ナメたことは考えるな
「お婆ちゃん、これどうかな!?」
「ああ、悪くないよ。さっさと続けな」
元気な声と面倒くさそうな返事。
それでも十分満足だったのか、メリーは歓声を上げてこっちに駆け寄ってくる。
「コースケ、聞いた? 悪くないって。ほら!」
目の前に広げられたシャツには確かにしわひとつない。
「すごく頑張ったよー。襟のこの部分とかめちゃくちゃ丁寧に伸ばしたんだから」
「ああすごいな。恐れ入ったよ。マジ半端ねえ」
「やったーありがと!」
「分かったら早く行け」
「うん!」
自分の作業台に戻るメリーをため息まじりに眺める。
今日でもう一週間。何も収穫はない。お宝の在処も、その手がかりもつかめていない。
というよりその隙がないといった方が近いか。ミアノはこちらを厳しく監督していたし単独で外に出るときには奥の扉に錠をしていた。
結果、任務の達成は近づかないまま、ただアイロン待ち衣類の残量だけが減っている。
(これじゃあ埒が明かねえな……)
横目で見やる先ではミアノが何やら布の寸法を測っている。
うっすらと浮かぶ焦りと共に畳んだ衣服を持ち上げた。
「終わったっすよ」
ミアノの作業台に下ろして踵を返す。
気づけば向こうにある残りの服もわずかになっていた。あともうひと踏ん張りで終わるだろう。
「待ちな」
「え?」
振り向いた鼻先に衣類の山が突き出された。
「…………これは?」
訳が分からず訊ねると、ミアノは冷たい目で答えた。
「やり直し。全然なっとらん」
唖然として山を見下ろす。
「これ全部?」
見たところ今までアイロンがけしてきた分ほぼ全てだ。
「チェックした。その結果、駄目だった」
「は!? ちょっと待ってくださいよ! おかしいでしょいまさら!」
「うるさい、いいからさっさとやり直せ。時間がもったいないだろうが」
「いやいやいい加減なこと言わないでくださいよ、どこが駄目だったっつーんですか!」
「ここ、ここ、そこ。それからそことここもだ。まさか全部言わせるつもりじゃないだろうね?」
服を広げて次々指さす先、確かにしわやよれが残ってしまっている。
言葉に詰まる孝介の前にミアノが立ち上がった。
「いいかい、あんたにとってはくだらないことに思えるだろうけどね、これは仕事だ。命と金をかけて行うだけの価値ある大事な作業なんだ。いい加減な構えでやるのは許されん。やる気がないなら出て行けともう何度も言っている」
「……大袈裟っすよ」
「そうだね」
ミアノは意外にも素直にうなずいた。
「あんたのようないい加減な奴にとってはそうかもしれないね」
「な……!」
「いや、あんたも根は真面目なんだろう。それは分かる。でもこれはサボってもいいことだから、仕方のないことだからと逃げてるんだ。あんたはきっといつもそうやって物事に取り組んでいるんだろう? そんな態度でしっかりとした成果が出せるなんて、ナメたこと考えるんじゃないよ」
大事な部分をぐさりと刺されて、孝介は言葉を失った。
ミアノの静かな視線の前にどうしようもなく立ち尽くす。
「何を、根拠に……」
「あんたの仕事だ。あんたのそのどうしようもなくだらけた仕事だ」
「……」
そんなものは根拠にならない。
そう思うのに、なぜかそれ以上言い返せない。
「あのぅ、わたしの割り当て分が終わったんだけど……」
重い沈黙を破ったのはメリーの声だった。
「ああお疲れさま」
ミアノは何事もなかったかのように衣類を受け取った。
「ええとその、どうかなお婆ちゃん」
「ああ、いい仕事だよ。悪くない。誰かさんとは大違いだね」
渡された衣類をあらためてから、こちらを睨んで顎をしゃくる。
「あんたはさっさと作業に戻りな」
メリーの気づかわしげな視線が目に入った。
無言で席に戻る背中に声が届く。
「よし、メリー。終わったのなら次の作業を手伝ってもらうよ」
「次の作業?」
「近々祭りがあるだろう? それに向けて新しく売る服をこしらえるんだ。その手伝いを頼みたい」
「新しい服!? すごい! いいの?」
今の気まずい空気をもう忘れたかのようにメリーは声を弾ませる。
「あんたは熱心で作業が丁寧だしね。きっといい仕事をしてくれると思ってるよ」
「うん、がんばる!」
孝介は一人アイロンを握った。
◆◇◆
その夕方は、一人早く帰された。
酒場へと向かう足が重い。夕焼けがやけに寂しく見えた。
「どうしたんだい、なんだか元気がないみたいだけど」
マスターはグラスを拭きながら言った。
「そういえばメリーちゃんがいないね? 振られた?」
「……別に」
頬杖を突きながら手元のコップを揺らす。
マスターはこちらの憂鬱を察したか、それ以上は何も言ってはこない。
波打つ炭酸の水面を見るともなく見つめていると、今日のミアノの言葉が耳によみがえってきた。
『そんな態度でしっかりとした成果が出せるなんて、ナメたこと考えるんじゃないよ』
コップを持つ指に力がこもる。
あの言葉は予想よりもはるかに重たかった。ミアノは知らずに言ったのだろうが、それは孝介の痛いところをきっちりと突きこんでいたからだ。
自分は、大事な祖父の教えに背き、その上そのことからも現在進行形で目を背け続けている。それを思い知らされた。
「くっそ……」
もうずいぶんと盗っ人稼業に手を染めた。正しさとは遠く離れたところにやってきた。あの世の祖父もさぞかし激怒していることだろう。
だがそれよりも、いやもちろんそれも大事なことではあるのだが、しかしなあなあで自分を甘やかしてしまったことの方がずっと心に痛かった。
「…………」
酒場はいつも通りにぎやかで、すぐ近くで喧嘩騒ぎも起きていたが、何だか遠い場所の出来事のように思える。イガイガした気分にいたたまれなくなって、孝介はうなるように声を上げた。
「マスター、なんかいい気分になれるのください」
「ええ……?」
「お願いします」
「うーん、君はそういうのかなり弱そうだから気は進まないんだけどなあ……」
そう言いながらも琥珀色の液体が入ったグラスを持ってきてくれる。
孝介はそれを受け取って、一気に飲み干した。
胸を流れ落ちる熱を感じながら突き返す。
「もう一杯」
「……わたしは知らないからね?」
面倒見きれないといった様子のマスターがボトルを取りに奥へと消える。
酔いはすぐに回ってきた。頭がぼうっとしてきて平衡感覚が怪しくなる。ゆったりと大きな揺れに、苛立ちがまぎれて消えていく。
だがそのはずなのに妙に心が沈んで仕方がなかった。
「あー、くそ……くっそ……」
「ずいぶんといい感じに出来上がってやすね?」
「……?」
いきなりの声にカウンターから顔をはがす。
隣の席に見覚えのある顔がある。
孝介は即座に左の裏拳を放った。
「っと。あぶな」
ふにゃふにゃな一発を軽くかわした男は、椅子から転げかけていた孝介をつかんで支える。
「お前ぇ、二度と顔を見せるなって言っただろ……!」
早くもろれつが回らなくなってきた舌で恫喝すると、その男、逆棘は「へへへ」と媚びるような笑いを漏らした。
「いやあそれが、コースケの兄貴のお手伝いができるんじゃないかなあなんて思いましてね?」
「手伝い……?」
「ええ、エメクのお宝を手に入れるための、ちょっとしたお手伝いっすよ。俺たちの助力があれば、あんなババアの下で地味なタダ働きせずに済みますよ?」
「……」
「もう好き放題言われっぱなしは嫌でしょ? いい話だと思いますけどねえ」
こちらの迷いと沈黙を肯定と取ったか、逆棘は出入り口の扉を指さした。
「よしじゃあ兄貴、こんなところじゃなくてもうちょっとゆっくり話の出来るところに行きましょうや」
意識にもやがかかってぼんやりと閉じていく。
ナメたこと考えるんじゃないよ。
ミアノの言葉が頭に響いた。




