無視すんな。ちゃんと聞け」
「無視なんかしてないよ。早くしないと時間が無くなっちゃうと思って」
だがこちらと目を合わせようとはしない。そわそわと落ち着きなく視線をさまよわせている。
孝介はため息をついてゆっくりと言った。
「戻ろう」
メリーの瞳が揺れた。
「やだよ」
その身体が逃げようと一歩を退くが、孝介はその腕を放さなかった。
「……なんで?」
「お前だって本当は分かってるんじゃないか?」
ようやく真っ直ぐこちらを見上げた目を見つめながら孝介は続ける。
「よく考えろ、お前のいるべきところはクソったれのコソ泥組合なのか? お前を中途半端に切り捨てる冷血ギルドなのか?」
「当たり前じゃん。変なこと言わないでよ」
「何が当たり前なんだ? お前には選択肢はないっていうのか? 選べるだろ。違うか?」
「何が言いたいの!」
とうとう怒声を上げて彼女はこちらの手を振り払った。その時普段ののんびり顔の奥に隠れた本当の顔が見えた気がした。
「わたしは大トビのメリーだよ! 天才美少女怪盗なの! その他には何もないの!」
「踊りは? あんなに楽しそうに踊れるのに?」
怒りに力んだメリーの肩から、ふっと緊張が抜けた。
「戻ろうぜ。お前は劇団でもやっていける。汚い仕事なんてやらなくても十分生きていけるよ」
「汚い仕事……?」
弱弱しい声に孝介はうなずいた。
「無理して続ける必要なんかない」
「じゃあ君には分からないよ」
その声はどこかぼんやりとしていて、だがはっきりと耳に響いた。
はっと気づいた時にはメリーの姿はなかった。
「待てってば!」
扉をくぐった先は広いホールだった。暗さではっきりとは分からないがおそらくは四方にある出入り口から屋敷の各所に行けるのだろう。
「メリー!」
見回す。だが奇妙だった。彼女の気配がない。
「……メリー?」
静寂の中でわずかにうめき声が聞こえた。
はっとそちらに向けた目が、光に射られた。
「……!?」
またたく間にホールが光で満たされていく。目がくらんで何も見えない。
「まあ、こうも上手くいくとむしろ面白みがないな」
聞き覚えのある声だった。
少しずつ回復していく視界に、犬頭の警官が映った。
いや、狼頭。
(ダグズ……とか言ったっけ)
その膝がメリーを踏みつぶすように背中から押さえつけている。
彼女の首に触れながらダグズはこちらににらみを利かせた。
「抵抗はしない方がいいぞ。手加減は苦手でな」
孝介は、手がじっとりと汗ばむのを意識した。




