初舞台
劇団の仕事は予想以上に過酷だった。
一日中屋敷から屋敷へと移動を続けてひっきりなしにパフォーマンスをこなす。孝介たちは表には出ないものの、その手伝いに雑用にと走り回っていた。
「新入り、今ハケた奴に水持ってけ!」
「仮舞台の用意できた!? って小道具配ってないじゃない!」
「役者の髪飾りが見つからないぃ……? よく探せ阿呆!」
一息つく暇もなく奔走する。
「新入りぃ!」
「はーい!」
半ばやけくそに叫び返す。
「わたしにアイス持ってきて。あとジュースとタオルとそれからケーキ」
「……」
馬鹿を張り倒していると時間はあっという間に過ぎていった。
日も傾いてきて夕方。団長が全員に告げた。
「今日は次で最後だ。皆お疲れ。だが、だからといって気を抜かないように」
「はーい!」
一人大きく返事するメリーを横目でにらむ。
「さっすが一人サボってた奴は元気だな」
「サボってないよー。温存してただけだよー」
「……温存?」
「仕事はこれからだからね」
こっそり耳打ちしてからメリーは荷車を押す手に力を込めた。
◆◇◆
豚面警官たちが見えてきたところでようやく孝介はピンと来た。
後ろを見るとにやりと笑うメリーの顔がある。
「えへへー。見直した?」
ため息をついて前を向く。
視線の先には例の屋敷がある。その門では短いやり取りを経て警官たちが道をあけるところだった。
団長に続いて次々と入り口をくぐる。
つまりこうやって関門をくぐってしまおうということだったのだろう。馬鹿のようで意外と抜け目がない。
呆気なく侵入できてしまったことに若干拍子抜けしながら、孝介は列に続いた。
「……?」
ふと視線を感じて目を上げる。
「どうしたの?」
「いや」
豚警官の背中から目を戻して首を振った。
(気のせい、か)
何やら鋭い気配を感じた気がしたのだが。
荷車押しに集中を戻しながらも、孝介はなかなか気味の悪さを拭い取ることができずにいた。
しかし、団長に呼びつけられてそれもすぐ吹き飛ぶことになる。
「俺たちを舞台に立たせる!?」
「やったー!」
隣で歓声を上げるメリーを指さしながら聞く。
「こんなんにですか? 本気ですか? っていうか正気ですか?」
屋敷前の広いスペースには夜の気配が忍び寄り始めていた。林立する樹木に取り付けられた丸い物体の光に照らされて、顔面の陰影を一層深くした団長がうなずいた。
「意識は極めて明瞭だ」
「むしろ別の意味で不安になりましたけど……」
「君たちのこれからを考えるならば早いうちに見世物に慣れておいた方がいい。それだけの話だ」
「……」
これからその気配りを裏切らなければならないことを思い出して心が痛んだ。
「でも……そうは言ったって無謀すぎますよ。俺たちに何ができるっていうんです」
「一理あるな。とりあえずお前は踊ってこい」
指さされてメリーが小躍りする。
「了解です! ポジションはセンターですか!? それともソロ!?」
「先輩らの後ろで真似ろ」
「……ちぇー」
ぶーたれ顔で引っ込んでいく背中を横目に孝介は口を開いた。
「俺は?」
「わたしと演武を行ってもらう」
「演武?」
「後で説明する」
それだけを告げて行ってしまう。屋敷の主人に挨拶に行くとさきほど言っていたのでその件だろう。団員の一人について舞いのリハーサルに加わっているメリーを見やりながら、孝介は頭をかいた。
時は過ぎ、日が暮れて。微風の吹く中で準備は整った。広場には簡易の小舞台。白い明かりに照らされてその周りに屋敷の人々。警官らしき鋭い目つきをした者も混じっているのが見て分かる。
そしてその中央、舞台を眺めるのに一番良い位置にいるのがこの館の主だろう。恰幅の良い体にたっぷりと肉のついた丸い顔。整ったあごひげを撫でつけながらにこにこと劇団を眺めていた。
空気が静まって、開始の運びとなる。
団長の一礼に、主が軽く手を上げて立ち上がる。
「劇団の皆、今夜はよく来てくれた。どうか諸君の技芸でわたしの傷心をいやしてほしい」
「この館に昨日窃盗犯が入ったらしい。大層心を乱されたとのことだ。心を込めて各自の技を披露するように」
団長が軽く付け加えて下がった。メリーの方へ目をやると、ちょうど彼女と目があった。
そして同時に笛の音が軽快に吹き鳴らされる。あふれ出したいくつもの音色が、幾重にも絡まり合って空へと消えていく。
打楽器が演奏に加わるのに合わせて、舞い手たちが舞台へと進み出た。メリーはその最後尾だ。そしてさりげなくそれぞれの立ち位置につくやいなや、軽やかなステップと共にスカートをひるがえした。
流れるような足運びと共に整然と、しかししなやかに場所を入れ替える。衣装の装飾が目まぐるしく輝き、舞い手のターンに合わせて光の粒があたりに飛び散る。
今回は演者なので、舞台袖からゆっくりと舞いを見る時間があった。最初は単純にそのレベルの高さに圧倒されていたが、だんだんと不安になった。
(あいつ、大丈夫かな)
メリーはすぐに見つかった。一番後ろの列にいる。そして明らかに一人だけ動きがぎこちない。ステップはワンテンポ遅れるしターンのキレは弱めだ。多少ふらつく。見ていてかなり不安になる舞いだった。
(でも……言うほど悪目立ちしてないな)
舞い手の数が多いというのもある。衣装の飾りが大きく、動きがダイナミックなので粗が見えにくいというのもまああるだろう。だがそれよりも、彼女の表情の方が多分重要だった。とても楽しそうなのだ。
「あヨイショ!」
実際に聞こえたわけではない。メリーの口がそういう形に動いただけだ。にこにこ笑いながら彼女はズレた振りを舞っていく。初舞台の怯えはない。むしろただただこの空間を楽しんでいる。それが下手な舞いを違和感のないものにしているのだ。
「驚いたな」
いつの間にか隣に来ていた団長がぼそりとつぶやいた。
「あれはいい舞い手になる」
「……どうですかね」
孝介は小さく肩をすくめた。
「あいつは」
その時楽器の大きく響いた。舞い手たちがぴしりと最後を決めて、拍手が鳴り始めた。
その中で孝介は「ただの盗っ人ですよ」と言いかけた言葉をのみ込んだ。
舞いが終わり、劇が終わり、その次の奏楽も終わった。
次は演武の部だったが、孝介はその内容をまだ知らされていなかった。
「特にはない」
「は?」
団長を見上げてぽかんと口を開ける。
「適当に行く。決まった流れはない」
「て、きとう?」
そのまま舞台に出ていこうとする彼を引き留める。
「馬鹿言わないでください、そんなんでできるわけないでしょう……!」
「そうか? わたしたちはいつもそうやっているが」
「俺は初舞台ですよ!?」
「お前の相方もそうやった。違うか?」
もう行くぞ。団長はそう言って舞台に出た。それに引っ張られる形で孝介も袖から出る。
観客は思ったより多くはなかった。だがその圧力は思ったより強かった。唾を飲みむ。着せられている演武着のきつさを意識する。
舞台中央で団長と並んで礼。それから互いに礼。
団長は、すっ、と足を肩幅に開いた。両手を前に差し伸べるようにして、同時に重心をわずかに下げる。右足を半歩下げ、そして半身を切った。
仕方なく孝介も真似をして構える。足の裏の落ち着かなさを意識した。
睨みあうこと数秒。
「ふっ……!」
流れるような動きで団長が踏み込んできた。突きこまれる拳を慌てて後ろに避ける。
しかし。
「ッ……!?」
胸に衝撃を受けて孝介は転がった。
訳の分からないまま苦悶の息を漏らす。なぜ当たった? 確かに避けたはずなのに。
見上げる視界で、団長が拳を解いた。観客から感嘆の声が上がる。それから拍手も。
「意外と脆いな」
こちらにだけ聞こえる声量で団長が言う。
「それなりに期待はしていたんだが」
「そうは言われましても」
裾を手ではたきながら孝介は立ち上がる。
「こんな小僧に何を期待されますやら」
少し、カチンと来た。
自分を馬鹿にしていいのは祖父だけだ。
「シッ――!」
鋭い呼気と共に再び団長が踏み込んでくる。太い腕が鞭のように飛んでくる。後ろによけようにも攻撃が深い。潜るように避けた孝介の頬を、切り返すように飛んできた爪が浅くえぐった。
なるほど見事な体捌きだ。踏み込みの深さを任意のタイミングで自由自在に変えられるバランス感覚はこちらの間合いを狂わせる。
先ほどの避けたはずなのに命中した拳もこの身体操作を用いたものだったのだろう。
「コースケ……!」
遠くに聞こえたのはメリーの声だろうか。
さらに一撃二撃を足さばきでかわし……無防備になった相手の腕を取りに触れたところで。
孝介は衝撃に突き飛ばされた。
受け身を取って立ち上がるも追撃が再び胴の中心をえぐり、思わず無防備になった顎を抜けるような一撃が貫いた。
舞台の端から端まで転がって、孝介は沈黙した。
「……まあこんなところか」
ため息が聞こえる。
「どれだけの腕かと思えばひどい期待外れだったな。それなりにはよくやったが。とにかくご苦労だった」
たんっ、と。
孝介は軽やかに起き上がった。
「ご冗談。あと一手だけご指南を」
「お前……!」
ダメージは全く入っていない。まだまだ余裕で戦える。
団長は視線を鋭くした。
「遊びじゃないんだぞ」
「適当にって言ったのは誰です?」
「次も無事にすむと思うなという忠告だ」
「へえ」
孝介は構えを変えた。
右手を前にした半身、やや後ろの重心。懐を深く、力はゆるく。天へ伸びる力と地へ沈む重さ。
「楽しみです」
団長は少し驚いたようだった。
あらためて構えようとするその瞬間――
「はッ!!」
孝介の裂帛の気合が空間を貫いた。
ほんの少し、ほんの一瞬だが団長の意識に隙間ができるのを孝介は見逃さない。するりと踏み込み、威力のある手刀を眼球めがけて撃ち放つ。
相手は当然防御しようとするが、それは既に計算済み。ぶつかる直前、わずかに触れたところで孝介は力の方向を変化させる。
接触点からの感覚、中国武術で言うところの聴勁を用いて探った相手の不均衡、そこをめがけて力をわずかに作用させた。
「くっ!」
団長がほんのかすかによろめく。
孝介はその隙を狙ってその懐に滑り込む。
相手は苦し紛れに掌底を放つがむしろ逆効果だ。
孝介はそっとその手に触れてひねった。
団長の体が宙を舞った。
重い音が響く。
床面が揺れる。
孝介は止まらずに踏み込むと、起き上がろうとした団長の顔面の前に拳を突き付け、その動きを制した。
沈黙。
拍手はなかった。
孝介は拳を引いて、静かに礼をした。




