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この盗っ人拳法を牛(美少女怪盗)に捧ぐ  作者: 左内
第二章 歌姫アイラ
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劇団長の恋の相談

 海岸の公園に組み上げられた特設舞台に、華奢な少女が立っていた。


 彼女は魔石照明の光を受けてほのかにきらめくドレスを身にまとい、どこへともなく遠い視線を向けている。

 頼りない身体つきに反して立ち姿は凛としてピクリともぶれることがない。客席からの視線の圧力にも少しも動じる様子を見せない。

 それは訓練され鍛錬を積んだ者のきわめて高い集中力だった。


 時間が止まったように感じる。ここにいるすべての者がそう錯覚する。困惑する。恐怖する。期待する。

 そんな悠久とも思える空白を越えて、少女は静かに口を開いた。


 歌声があたりに染み出し鼓膜を震わせたその時、孝介はこれからやるべきことをしばし忘れた。





◆◇◆





 その数日前。


「『歌姫アイラ、青の岬に来訪』?」


 チラシを片手に孝介は首を傾げた。


「そう、歌姫アイラ! 来るの! この街に! すごい!」


 もう一枚同じチラシを掲げ、上気した顔のメリーが熱のこもった口調で言う。


「奇跡の歌声なんだって! 百年に一人の才能だって! 聴きたいと思わない!? わたし聴きたい、聴きに行こうよ!」


 カウンターをバシバシ叩きながらのその声はだいぶやかましいが、今夜の酒場も同じくらい騒がしいのであまり問題はない。

 孝介は飛んでくる唾からサラダを守りながら、浮かんだ疑問を口にした。


「アイラって誰だ?」

「えっ」


 メリーの手からチラシが落ちる。


「知らないの? ほんとに? あのトマさんでも知ってるのに?」

「うるさい変なとこで煽るな。俺はこの世界に来たばかりだからこういうことは何も知らないんだよ」

「前も言ってたね。変なの」


 メリーたちには偽宝石の仕事の後にこの世界に来た経緯については話していたが、反応はそれぞれにそっけなかった。


「だから何? 仕事には関係ないでしょ。仕事なさい仕事」


 これはリタ。


「……」


 トマは何も言わない。飛びかかろうと思った時には姿を消した。


「へえ。大変だね?」


 メリーはいまいち上手く飲みこめないという顔でうなずいていた。

 誰にも困惑を分かってもらえない苛立ちだけが後に残ったのだがまあそれは今はいい。


「歌姫アイラっていうのはね、歌を歌う女の子なの」

「馬鹿にしてんのか」


 顔をしかめるとメリーはいたって真面目な顔で首を振った。


「歌うってどういうことだと思う?」

「ん?」

「その子の歌を聴いたある人はこう言った。『わたしは今まで歌うということを、本当の意味では知らなかったのかもしれない』って」


 思わず息をのむと、横から伸びてきた触手がカウンターのグラスに水を足した。


「懐かしい言葉だ。あの少女の歌を端的に表していると思うよ。他の凡百とは立っている場所からして違うという、そのことを」


 酒場の主である巨大タコは穏やかな目をこちらに向けた。


「ちなみにわたしが言った」

「あんたか」

「そうだった! マスターってば深い!」

「はははいい子にはジュースをあげよう」

「ありがと! これ大好き!」


 得体のしれない青い液体をひとすすりしてからメリーは指を振った。


「とにかくそれだけすごい歌い手ってこと。その子のいる劇団は大陸規模で活動してるんだけど、一度立ち寄っただけの場所にもたくさんのファンがいるんだ」


 マスターがうなずく。


「それどころか一度も立ち寄ってないはずの場所にも熱狂的な、それこそ信者としか言いようのないほどの支持者がいるらしい」

「へえ……それは気持ち悪いっつーか怖いっつーか」

「誰が気持ち悪いと?」

「あんたもかよ」


 マスターの殺気にたじろいでいると。


「歌姫か」


 孝介の隣の席に大柄な男が腰を下ろした。

 低く無感動なその声には聞き覚えがある。


「団長」


 横の大男を見上げながら、孝介は呆気にとられた。


「ああ、カバルの旦那か。久しぶり」


 マスターから酒を受け取った彼は、前の仕事の時に孝介たちが力を借りた劇団の長だった。いや、力を借りたというと語弊がありすぎる。一方的に利用した、というか騙していいように使ったと言った方が正しい。


「安心しろ、いちいち恨んではいない」


 思わず腰が逃げかけた孝介に視線さえ向けることなく彼はつぶやく。


「恨むほどの価値もない」

「そっか、ありがとでーす!」


 まったく怖気づく様子もないメリーとは違い、孝介は簡単には落ち着けないが。

 団長はグラスに口をつけてため息をついた。

 自分たちが抜け出した後、というか事件を起こした後、劇団が警察にどういう扱いを受けたのか、事情聴取で済んだのか、それとも共犯と疑われて迷惑がかからなかったか。


 気になることはいくらでもあるがどう訊ねようともやぶ蛇になりそうで訊くに訊けなかった。

 ひどく重い沈黙。

 身じろぎもできないような居心地の悪さを堪えていると、ジュース?を飲み終わったメリーが何気なく団長に訊ねた。


「どうかしたんですか?」

「……何がだ」

「なんか憂鬱そうですよ」

「わたしの顔が暗いのはいつものことだ」


 暗いというか怖いの方が近いだろ、と孝介は思った。


「ええと、そうじゃなくて……なんだろう。寂しそう? だからちょっといつもと違って見えます」

「……」


 メリーの妙に自信のこもった言葉に団長はすぐには答えなかった。

 おそるおそる横目で見上げると相変わらずの仏頂面。この無愛想な顔のどこに寂しさを見出したのか正直なところ孝介には分からなかった。


「……歌姫か」

「え?」

「彼女がここに戻るのは八年ぶりになる。あまり知られていないがアイラという名の少女が希代の歌姫として世に出たのは、八年前のこの街でのことだ」

「そうなのかね?」


 注文の品を作っていたマスターが俄然食いついた。


「当時の年齢が七歳。今は十五になるか。両親はある劇団に所属していたが事故で死亡、その年に彼女は別の劇団に譲られた」

「譲られた?」

「つまらない上にろくでもない話だ。察しろ。とにかく彼女は譲られた先でその才能を開花させ、すぐにこの街から出ていった。それからは誰もが知る通りだ。天使の歌声、天上の讃美歌、世界を渡り歩き熱烈な狂信者を増やしているというわけだ」

「詳しいな」

「劇団の情報網でな」

 熱心にメモを取る狂信者なマスターに劇団長はうなずく。それからグラスの中身を飲み干して追加を注がせた。

 ようやく余裕が出てきて孝介は訊ねた。


「なんでそんな話を?」

「恋の相談」

「は?」

「そこの小娘が受け持つと言っていた」

「小娘じゃなくてメリーですよぉ」


 頬を膨らませてから彼女は表情を切り替えた。


「で? で? 恋の相談って具体的には? なんでも頼ってもらって大丈夫ですよ! どーんと話してみちゃってくださぁい!」

「だが気が変わった」

「ええぇ……」

「というよりお前たちの都合が悪いんじゃないか?」


 露骨に残念そうにするメリーの背後を指さして団長。

 言われて振り向くと、騒々しい音を立てて酒場の扉が開くところだった。


「見つけたぞ! あそこだ!」


 踏み込んでくるのは大量の警察。

 だがその側頭部に重そうな酒瓶が激突した。


「やれー!」


 声を上げて客たちが殴りかかる。

 それを尻目に団長は腰を上げた。


「じゃあな」

「またごひいきに」


 去っていく大きな背中を見送ってから、マスターは店の奥を示した。


「君たちもまた来るんだよ」


 それ以上は何も言えずに酒場を後にした。

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