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この盗っ人拳法を牛(美少女怪盗)に捧ぐ  作者: 左内
第二章 歌姫アイラ
15/43

ありがとう

 歌姫来訪が近づくにつれて街はさらに騒がしくなった。巨人族がせかせかと資材を運び、会場となる海岸の公園にステージなどが組み立てられていく。他にも街にいくつかある広場も、それに合わせた祭典の準備をしている。


 人々の話題はもっぱら歌姫のことだ。どこへ行ってもそのことばかり聞こえてくる。道行く者は皆一様にわくわくと興奮に満ちた顔をしていた。誰もが天使の歌声を心待ちにしているのだ。

 その楽しげな空気の中で、ただ一人面白くなさそうな顔をしている者がいた。


「むうううぅぅぅ…………っ」


 オープンカフェのテーブルに突っ伏してメリーが口をとがらせていた。

 頼んだミルクやチーズケーキやヨーグルトにも手を付けず、ただただ不機嫌にうなり声を上げている。

 手には件のチラシ。未練がましくそれを覗き込みながら彼女は何度目かもわからないため息をついた。


「はぁ……」


 呆れた目で見下ろしながら孝介はコーヒーに口をつける。


「そろそろ切り替えろよみっともない」


 メリーの目がちろりとこちらを見上げる。何か言い返してくるかと思えば特に何もなく、また視線を落として深いため息をつく。テーブルの木目を指でいじるメリーの指。


「行きたかったなあ……直に聴きたかったなあ……ああ、仕事がなかったらなあ……」


 うぜえ。

 忍耐の字を頭に浮かべながら孝介は喉まででかかった言葉をぐっと呑み込んだ。こめかみを押さえながらそれよりはもう少し建設的な案を提示する。


「だったら仕事はなしにしようぜ。やりたくないならやらなくていいだろこんなもん」

「でもすっぽかして怒られるのヤダし……」

「なら割り切れ仕事しろ」

「でも聴きに行きたい……」

「うぜえ」


 結局毒づいてから背もたれに体重を預けた。

 まあどうせグダグダやっていても仕事はするのだろうと思えた。まだ付き合いは浅いが、この少女が自分に割り当てられた作業をおろそかにする人間でないことは何となく分かっていた。


「……」


 それに対して自分はどうだろうとふと思った。

 祖父のきつい戒めがありながら結局なし崩し的にそれを破り、これからさらに悪事に手を染めようとしている。

 メリーとそう変わりはしない。いや、むしろ悩んでいなかった分もっと悪いかもしれない。

 そう思うとなんだか気分が重くなった。


「はぁ……」


 二人分のため息が重なって、空気を薄く濁らせた。


「ずいぶん景気が悪いな」

「え?」


 いきなりの声に顔を上げる。

 威圧感のある巨躯がそこにある。


「団長」


 劇団長は小さくうなずいて首をかしげるようにした。


「今いいか?」

「あ、はい」


 何となく姿勢を正して椅子をすすめる。

 だが団長は首を振って、それから二片の紙切れを懐から取り出した。

 こちらに差し出されたそれを見下ろす。


「なんですかこれ?」

「チケットだ」

「それは見ればわかりますけど」

「これがあれば歌姫の歌を最も近い場所で聴ける、と言えば分かるか?」

「特等席のチケット!?」


 ほとんど悲鳴のような声を上げたのはメリーだ。

 わなわなと震えながら団長に詰め寄る。


「そ、そ、そ、それ……それ!」

「ああ、お前たちにやる」

「やったー!」


 チケットを手に狂喜乱舞を始める彼女を横目に孝介は団長に訊ねた。


「なんでですか?」

「劇団筋から手に入った」

「それだけじゃなくて」

「どうせわたしたちにはいらんものだ。近々この街から出ていくからな。準備で忙しい」

「え?」


 驚いて見上げる先で彼はつまらなそうに肩をすくめた。


「別に大した理由はない。たまには場所を移してみるのも必要だと思っただけだ」

「……」

「最後に恋の相談にのってもらって、その礼にとでも思ったがその気もなくなった」

「どうしてです?」

「どうしてだろうな。まあ、言ってもどうせわからんさ」


 さっぱりとした諦めの口調。

 その時、ようやく孝介にも彼の顔に浮かぶ寂しさの色が見えた気がした。


「では、また縁があれば」


 背を向けて去っていく団長を無言で見送る。

 横で踊るメリーは全く気付いていない様子でくるくるとつま先スピンを始めていた。





◆◇◆





 歌姫来訪当日。夕方。予定された仕事の三時間前。

 広い公園をぐるりと柵で囲った会場には、すでにたくさんの人々が詰めかけていた。


「なあ、本当に行くのか?」


 横のメリーに念押しする。

 彼女は迷いなくうなずいた。


「団長さんがせっかくわたしたちのために取ってくれたチケットだもん。無駄にはできないよ」

「別に俺たちのために取ったわけじゃないけどな」

「そーれーでーも。こんな機会めったにないもん!」

「仕事は?」

「大丈夫! 少しぐらい遅れても!」


 孝介は心の中で彼女に対する認識を修正した。確かに彼女は自分に割り当てられた役目は投げ出さない。

 ただし完璧な形でやり遂げるわけでもない。


「まあ別にいいけども……」


 メリーに引っ張られるようにして会場のゲートをくぐると、ゆるく下る傾斜の先の広場に大きなステージが設営されていた。

 高く広い割には簡素な作りだ。背後には海が開けており、見えにくいが崖になっているのだろう。


「ほら、あそこだよ特等席!」


 メリーが嬉しそうに指をさす。ステージを半円状に取り囲むように客席が設置されているのが見える。

 数は目算で百人分ほどしかない。他の金を出せない者は離れた立ち見で我慢しろということらしい。


「まあずいぶんなことで」

「その分責任もって楽しまないとね!」


 不思議な考え方をするなと孝介はメリーをしみじみと眺めた。

 いつも通りの黒づくめの格好だが、歌を聴きに行くんだからと下はしゃれたスカートで、健康的な白いふくらはぎがまぶしく感じた。

 席について待つこと小一時間。


「どんな歌なんだろうね!」


 メリーはそわそわと落ち着かない。


「さあ……歌は歌だろ」

「でも天使の歌声だよ? 『本当の意味での歌』だよ?」

「それ言ったのあの狂信者のマスターだし」

「うわあ楽しみだなー!」

「聞いてねえし」


 うんざりと顔をしかめていると。


「ありがとうねコースケ」

「うん?」


 いやに神妙な声だった。

 目を向けると、メリーは真っ直ぐこちらを見つめていた。


「コースケのおかげで前の仕事は上手くいった。コースケのおかげでギルドをやめずにすんだ。コースケのおかげで歌姫の歌が聴ける」

「……チケットは俺のおかげじゃない」

「そうかな。そうかも。でもね、問題はそこじゃなくて、わたしがすごくありがとうって思ってるってこと。だから、ありがとう」

「……」


 言葉を失って見つめ合う。

 ふんわりと笑うメリーから目が離せなくなり、不思議な時間が二人の間を流れた。

 と。彼女は不意にきょとんとした顔になる。


「なんだろ。胸がドキドキする」

「は?」

「心臓がなんか早い。ちょっと苦しいかも。うわわわ……」


 彼女は顔を上気させながら強く胸を押さえる。腕につぶされるようにして豊かな膨らみが形を変えるのが目に入った。


「立ちくらみだろ。安静にしとけ」


 冷静を頭に命じて視線をステージに戻した。

 早まった心臓の鼓動と、「立ちくらみって座っててもなるの?」という声は根性で無視した。

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