怪盗にできること
『歌姫誘拐未遂か』
街で手に入れた新聞には、そんな言葉がでかでかと載っていた。
「一昨日の夜の公演の後、歌姫の姿が忽然と消えた。大規模な捜索が行われたが見つからず、二日後の朝になってようやく発見。大きな怪我などはないものの、衰弱状態のため詳しい事情の聞き取りは見送られた。警察は計画的かつ組織的な犯行とみて捜査を進めている」
読みあげてちらりと視線を上げた。
「……」
いつも通り酒場はうるさいが、聞こえてないということはないはずだった。それでもメリーは頬杖をついたまま何も言わない。テーブルの上に力ない視線を落としてじっと黙り込んでいた。
「なんやかんやあったけど、すっかり落ち着くところに落ち着いたって感じだな」
新聞を畳んでテーブルに放る。
「終わってしまえば、まあこんなもんか」
拍子抜けと言えば拍子抜けだ。あれだけ苦労したのは一体何だったのかという気分にもなる。まったく骨折り損だった、と頬に貼ったガーゼを撫でた。
だが一方でも思う。不理解は物事に深くかかわらないままにそれを押し流す性質があるのだからこうなるのも当然なのかもしれないと。知ろうともしてもらえないことは、埋もれていく運命なのだ。
「……これでいいのかな」
メリーがぽつりとつぶやく。
孝介は肩をすくめた。
「いいも何もどうしようもねえだろ。団長があんなだし」
「そうだけど……そうだけどさ」
メリーはしばらく言葉を探していたようだったが、そのまままた黙り込んでうつむいた。
孝介もまた口をつぐんでグラスに手を伸ばす。指先で触れたまま持ち上げずに、じっと物思いに沈んだ。
『カバルの馬鹿っ!!』
『言っても分からんことは、言わないに限る。それだけのことだ』
二人の言葉が頭によみがえる。
それぞれが耳の奥で反響して、交わらない不快な音を奏でた。
「団長さんはなんであんな言い方をしたんだろ」
「迷惑だったんだろ。現にそう言ってたし」
「また会えてうれしかったのに?」
「うれしかったらあんなことは言わねえよ」
「違うよ。うれしかったのはホントだよ」
どうして。そう聞こうとして彼女の目の真剣さに気づいた。彼女がその目で言うことは絶対に外れない。最近学んだことだ。
言葉を変える。
「うれしいのに邪険にした理由か……」
「照れ隠し?」
「ねえよ。どんだけ不器用だよ」
呆れて視線をカウンター席の方にやった時、客にアイラのサインを見せびらかしているマスターの姿が目に入った。
ふと思い出す。
「そういやあいつの親って事故で死んでるんだっけ」
「アイラちゃんのお母さんたち?」
「団長が言ってただろ、その後に今の劇団に移籍したんだって」
団長は他人事のように話していたが、あれは間違いなく自分の劇団での出来事だったはずだ。
つまりこうなる。
「アイラの両親はカバル小劇団の事故で死に、それからあいつは今の大劇団に譲られた……ってことか」
メリーがはっと表情を変える。
「団長さんは責任を感じてるってこと?」
「可能性はあるな」
「責任を感じてるから会いたくないの?」
「そ、それは分かんねえよ」
乗り出してきた彼女にのけ反る。
しかしメリーは気にせずに言葉を重ねた。
「お願い教えて。わたし馬鹿だから一番大事なところは分かんないから」
「……」
それは嘘だと思った。一番大事なことは彼女が一番知っている。実際その勘は大したものだ。
だが、確かに二人でないと分からないこともあるのかもしれなかった。
「もしアイラの両親の死に団長が責任を感じているとすれば、アイラに会いづらいのは確かだと思う。罪悪感で再会を喜ぶどころじゃないだろうな。それどころか自分がそんな幸せにあずかる資格はないとすら考えるかもしれない」
「アイラちゃんを悲しませても?」
「そういう時、男ってのは自分を汚物と考えるもんなんだよ。悲しませても触れさせない方がいい、ってな具合に」
「……何だかよく分からないよ」
メリーがうなだれる。
「会えてうれしいならそれでいいじゃない。相手を悲しませるぐらいなら罪悪感ぐらいどうでもいいじゃない。おかしいよ、そんなの」
分からないでもないことだったが孝介は首を振った。
「何にしろ俺たちが口を挟めることじゃないってこった。任務は終わった」
できることはもう何もない。後は当人たちの問題だ。盗っ人の出る幕ではない。怪盗はおせっかいはしない。
「……」
だが、と思いつく。
「あの歌をもう聞けないとなると、困るな」
メリーが顔を持ち上げた。
怪盗はおせっかいはしない。
しかし、自分のやりたいことはするかもしれない。




