店の老女
窓をのぞくとちょうど老女が掛けてある服の形を整えているところだった。
それなりに歳はいっているように見えるが、背筋はしゃんとして腰も曲がっていない。所作には全くよどみがなく、てきぱきと作業を終わらせたと思ったらもう次の作業に移っている。仕事は相当に速いようだ。
店に客はいない。たまたま今はいないだけかもしれないが、あるいは客が入っていることの方が珍しいのかもしれない。店の質素なたたずまいにはそれを確信してしまうような説得力があった。
人知れず懸命に働いている老女と表現すると何かもの悲しい雰囲気がただよう。だが、ことこの老女に至ってはそういった感傷とは無縁に思えた。
いかめしい表情。鋭い眼光。自分の仕事に誇りを持ち、働くことを当然とする職人の顔。自分がどう思われるかよりも自分のなすべきことをより大事にする、そういった者の目つきだった。
「……で」
孝介は口を開いた。
「あの婆さんが大怪盗の財宝を持ってるのか?」
「はひ……そう聞いております……」
くぐもった声で答えたのは先ほどの男、『逆棘』だ。顔中を腫らして先刻までの威勢のよさは見る影もない。
「ついさっきリタの姉御から全ギルドメンバーに通達があって……あのババアから誰よりも先に財宝をかすめとった奴に昇進の権利をやるって」
「全メンバーに? 間違いないのか?」
「え? ええ。確かにそう言ってましたけど……」
孝介は腕を組んだ。
大怪盗エメクの財宝盗みは自分たちに割り振られた任務のはずだった。その報酬としてトマへの挑戦権が与えられる約束である。だが他の全ギルドメンバーにも同じ任務が下されているらしい。破格の報酬付きで。しかも争奪戦。
「これの意味するところは……」
頭に浮かんだ恐ろしい想像を、メリーが言葉で形にした。
「リーダーの趣味じゃないかなぁ」
「クソがッ!」
思わず漏れた悪態に逆棘がびくりと怯える。
「あの女狐! 絶対俺をおちょくってやがる! わざわざ、任務の難度を上げて! そんなに人の邪魔をして楽しいか!?」
「あの……腕振り回さないで……硬いとこ当たって痛い……」
逆棘がしくしく泣いているが気にしている余裕はない。乱れた息を整えてびしりと通りの向こうを指さす。
「行け」
「え?」
「さっさと行け! もう二度とここには来るな!」
「はひィッ!」
ほうぼうの体で逃げていく男の背中を眺めながら静かにつぶやく。
「よし、競合相手一人脱落」
「ちゃっかりしてるね」
「まあな」
さて、と店に改めて向き直った。割と大声で騒いでいたのだが老女が顔をのぞかせる気配はなかった。
「どうしたもんかね」
「とりあえず入ってみるしかないんじゃない? 財宝がどんなものかもわからないし誰かに先を越されるのもまずいよ」
「それもそうだな」
うなずいてドアに手をかけた。
営業中の札が小さく揺れた。
◆◇◆
「いらっしゃい」
戸をくぐると無愛想な声がした。
老女はカウンターの向こうに座って何やら編み物をしているようだ。ちらりと横目でこちらを見ると、後は興味もなさそうに視線を外した。
「ずいぶん癖のありそうな人だね」
メリーがひそひそと言う。
「カバルさんとちょっと似てるかも」
店内を見回す。小さなコンビニほどの広さで、外観からの想像よりはやや大きい。所狭しと服が掛けられ詰まれしているので雰囲気は下町の古本屋といったところだが。
掃除は行き届いているようでほこりや汚れは目につかない。傷みは入っているが味わいのある老舗の印象だった。
とはいえそんなことはどうでもいい。大事なのは一つだけだ。
「……財宝はどこにあるんだ?」
『根絶やし』と言われるほどの大怪盗が盗んだ数々の貴重品、その総額は莫大なものに違いない。どんなにコンパクト化を図ったところでこの小さな店に隠せるようには思えなかった。
「奥の倉庫の中とか?」
「ここより広いってことはないだろ」
「地下に続いてるんだよ多分」
「可能性はなくはねえけど」
顔をしかめて床をこつこつと蹴る。
「そんな大工事、周りに怪しまれずにできたのか?」
「できないよねえ……」
ふと気づくと老女がこちらを睨むように見ていた。怪しまれたか。
メリーを肘でつつく。
彼女は察して服を物色するフリを始めた。そのまま内緒話を続ける。
「換金してたらいくらかは小さくまとまるんじゃない?」
「宝石とかか?」
「この店だったら服の中に隠せるものかもしれないね」
「服か……」
服にとりつける飾り、糸に織り込む金や銀、そのものが高価な糸や布。
どれもまああり得なくはない程度の可能性ではあるが。
「ああーッ!!」
突如メリーが絶叫の声を上げた。
慌てて振り向く。
「コースケ、これ……これ……!」
彼女が手にしているのは薄紅色のドレスだった。詳しくない孝介にもそれに使われている生地が上質なものであることが分かる。襟元やスカートのフリル飾りなども主張は激しくないが作りが丁寧で上品だ。
「まさか……メリー、それが?」
「うん、間違いないよ」
メリーがうなずく。その手がわずかに震えている。
真剣な視線をドレスに注いだまま彼女は重々しく言った。
「これすごくかわいい」
孝介は無言でその頭をぶっ叩いた。
「いたーい! 何するの!」
「任務遂行の支障は即刻排除」
「いいじゃん少しくらい! わたしだってオシャレしたいよ!」
「うるさい、したいならいくらでもしろ! ただし仕事が終わってからだ!」
ひとしきり怒鳴ってから振り向いてぎょっとした。
カウンターにいたはずの老女がすぐそこにいたからだ。全く気配を感じなかった。
「お前たち、そのドレスを買うのかい?」
「え? いや、その……」
言葉に妙な圧を感じて口ごもる。
「買うのかい?」
「わたしは欲しいなって――」
「いいえ買いません」
しゃしゃり出ようとしたメリーを背後に押し込んで首を振る。
老女は鼻を鳴らして眉間にしわを寄せた。
「その方がいいだろうね。その娘っ子には似合わんよ」
「そ、そんなぁ……」
「お前のような下品な身体つきのガキが着ることは想定しとらんでね」
「下品……」
しぼむメリーに構わず老女はこちらに視線を向けた。
「で、何をお探しで?」
「え?」
「えじゃないよ、何か探しに来たんだろうが」
一瞬財宝探しがバレたかと思ったがすぐにそうでないことに気づく。
「あ……あー、特にこれってものを探しに来たってわけじゃなくて」
「服屋に服探しに来ないで何しに来るんだい」
「なんとなく寄ってみようかなって?」
「冷やかしはお断りなんだがね」
ただ話しているだけなのになぜだか追い込まれていくのを感じた。
老女の視線が険しくなる。眼鏡の位置を直しながら彼女はゆっくりと口を開いた。
「お前たち、一体――」
その声が終わる前に。
店のドアが音を立てて開いた。
「!?」
相当な轟音だ。ドアが壊れるほどの。というか壊れている。戸口の向こうの人影の手に、ドアの残骸が握られていた。
「ここがぁ……大怪盗エメクのぉ――」
低い声と共に大柄も大柄なその巨体が店内に侵入してくる。
角の生えたブルドッグのような顔をしたその大男は、ゆっくりと周囲に視線を巡らせて言葉を言い切った。
「宝物庫かぁ」
舌打ちが聞こえた。
振り向くと、老女がいつの間にかほうきを手に大男のところに近づいていくところだった。
「まったく今日は一体どうなってるんだろうね。よくわからん連中が次から次へと」
「ちょ、ちょっと」
孝介は思わず呼び止めた。
「何するつもりですか」
「ここはわたしの店だ。商売に邪魔なもんは当然追いだすよ」
言うなりほうきを振り上げて大男の頭に振り下ろす。景気のいい音が鳴り響いた。
「……」
大男が黙り込む。老女も様子をうかがったまま動かない。沈黙。
だが。
「!」
男が似合わぬ素早さで腕を振るった。老女がまともに受けて吹き飛ぶ――その前に。孝介は間に入ってその手を受け止めていた。
「っつぅ……」
衝撃と痛みに涙が浮かぶ。
「あれ……? ババアがガキになった? あれ?」
「うるせえぶっ飛べ!!」
混乱しているその顔に拳を叩き込んで外に弾き出す。
男は外に倒れると、意識を失ったのかいびきをたて始めた。
息を整えながら振り向くと、驚いた顔の老女とそれを支えるメリー。
さてここからどう説明すべきかと、孝介は頭を悩ませた。




