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むかしむかし。みなさんのいるところから遠くはなれたところに、ケントルムという国がありました。南と北に二つの海、東と西を大きな山々にはさまれた、たいへん大きな国で、王さまのほかに四つの季節をつかさどる四人の女王さまがいたといいます。
ケントルムの中心には長い歴史を持つすばらしいお城がありました。陽の光を受ける白かべは白鳥の様に美しく、中庭には王さまが集めた様々な果物の樹がならび、いく種類もの花がさいています。王さまの住まう主館と中庭は立派な城壁で囲まれ、そこへと続く下中庭も、さらにそこへ続く城下街も防壁で囲まれた、攻め落とすにはどれほどの時間がかかるのかも分からない、守りの固いお城なのです。しかしアルス王はたいへん気さくなお方でしたから、ケントルムの人たちは自由にお城へ入ることができました。
ただ一か所、その季節の女王さまが入る塔は別です。
不思議な力を持つ塔は、四人の女王さまだけの場所なのです。
塔で女王さまが歌うと、ケントルムの草も木も、鳥も魚も、空も土も、勿論ケントルムの人々も、みんな目が覚めたように一気に様変わりします。春の女王が歌えば春らしく、夏の女王が歌えば夏らしくなるのです。一年のきっかり四分の一ずつ、四人の女王がそれぞれ歌を歌い、ケントルムの民はその恵みを受けて暮らしてきました。
ケントルムは帰らずの国と、少し怖い呼び名もありますが、それは入って来た人をつかまえてしまう、ということではなくて、そのまま住み着いてしまう人が多かったからです。
でも国々をまわって商売をする人たちはそうもいきません。吟遊詩人や商人たちは旅の途中によった国の酒場で、ケントルムをはなれたことを残念そうに、でも懐かしそうに、色んな話をするのでした。
彼らは口をそろえてこう言うのです。
あぁ、その春の美しさたるや――
暖かい陽の光の下、柔らかい草のじゅうたんには色とりどりの花がさき、鳥たちのさえずりがいくつも重なって、そこら中がまるで歌のげき場のよう。やわらかな若草の上に寝転んで、じんちょうげやチューリップ、色んな香りにつつまれてうっとりしていると、どこからともなく歌が聞こえてくる。うるわしの春の女王、レンテさまの歌だ。
春の女王さまがお城の塔で歌うと、その優しい歌声はどこまでもどこまでも遠く伝わって、それを聞いた人の胸の中では、何かを始めたいと思う気持ちが、すきとおった雪どけ水のように、とめどなくこんこんとわいてくる。
よし、と目を開けて起き上ると、さっきまで見ていた風景がもっともっと色あざやかに輝いていて、世界も自分も生まれかわったような気分になるんだ。
街へ行ってみると、みんなもきらきらの笑顔をしていて、ついつい話しかけてしまう。
あんな気分にはなかなかなれるものじゃないよ。
と、言うのです。話を聞いている人はそのようすを思いうかべながら、ためいきをつきました。透ける様な金色の髪をなびかせる女王と、その歌の通りの明るい世界。そこまですばらしいなら、いちどは行ってみたくなるではありませんか。でもその国に行くには、けわしい山をこえるか海をわたるかしなくてはなりません。もどる時もそうです。だからこそ、いついてしまう人が多いのでしょう。
そのうち話を聞いていた一人が、そんなに素晴らしいのなら、春が過ぎると寂しいでしょう、と言いました。
すると、若い商人が、待ってましたと言わんばかりの勢いでこう言うのです。
ぼくは夏の方が好きだな。
藤の花からスカシバたちが旅立ち、ワラビがぐんと伸びきって、ツバメが街を舞い始めるといよいよあの夏が始まる。真上に見るあの濃い青空と同じように、若草や木々が深く濃く繁る、全てが勢いづく季節さ。
ケントルムの夏も厳しいものだよ。だけど夏の女王ゾンマーさまが皆に力を与えてくれる。お美しいあの方の歌を聞くと夏の暑さよりも体が熱くなって、少し野蛮で、ワクワクするような、そう、勇気が湧いてくるんだ。
春のおどるような心もちとは違って、難しいものに挑戦したくなる。ずっとやろうとしていたものを、正面から向き合ってやっつけてやろうって思うんだ。そうしていて夏を振り返るときが堪らない。自分はこんな事をやり遂げたのか、こんなにも色んな事を成し遂げたのか、というあの達成感は他では味わえないよ。僕は必要な仕事で手一杯で、余計な事はしたくないって人間だけど、あの国へ行くと変わってしまうのさ。いや、あのゾンマーさまの力強い歌声を聞けば皆変わってしまうんだ。
あの歌と、あの黒い瞳が――
若い商人は両手に顔をうずめて、そこで話を止めてしまいました。
聞いていた人たちは顔を見合わせました。もだえるほど会いたいという女王をひと目見てみたいとは思いますが、力強くて美しい、とはどういうことでしょうか。夏の女王ゾンマーの姿を思いうかべようとしますがなかなか上手く行きません。熊や虎のような、という強さではないのでしょう。しなやかで生き生きとした、おどり子の舞いのような力強さでしょうか。国々を回って色々なものを見聞きしている商人がこれほどいうのですから、それはもう見る者の心を奪う美しさなのでしょう。
皆を我に返したのは詩人の楽器の音でした。彼は自慢の弦楽器を奏でながら、春のレンテ、夏のゾンマー、秋のオートムヌをたたえる歌を歌い始めました。
春の曲はいかにも楽しげで、みんなにこにこし始め、やがて立ち上がって踊り始めました。
夏の曲に変わると少し調子が速くなって、弦をはじく音も大きく、曲調はさらに速くなり、みんなの脚にも力が入り、床をだんだん、と踏み鳴らして踊りました。
そして秋の曲になると――
曲調はゆったりとしたものに変わり、どこまでも広がる草原や、穂の付いた麦が風でゆらゆらとゆれる光景が目に浮かびました。詩人は楽器を、弦を、いかにも大切そうにていねいにひいています。
彼は秋の女王オートムヌのことが忘れられないのです。
秋の曲はなかなか終わりませんでした。
収穫祭の料理やぶどう酒。いろいろなお菓子。明るい木々の下できれいな衣装で踊る人達。落ち着いた空気の匂い。楽隊の奏でる音楽に女王の歌声が重なります。
かれんな秋の女王、オートムヌの繊細な歌声は人々を敏感にさせ、今まで気に留めなかった小さな美しさに気付くようになるのです。それは例えば、道に生える草花だったり、お店の看板の文字だったり。広場の椅子の形や、雲の形や、風の音。石畳の模様、パンに描かれた模様。
女の子達の髪、指先、衣装……瞳。
若い商人がひとり、ぼーっとしています。きっと誰かを想い出しているのでしょう。来年、彼はケントルムに住みついてしまうのかもしれません。
詩人の演奏の腕前はなかなかのものでした。いつしかみんな目を閉じて聞き入り、瞼の裏には女王オートムヌの可憐な立ち姿と、細かく結い上げられた栗色の髪までが浮かび、その結い方に込められた祈りとその慈しみ深さに胸をうたれたのです。
長い長い秋の曲が終わると、みんな深いため息をついて、それから拍手が沸き起こりました。
春、夏、秋。三人の女王がこんなに素敵なら、冬の女王ウインテルもきっとすばらしい方なのでしょう。皆は冬の歌が始まるのをとても楽しみに待っていたのですが、詩人はいつまでたっても冬の曲をひこうとしません。
商人たちもみんな黙り込んでいます。
彼らが冬を嫌いな訳ではないのです。この商人たちは、毎日一生懸命働くのが正しい、休んだり怠けたりするのは良くないと考える人たちなので、あの国の、皆でゆっくり過ごしましょうという冬は、少しきまりが悪いものだったのです。
また詩人の方はというと、ウインテルにささげる曲も詩も上手く作ることが出来ず、こちらも自分の力不足を恥じていたのでした。
ただ、彼らの表情はとても穏やかで、やはり冬の女王を好きなんだろう、と皆は思いました。
雪の多いケントルム国では、秋までにしっかり働いて薪と食料を蓄え、動物の世話をする者や猟に出る者以外は、冬は家にとじこもりきりになるのです。そして暖炉の周りで本を読んだり、歌を歌ったり、編み物をしたり、木彫りの飾りや食器を作ったり、お昼寝をしたりして、ゆっくりゆっくりと過ごします。
冬の女王ウインテルの歌声は、誰よりもやさしくて、冷たい夜空を伝わる歌を聞いているうちに、子供に戻ったような、甘えたくなるような気分になるのです。商人も詩人も、静かに、銀色の長い髪を思いうかべながら、ウインテルの歌を懐かしんでいました。
さあ。
今日はゆっくり休みましょう。
ゆっくり休んでいいのです。
昨日は夢を見ましたか。
今から続きをみましょうか。
夢を繋げていくうちに
大きな夢になるでしょう。
春になったらやりたい事を
思いうかべて眠りましょう。
おやすみみんな、また明日。
今日はゆっくり眠りましょう。
誰かに見守られて眠ったのはいつだったか、みなさんはおぼえていますか?
手をつないで眠ったあの心地よさを思い出せるでしょうか。
女王ウインテルの歌はその安らぎを与えてくれるのです。
ケントルムに生まれた人たちには当たり前の事かも知れませんが、他所から来た人にとってこれほど得難い経験はありませんでした。商売の行き先や夜盗の襲撃に怯える人にとって、これほどの安らぎは無いのです。しかしながら、幼いころと同じという点が少し恥ずかしくて、どうしても口には出せないのでした。
ウインテルの歌を聴きながらでも働く人は、動物の世話をする人や猟師のほかにはアルス王しかいません。
王様は一年を通じて、どうすればケントルムがより良い国になるか、勉強し続けていました。そしてつよい風が吹く土地に風を弱めるための木々を植えさせたり、水害が起こりやすい地域では水路を整えさせたりと、少しずつ少しずつ、民が住みやすい国へと変えて来たのです。
水路を整備した年には夏の女王ゾンマーに
「嵐は私が追っ払ってあげるから大丈夫よ」
と言われもしましたが、王様は
「ゾンマーが調子が悪い時のためだよ」
と言って、やはり水路の整備を続けたのです。ゾンマーは肩をすくめて笑いましたが、ケントルムの民と同じく、彼女もまたまじめな王様を尊敬していました。
こうして、季節は規則正しくめぐり、ケントルムは少しずつ少しづつ豊かな国になって行ったのです。
ところが――
いつのことだったでしょうか。
その年も、春から夏、そして秋から冬と、規則正しく季節は移っていました。いつものように春がおとずれ、あの暑い熱い夏が過ぎ、秋にたっぷりと収穫をして冬を迎えたのです。
ただその年の冬、ケントルムの家々では不思議な事が起こっていました。誰もかも、なんだか寝ても寝てもまだ眠いような、もっと言えば寝れば寝る程疲れる様なかんじがするのです。起きてみても頭がぼんやりしていて何もしたくない気分。
城下街から少し離れた農家で、ミラと言う名の男が食事をつくろうと保存していた食べ物を取りに行って、また一つおかしなことに気が付きました。今年は溜めていた食料がいつもより少なかったようなのです。
……いえいえ、そんなはずはありません。いつもの年と同じようにたっぷりと収穫して貯蔵庫にたくわえたのですから。しかしこの時期にしては明らかに例年より少ない、とミラは思いました。
まさか泥棒が入ったか。
でもそれにしては荒らされた跡がない。
眠気がまだ残っているようで、目の前の風景が近くなったり遠くなったりするような、ぼんやりした頭でミラはしばらく考えていましたが、なかなか上手くまとまりません。雲間から光が差しこんで、窓の影が床にはっきりと映った時、ようやく彼は気付きました。
今年は冬が長いのです。もうとっくに終わっているはずなのに、まだまだ雪が降り積もっているのです。ケントルムの民は季節と天候に関しては、女王さまを信じてに頼り切っていました。ですから細かく日にちを数えたりすることはなく、むしろ日にちを数えるなんて女王さまに対して失礼だという人さえいたのです。
ミラは一気に目が覚めました。それは女王ウインテルに守られていたケントルムの民にとっては、かつて経験の無い、酷い目覚めでした。誰しも悪夢にうなされ、目が覚めてほっとしたことはあるでしょう。ところがこの場合、目が覚めてからが本当の悪夢なのです。
このまま冬が続いたらどうなるだろう。
食糧はあと五日はもつが、そこからはきっと酷い奪い合いになるだろう。
そうなる前に春に来てもらわないと大変だ。
どうして春が来ないのか。
春の女王レンテ様はどうされているのだろう。
どうしてレンテ様は……。
分からない。
王様に聞いてみるほかない。
彼は急いで支度をして、久しぶりに外へ出ました。
白銀の世界はとても静かで、太陽はすでに雲に隠れていましたがそれでも非常にまぶしく、目が慣れるのにしばらく時間がかかりました。スキーを履いて雪の上を走り、かなりの時間をかけて城下までたどり着くと、そこにはさらに驚くようなお触れ書きが出されていたのです。
――冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう
――ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない
――季節を廻らせることを妨げてはならない
頭から湯気をほとばしらせながら、彼はそのお触れ書きの意味を理解しました。
「王さまにも手に負えないのか……」
そうつぶやいた彼は、体から血の気がすっと引いていくのを感じました。
それは気持ちのせいだけではありませんでした。また雪が降り始めていたのです。見慣れた白い結晶を手で受けながら、彼は空を見上げました。うす暗い雲が一面、どこまでも続いています。この冬がいつ終わるのか、彼には見当もつきませんでした。