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この盗っ人拳法を牛(美少女怪盗)に捧ぐ  作者: 左内
第三章 大怪盗エメク
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トマ・エメク

「『根絶やし』、大怪盗エメク」


 アイロンを右から左へ。


「『大トビの辣腕補佐』、トマさん」


 左から右へ。


「エメク。トマさん。エメク。トマさん。エメク、トマさん……」


 左、右、左、右、左、右……

 アイロンがけと言葉を何度か繰り返してからメリーはようやく手を止めた。


「どういうこと? トマさんは大怪盗エメクだったの?」

「俺が知るか」


 早々にアイロンを放り出していた孝介は伸びをしながら答えた。


「マスターが言うにはそうらしいけどな。どうせろくでもない事情があんだろ。そもそもが世間様に顔向けできないようなギルドだし、どいつがどんな脛の傷持ってようと俺は驚かねえよ」


 昨夜のマスターの言葉を思い出す。


 え? ああ、トマさんは昔、『根絶やし』の大怪盗として活動していた時期があったんだよ。ここいらでは有名な話さ。証明できる人はいないけどね。なんで怪盗をやめたかって、そんなの知らないよ。きっと誰も知らないんじゃないかな。ほら、本人も無口で話したがらないし――


 孝介はううむと眉を寄せた。


「っていうかあいつが訳アリじゃないわけがないんだよな普通に考えて……」

「む。さも自分は無関係って顔してるけど、今はコースケも大トビの一員なんだからね?」

「俺は一時的。完全にセーフ」

「なにそれずるい! ならわたしもセーフ!」

「駄目。アウト」

「やだよ! やだー!」


 詰め寄ってくるメリーを、頬杖で押さえつけてため息をつく。


「だいたい自ら進んで盗っ人集団に飛び込んだ奴がアウトじゃないわけないだろ」

「ううう……」

「まあ何にしろトマの野郎は足取りがつかめねえわけだし、この情報が役に立つかどうかは微妙だな」


 肘をどけるとメリーが起き上がってアイロンを手にした。


「そろそろ続きやらない? お婆ちゃんが怒るよ」

「ああまあ、気が向いたら」

「またそんなこと言って。わたしだけじゃ終わんないのに」

「今はやらんけど。そのうちな。そのうち……」


 ふと窓の方が気になって目をやる。

 嵌め殺しのそれは、汚れによってほぼ向こうが見えなくなってしまって向こうの明るさがわずかに分かるのみだ。

 孝介の目は、その中に何かが動いたのを認めた。何かが映り込んでいるようだ。孝介とメリー、それからその背後に……

 じっと目を凝らした後、ピンと来て振り返る。


「っと!?」


 飛んできたハンガーが、受け止めた手の中でビィンッと震えた。


「何だ一体――」


 じゅっ。

 無防備になっていた額に猛烈な痛みが弾ける。


「あつぁッッ――――!?」


 焼かれた皮膚を押さえて、孝介は悲鳴を上げた。


「コースケ!?」


 慌てふためくメリーの声。

 何者かが襲ってきた? そんな考えが頭をよぎる。あり得なくはない。この任務は争奪戦だ。


(ちィッ――!)


 あまりに油断しすぎていた。

 思わず閉じてしまっていた目を意志の力でこじ開ける。

 敵の位置を探るため、感覚の網を周囲に投射した。

 捕捉し次第一撃で障害を排除するために。第六感の先端を尖らせる。


(見つけた!)


 空間の広さ、雑多な障害物、メリーのやわい気配。それらを除いて残った最後の殺気。

 孝介は歓喜の声を上げて敵の中心に拳を――


「馬鹿もんが」


 ごん、と綺麗に膝を払われて、孝介は椅子に沈んだ。

 呆然と硬直し、数秒後には何とか立ち直る。

 視界には冷たい目で見下ろしてくる老女の顔があった。


「サボって雑談とはなかなかにいいご身分じゃないかい」

「てめえかクソババアああぁぁぁぁッ!!」


 つかみかかろうにも額と膝を押さえて手はふさがっている。

 代わりにかみ殺す勢いで孝介は怒声を上げた。


「人を焼いたり殴ったり、それでもあんたの商売道具かよ!」

「あんたが仕事に集中しないのが悪い。わたしだってあんたみたいなゴミの掃除を愛しい相棒にさせるのなんて嫌だったんだけどね」

「なら普通に口で言えばいいだろ! 口で!」

「わたしにはこういう教え方しかできん」

「何カッコつけてんだ大嘘つきババア!」


 と、ここで流石に息切れして言葉を切る。

 ミアノは深呼吸するこちらを神妙な顔で見下ろして、ぽつりと言った。


「あんたさっきから口が悪いねえ……」

「あ?」

「食いしばりな」


 じゅっ。

 再び傷みにのたうつ孝介の横を器用にすり抜けてミアノはため息をついたようだった。


「どうしたことだい全然ノルマが進んでないじゃないか」

「あ、えと、ごめんねお婆ちゃん、ちょっと手間取っちゃってて……」

「ふん。おおかたあっちのガキが怠慢決め込んでたんだろう?」

「あはは……」

「……おや?」

「え、何?」


 ようやく身を起こした孝介の視線の先で、ミアノはぽんとメリーの肩を叩いた。


「なかなか悪くないね。そのまま続けな」


 驚く牛娘の脇を抜けて店の出口へと向かう。


「わたしはちょっと買い物に行ってくるよ」

「あ……うん。行ってらっしゃい」


 一旦は出て行ったミアノだったが、すぐにまた戸口から顔をのぞかせた。


「そういえばさっきトマの奴の話をしてなかったかい?」

「……知ってるのか?」


 ぶっきらぼうに返すがミアノの尖った視線を受けて「知ってるんすか」と言い直す。

 ミアノは嫌そうに目を細めたが、とりあえずはこだわらずに言葉を続けた。


「まあ知ってるよ。昔うちで働いてた」

「トマさんが?」

「ああ。不器用で怠けもんだったが、長続きはした。今はどこにいるのやら」


 店に沈黙が落ちる。店をうずめる無数の服が音を吸う。

 だが彼女はすぐに現実に帰ってきた。


「けどあれは根っこが悪人だよ。グズグズに腐ってやがる。ああいう風になったら人はおしまいだね。特にあんたは気をつけな」

「え?」

「あんたはあのバカに似てる」


 店の戸が閉まった。


「……なぁんか気になること言い残しやがって」


 我に返って孝介は肩の緊張をほぐした。


「それにしてもトマがここで働いてたなんてな。あまり似合うとも思えねえけど。一体どういうつもりで……って、おい」

「え? 何?」


 アイロンがけの続きに取り掛かりながらメリーが返事した。


「いや、何やってんだ?」

「お仕事」

「なんで?」

「なんでって……」


 彼女は顔をこちらに向けてへらりと笑った。


「なんか、褒められちゃったし」

「……あーそー」


 いろいろと馬鹿らしくなって、孝介は椅子に体重をかけた。

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