酒場にて
「お兄さん、これをどこで手に入れた?」
「どこでって……」
しばし考えて答える。
「道端で」
「……」
それは歩き続けた末に辿り着いた酒場でのことだった。孝介はカウンターでマスターと話をしていた。
そこを飲み屋や居酒屋ではなく酒場と表現したのは、それ以外に言いようがなかったからだ。
年季の入った木造の屋内。掃除は欠かしていないようだがそれでも汚れのシミが浮いた床。壁には色あせた新聞記事らしき紙片があり、若干黄色がかった照明の下、幾人もの客がビアジョッキをあおっては豪快な笑い声を上げている。
(絶対現代日本の風景じゃないよなあ……)
海外の、しかも割と時代をさかのぼった下町のような、と言えば近いだろうか。客たちにしたってどう見ても日本人ではない。というか人間ですらないかもしれない。
緑髪と紅く光る眼をした女がいる。その隣にはワニ頭の男がいる。それをふざけてどついたのは尖った耳の優男だ。大きく揺れたテーブルの上では、羽を生やした身長二十センチほどの少女が怒りのキーキー声を上げていた。
「妖精が珍しいかい? 彼女らはあまり数が多くないからね」
「あ、はあ……」
マスターの声に曖昧に返事する。何と言っていいものか分からない。目の前のマスターからして白シャツとベストを着た大ダコ、ないしは火星人のような外見なのだからことはさらに複雑だ。
「それで何だったか。道に迷ったと言ったかね?」
「まあ、そんなとこです」
「君の家は?」
「つくしケ丘。そんな遠いはずはないんですが」
「つくし……聞いたことがないな」
「ですよね」
情報を求めていたのだが、さほど期待はしていなかった。死後の世界ではないらしいもののどうやら普通でないことが起きているのは間違いなさそうだ。
「力になれなくてすまないね」
「いえ……」
それでもやはり落胆をぬぐえずに孝介はその何かを指先で転がした。先ほど拾ったものだ。親指の爪ほどの大きさのそれは、きらきらと輝くまるで宝石のような小石だった。まさか値打ち物ではないだろうが、それでも見た目が気に入って持ってきてしまった。
「あまり粗末に扱わないほうがいい。安易に人目にさらすのもやめておけ」
マスターの声に顔を上げる。
「それは値打ち物だ。わたしの記憶が確かならね」
「値打ち物が道端に落ちているわけないでしょう」
「確かに難しいところだな。常識と奇遇の殴り合いは」
「殴り合いですか」
「どちらもが自己を主張し合って譲らないなら必然的にそうなる」
「そういうもんですかね……まあ気を付けます」
ため息をついて立ち上がる。
「じゃあ俺はそろそろ行きますよ。ありがとうございました」
「おや、もうかい? 何かご馳走しようと思っていたところだが」
「いいです。金、ないですし」
「しかし君は困っている。困っている者は助けるのがこの『青の岬』の街の住人だ」
「お気持ちだけもらっときます」
踵を返した孝介の手を、マスターのひんやりとした触手が引き留めた。
「まあ待ちたまえ。わたしでは心許ないかい?」
「別にそういうわけじゃ」
「いや、確かにわたし自身も頼りないと思う。だから君を助けてくれるもっと確かな人にことを預けることにしよう」
「もっと確かな人?」
疑わしく眉を寄せる。
マスターは大きくうなずいた。
「この街のかっさらいたち。暗躍のシーフギルド。その長だ」
「シーフ……盗っ人?」
その時酒場の扉が大きな音を立てて開いた。
「皆動くな! 静かにしろ!」
そう叫んだのは開け放たれた入り口に立った狼頭の男だ。屋内を隙なく見渡すその後ろにも二人、部下らしき男たちがいる。
「いいか、全員そのまま座ってろ。黙って従え」
一人に出入り口を塞がせて、彼はこちらへと近づいてきた。三人一律の制服を身につけているところを見ると警察かなにかのようだが。
「下がって」
そうささやいてからマスターは狼男に声をかけた。
「何の用ですかねダグズの旦那」
「お前にいちいち説明すると思うか、吹き溜まりのハエが」
「うちはちゃんと許可取ってやってますよ。後ろ暗いことなど一つもない」
「何も言うな。大したことじゃない、すぐ終わらせて出ていくから安心しろ」
切れ長の鋭い目がぼけっと立っていた孝介を捉えた。
「……お前は? 見ない顔だな」
「彼は新顔だ。知らなくて当然でしょう。あまりこの店の第一印象を落とさないでくれますかね」
マスターはかばってくれようとしたのだろう。だが狼男の手がそれを制した。
「名前は?」
「上原、孝介」
「カミハ……? 変わった名だな。どこの者だ」
「その、つくしケ丘っすけど」
「……どこなんだそこは」
その目が不審の色を強くする。ただでさえの大柄に威圧感が増して、孝介は知らずのうちに後ずさりしていた。
しかし目にもとまらぬ速さで腕を掴まれる。
「お前、何を持っている!」
「痛っ!」
こちらの手から小石をもぎ取って、狼男は勝ち誇った声を上げた。
「これだ、間違いない」
「な、なんなんすか?」
「説明は不要だ。少し話を聞きくから一緒に来てもらおうか」
掴まれたままの腕を乱暴に引かれ、孝介は悲鳴を上げた。
「いや、ちょっと待ってって、さすがに少しくらいは説明してもらわないと」
「何度も言わせるな、必要ない。そもそも事情はお前の方がよく知っているだろう?」
「そんな訳!」
その時頭をよぎったのはあの怪しい少女だった。
怪盗と言っていた。お屋敷とやらから出てきた。何か盗んだのだろう。そしてこの綺麗な小石だ。
「…………そんな訳ないでしょう」
「急に心がないな」
「待ってくれ、事情は分からないがちと強引すぎやしないかね。彼にももっと配慮をしてもらえると助かるんだが」
マスターが食い下がってくれるが狼は鼻を鳴らしただけで気にも留めなかったようだ。
(……くそっ)
ここからの事態の好転は望めないと知り、孝介は小さく舌打ちした。視線を素早くあたりに飛ばす。
相手は三人。その三人ともが相当に腕が立つ。そして、その中でも目の前の狼男が最も強い。まともにやり合えば勝ち目はないだろう……が、幸いにして相手は油断し切っている。その上ほぼ密着状態だ。
やれるかどうかは微妙なところだった。それでも無抵抗についていくという選択はこの状況では問題外だろう。
孝介は静かに覚悟を固めた。
(……よし)
行動に入ろうとしたその時だった。
「あ」
マスターのつぶやきに、一瞬気が逸れた。
「ああああーっ、いたーっ!」
そして、次に聞こえたのは少女の叫び声だった。




