脱出
角を曲がり扉を抜け、走り続けてしばらく。孝介たちはいつの間にか狭い階段を下っていた。
壁に等間隔にはめ込まれている明かりは小さく、そこは薄暗い。どことなくジメジメと湿っぽく居心地は悪かった。幽霊でも出てきそうだ。めそめそと陰気な泣き声が聞こえていればなおのことそう感じる。
もう何回目になるか分からない言葉を孝介は繰り返した。
「そろそろ泣きやめよ。こっちまで気が滅入るから」
「だって、だって……コースケに申し訳なくて……」
こちらに手を引かれるメリーが大きくはなをすする。
「わたしのせいでコースケにやりたくもないことさせちゃった……」
「仕方ないだろなっちゃったもんは。後悔するなら最初から巻き込むなよ」
「うん……わたし、よく考えてなかった」
声がさらにトーンを下げる。
「最初は手伝いが来てうれしいってだけで。これでも切羽詰まってたし。でも、本当に劇団に入っちゃうこともできたかもなのに、わたしは自分の都合だけでコースケにやりたくもないことさせちゃって……」
言葉がしりすぼみになっていき、声も体も震え出した。
「分かった分かった泣くなって」
若干の面倒くささを感じながらもなだめる。
つないだ手を握ってやると、嗚咽の声は少し小さくなった。温かい手のひら。
彼女がぽつりとつぶやく。
「わたしにもっと才能があればよかったのに」
妙に耳に残る響きだ。声と入れ替わりにやってきた沈黙と静寂の大きさを意識する。どこか遠くからかすかに水音が聞こえた。
孝介は大きく息をついて、訊ねた。
「なんでコソ泥なんだ?」
「え?」
「別に泥棒じゃなくてもよかっただろ。劇団の舞い手でもパン屋の売り子でも、もっと真っ当で堅実な仕事を選べばよかったんだ。なのになんで盗っ人ギルド?」
メリーは言葉を失ったようだった。振り返らなくても呆然としているのが分かる。
だがすぐに答えは返ってきた。
「そうしたいから」
「うん?」
「真っ当じゃなくても、そうしたいから」
言葉の意味が分からずに振り返る。彼女はもう泣いてはいなかった。目に確固たる意志の光を浮かべて、こちらを見つめ返していた。
「わたしには親がいないの。なんでいないのかは教えられてないし興味もないけど、とにかく物心ついた時にはわたしは孤児院にいたんだ。そこでは特に不自由はなかった。でもそこには何もないことも知ってた」
「何も?」
「未来とか、そういうもの。わたしたちには約束されてなかった」
「だから自棄になって?」
だが彼女は首を振る。
「十二歳になった時、孤児院から逃げ出した。家出は初めてじゃなかったけど、その時は初めてもう帰るもんかって思った。逃げて逃げて、そしてどこにも行けないことを知ったの。わたしには逃げる場所もなかった」
いつの間にか立ち止まっていたことに気づいた。
階段の途中、宙ぶらりんのその場所で、彼女の言葉を聞いている。
「あの日の記憶は曖昧だけど、海で見た夕焼けがすごく綺麗だったことは覚えてる。ぼうっと膝を抱えていたら、誰かがわたしに声をかけてくれた。お菓子をわたしてくれて、食べなって。甘くて、おいしくて、わたしいつの間にか泣いてた。いろいろ話しちゃってた。その人は最後まで黙って聞いてくれて、こう言ったの。『わたしが未来を手に入れるお手伝いをしてあげるよ』って。『十五歳になったらまたここにおいで。わたしたちの仲間にしてあげるから』」
つないでいた手を放して、メリーは凛とした表情を浮かべた。
「たとえ汚い仕事のギルドでも、そんなギルドでもわたしを救ってくれたところだから。そういう力のあるところだから。いつかわたしもあの日のわたしと同じ人を救ってあげられるくらい強い人になりたいから。だからわたしは大トビのメリーでいたい」
じっと見つめ合い続け。
「そうか」
先に目をそらしたのは孝介だった。
言い返せることはいくらでもあったはずだった。彼女のためにもそうしたほうがよかったかもしれなかった。だが、その気になれなかった。後はただ無言で階段を下りた。
やや広い場所に出たのはそれから間もなくしてからだ。
石造りの、小部屋ほどの空間。所せましと木箱が置かれ、本来よりもかなり狭くなっている。奥には大きな扉。低い唸り声のような音も聞こえる。水が流れているらしい。
「行き止まりだね」
「……ああ」
部屋の奥へと進んで見回す。
置かれている木箱はどれも蓋をされている。どれもかなりの重量感がある。試しに軽くたたいてみると、中で硬質な音がした。
「……」
「コースケ?」
そばに落ちていた金属棒を拾い上げて木箱の蓋に食い込ませる。てこの要領でこじ開けると中身が姿を現した。
薄明かりの下、それはわずかな光を反射してきらきら輝いた。
「これって……」
メリーが息を吸い込む。
「あの宝石……!」
孝介が大トビに入るきかっけになった、例の宝石だった。
しかも一つではない。
「こんなにたくさん!」
箱いっぱいの宝石にメリーが歓声を上げた。
「すごい! これだけあればいくらになるか分からないよ!?」
孝介はそれには答えずに隣の箱に棒を突きこんだ。開ける。
「え、こっちも?」
さらに隣も、その隣も、もう一つ隣も。
全て宝石がぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「………………」
さすがに奇妙さに気づいたらしい。メリーが怪訝そうな顔をしている。
「ねえコースケ、これって……」
「偽物だろうな」
輝きを見下ろして淡々と告げる。
「この屋敷の主の資金源ってことろか」
「無礼な。わたしなりの芸術だよ」
振り返ると入り口に人影が立っているのが見えた。
屋敷の主は髭を撫でつけながら薄く笑った。
「安価なものでも磨けば皆が目の色を変えて欲しがるほどの逸品になり得る。どうだ、素晴らしいじゃないか」
その背後から黒服の男たちが踏み込んでくる。数は多くないが部屋がより狭くなったことは意識した。
身構えて気配で牽制しながら孝介は口を開いた。
「警察はこのことを知ってるのか?」
「いいや。頭の堅い連中には理解できんだろうしな」
「へえ。じゃあ追い詰められてるのはお互いさまってわけだ」
「それはどうだろう。我々は君たちをここで始末してしまえばそれで済む。これでもお互いさまと言えるかね」
「……」
確かにその通りだった。まだ相手の方が優位にあるのは間違いない。だがそれも絶対とは言えない。その証拠が相手の手勢の少なさだ。秘密を共有できる者はそう多くないといことであり、絶対に外に漏らしてはならないという恐怖の裏返しだろう。
緊張が部屋に満ちた。
睨み合い、数秒。
たっぷり間を取ってから主が口を開く。
「……まあ、チャンスを与えてやらんこともない」
目で問うと彼は一歩こちらに踏み出した。孝介を指さす。
「お前。もしお前がわたしの下につくというなら許してやってもいいぞ」
「……?」
「鈍いな。わたしの屋敷で働けと言ってるんだ。ちょうど贋作作りの手が足りてなくてな」
「……」
「従えばわたしの秘密を暴いた無礼は許してやる。働きに見合った金もやる。望むならこれから奴隷になるその女を最初に抱く権利もやろう。どうだ?」
「コースケ……?」
こちらを見上げる震える瞳を見返して。
孝介は屋敷の主に向き直った。
「コースケ……っ」
メリーに背を向けて主の前に立つ。
思ったより背の低い主は、こちらを見上げてにんまりと笑った。
「……良い判断だ」
「メリー」
無視して肩越しに振り返る。
「一応聞いとく。今無謀気味に無茶する方と、今は従うフリしてチャンスをうかがうのどっちがいい?」
「前の方!」
メリーが少しも迷わなかったので孝介は満足した。
「なにを……」
困惑する主のその太鼓腹に。
孝介は双掌打を叩き込んだ。
吹き飛んだ肥満体は黒服を巻き込でバウンドする。それを見届けずに孝介は駆け戻った。大扉の前で立ち止まり、気を練る。
「コースケ?」
「ちょっと黙ってろ」
無音の気合。肩からの力の発露。衝撃音。重い音と共に扉が開く。
向こうは地下の水路になっているようだった。下がすぐに水の流れだ。
「ど、どうしよコースケ?」
メリーの背中をどついて落とす。
悲鳴と共に水流に消えた彼女を追おうとして――
孝介は思いついて小さめの木箱を抱えた。
「貴様――!」
主のかすれた声が聞こえた気もする。
何にしろ気にすることなく孝介は水路に飛び込んだ。




