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次の日の朝礼、シルヴィアは学校にはいなかった。体調を崩したのかなんだか担任が言っていたが、担任もよくわからないようだった。昨日言いすぎてしまったことを謝ろうと思ったのだが、いないのなら仕方ない。手紙でも出そうかとも思ったが、すでに学校の親にすら私の悪名(という名の噂)は広く知れ渡っている。差出人の名前を見ただけで彼女の屋敷は大騒ぎしそうだからやめておいた。
いつもは私のそばにシルヴィアがいるものだから遠慮がちだが、今日は彼女はいない。加えて昨日の喧嘩もあって、多くの人間からの視線が痛い。移動教室への道のりでは聞こえるように悪口を言ったり、わざとぶつかられたりということもあるが、怪我がないのでスルーすることにする。そういうのは相手にする面倒だということが長年の経験上の答えである。見た目で判断されることは少なくなたかったから、もうこんな扱いにも慣れてしまった。しかし、流石に肩をいきなり掴まれることには慣れておらず、驚いた鶏のようにぎえっと声を出してしまった。慌てて振り返ると、どうやら掴んだその手の持ち主は私に悪意があるわけではないようだ。
「ナツ、大丈夫、ですか?」
「リアム!」
心配そうに私を覗き込む彼にこくりと頷くと、そ彼はほっとしたように肩の力を抜いた。
「アールグレイ、さんが、いないと、聞いた、ので」
もしかしたら彼のクラスでも、彼女がそばにいない私に嫌がらせを企む人間がいたのだろうか。次の授業は隣のクラスと合同の授業だから、私の姿を追ってきてくれたのかもしれない。
「ありがとう。でもリアムこそ大丈夫?私と歩くと変な噂立てられちゃうかもよ」
「僕も、ナツと、似てます、から」
そういえば彼も見た目のせいで色々言われているんだっけと思い出し、頷く。尤も彼は学校も誇れるほどの美青年優等生だから私よりも重んじられているのだろうが。
「次の、授業、が、終われば、お昼、ですね」
輝かしい笑顔を向ける彼はとても上機嫌なようだ。
「ナツ、のため、に、頑張り、ました!」
「ほんと?楽しみにしてるね」
普通、女子として私が言う言葉なんだろうなぁとどこかで苦い思いをしながら、移動教室へと入った。この授業は決められた座席というものはない。リアムは優等生らしく前の座席が良いということなので、私は隣に座らしてもらった。前の列の端に座ったが、当然私たちの周りは最後の最後まで席は埋まらない。しかし席はつめつめの状態なので、誰かは座らなくてはいけない。私の隣は壁とリアムだが、リアムの隣は私と見知らぬ生徒だった。私じゃなくてまだ良かったね、と嫌がるその生徒に内心毒吐きながら頬杖をついて黒板を見つめる。
私は普通の生徒らしく板書を写すだけだが、リアムは先生の言っただけの説明も書き込み、疑問点らしきところはぐるぐる囲んで?マークをつけている。ぎっしりと書かれたノートに若干眩暈を感じながら、負けじといつもより綺麗にノートを取る。
「…闇魔法は、強力な攻撃や精神操作などの技に富んでいます。賢く使えばうまく生かせますが、使い方を誤ると非常に厄介だ。また、闇魔法は闇の魔力を大きく持つ相手には小さな効果しか得られませんが、闇の魔力を持たない相手には多大な効果が得られるのです。…フミツキ?」
年老いた先生が言う羅列の言葉に眠気を感じていると、名前を呼ばれる。ばれてしまったかと焦ってしゃきりと背筋を伸ばすと、老人はゆっくりこちらを見る。
「今から、フミツキに闇魔法の中でも一番簡単な睡眠魔法をかけます。同じものを、あとで他の生徒にかけます。とりあえず、やってみせましょうかの」
そういうと、老人は何か唱えて私に杖を向けた。杖を向けるのは昔の人が魔法でよくやるが、杖があってもなくてもあまり変わりはなく、それっぽいだけである。段々と耐えきれぬ微睡みを感じ力が抜け、かくんと頭が下がる。しかし頭が下がった反動に目が冴えてしまい、体を起こす。少し眠気のある頭を覚醒させながら黒板の方を見ると、先生が他の生徒を眠らせていた。杖の先を辿ると、ぐっすりと机に突っ伏して眠っている生徒がいた。本当にあんなぐっすり眠れるものなのかと感心しながらそちらを見ていると、老人の驚愕の声が静かな教室に響く。そちらを見ると、その視線とぶつかり、意味もわからず首をかしげる。
「…フミツキ、儂は君に闇魔法をかけたね?」
驚愕に染まる彼にこくりと頷く。
「はい。結構眠くなりました」
「…普通は、解除せねばどんなに闇の魔力が強くとも20分は眠り続ける魔法なのだが…いや、なるほど。儂は君の素質とやらを甘く見ていたようだ」
そういうと、彼はまるで化け物を見るように私を見た。その様子に、生徒までもが私を見つめる。どうやら、何か悪いことをしてしまったらしい。老人のプライドをずたずたにしてしまったのかもしれない。とりあえず苦笑しておくが、先生はこちらに目をくれず、いそいそと職員室に戻る用意をしだした。
「少し早いですが、今日はこれで終わります」
用意が終わるとそそくさと先生が部屋を出て行くのを見届けると、教室がざわめきだした。時計を見ると30分くらい早く終わったようだ。これなら早めに食堂に行けると能天気に考えていたが、その考えは私の顔の横に何かがすり抜けていったことで中断された。
「悪魔の化身め」
誰のものとも区別のつかないその声に顔を上げると、隣のリアムの背中が視界いっぱいに広がった。庇うように私の前へ立ち上がった彼の表情は見えないが、足音から、そそくさと教室を出る大勢の生徒の様子がうかがえた。やがて教室の中で足音がしなくなると、リアムはすとんと席に腰を下ろす。
「…リアム?」
呼びかけると、彼はハッとしたように振り返る。黒曜石のような黒い目が、私を心配そうに見下ろした。
「ナツ、怪我、は?」
「え?」
「ハサミ、当たって、ません、ね?」
どうやら先ほど顔のそばを通り抜けたのはハサミだったようだ。それを知って背中に冷たいものが流れる。目に当たっていれば最悪失明していたかもしれない。この学校の生徒は思ったより血気盛んで思慮が足りないようだ。
「よかった」
私に怪我がないのがわかって、リアムは心から安心したとばかりに笑った。意外と彼はよく笑うなぁと思っていると、今度は彼は思い出したように息を飲む。
「ナツ!お昼、食べ、ましょう!」
先ほどの真剣な顔はどこに行ったのかと言いたくなるほどの豹変っぷりに私も笑みがこぼれる。早く食堂へと行くためにノートと教科書を片付け、静かな廊下を歩く。
「私そこまで闇魔法が得意なわけじゃないんだ」
言うと、彼はこちらを向いた。彼は彼より背の低い私に合わせて歩いてくれている。
「でも、先生は闇の魔力がどうとかって言ってたよね。なんでなんだろう」
「…ナツは、入れ物が、大きい、です」
「入れ物?」
「はい。属性、の、魔法を、使う、には。属性の、魔力、が、必要、です」
「…ええと?」
よくわかっていない私に、リアムは丁寧に説明してくれた。というのも、ある属性のついている魔法は、その属性の魔力がないと使えないらしい。確かに火魔法や風魔法などは使える人とそうでない人がいる。その属性の中でも多くの人が光の魔力を大小あれど持っていて、逆に闇の魔力はほとんど持ってはいないらしい。というのも闇の魔力と光の魔力は対であるため、どちらかがあるとどちらが弱くなってしまうからだそうだ。そういえばさっきの授業でもこんな話していたような。
魔力というのは、その属性の魔法を使うための材料らしい。水鉄砲に入っている水みたいなものなんだそうだ。そして魔法は、水鉄砲の威力みたいなものらしい。調整などがうまくできていると強くなり、そうでないと弱くなる。つまり私は材料はあるが圧倒的不器用のために闇魔法が得意でない可能性が大きいらしいとのこと。
「ナツは、ポテンシャル、が、すごい、です」
「あー、えーとありがとう?」
「はい、練習、次第、で。闇魔法、とっても、強く、なります」
「喜んでいいのかなぁ、それ」
闇魔法は忌避されやすいし、闇魔法を極めたら何もしていないのに犯罪者として捕まえられそうだ。友達もあんまりできないかもなぁと少し暗くなっていると、リアムがまっすぐと私を見て、頷いた。
「ナツ、です、から。大丈夫」
そうやって私をまっすぐ見る彼に、にへらと力なく笑った。…少なくとも彼に信じてもらえるうちは頑張ろう。