2
ふわあ、と欠伸をして鉛筆を置いた。美術は魔術のセンスを必要とするとかなんとかで、今は写生の授業をやっているのだ。自由に自然物を描けというざっくりとしたお題を出されて生徒は自由に校内を移動するのだが、いつも私と一緒にいるシルヴィアはアルビノで強い日光が苦手だから屋内で花とかを描いている。私も中で何か描こうかなぁと思っていたが、先生に外へと追い出されてしまった。私に対する処遇が悪いのは今に始まった事ではないが、部屋の中で私が追い出されるのを不満気に見ていた美少女の姿を頂けただけよしとしよう。
快晴の下、肩にかかる髪を紐でくくりながらふと周りを見る。近くには大きな木があり、そこで涼むのは気持ちいい。ここらへんは結構穴場だし、金持ちの子供がおおいこの学校ではこんな服が汚れそうなところに来る生徒は珍しい。写生がなんとか形になったところでその木へ腰掛ける。腕時計はまだ時間に余裕があることを示していた。折角だし寝てしまおうか、と思って少し目を閉じる。さらさらと風が気持ちいいな、と思っていたところで誰かに肩を叩かれた。
「ナツ・フミツキ?」
テノールのその声に目を開けると、自分の目の前に影ができていた。容姿から昨日ぶつかりかけた男子生徒だとすぐに分かる。自分の髪ほど黒い彼の目がこちらを覗き込む。その姿をぼんやりと見ていると、その人はもう一度口を開いた。
「熱中症、ですか?」
「へ?」
真面目な顔で此方に問いかける彼に首をかしげる。どうやら彼は私が体調が悪くてここで休んでいるのだと勘違いしているようだった。首を横に振ってそれを否定すると、彼の表情が少し和らいだ。
「ごめんなさい、普通に終わったからぼーっとしてたんだ。もしかしてもう時間?」
「いいえ、僕も…終わった、から、歩いてて」
言って立ち上がった彼を見上げる。彼がもうそれ以上言わないことが分かって、今度は私から話を始める。
「私の名前、知ってたの?」
「はい。…見てた、から」
まあ確かに品行方正眉目秀麗で知られる誰もが振り返る超美少女優等生のシルヴィアと一緒にいると、嫌でも私も目に入るだろう。彼が気恥ずかしそうに目線をそらしながら言うに、恐らくシルヴィアに見惚れてたらよくわからないのが一緒についていて、気になって調べたらフミツキとかいう女子生徒、いわゆる私に行き着いたとかそういうのなのだ。恐らく。
「ごめんなさい、嫌、でしたか?」
すぐに返事をしなかった私に、目の前の彼が眉尻を下げる。よくて私はオマケ扱いだと思っていたが、どうやら違うらしい。勢いよく否定するために首を振ると、彼はきょとんとした顔でこちらを見た。
「嫌じゃないよ!君見たくキレーな男の子が私と一緒でいいのかなって思ってただけだし!」
「え、っと?」
「いやぁごめんね、シルヴィア今いなくてさ!私だけだと華がないよねー華が。あっよかったら座る?そこ地味に暑くない?」
ぺらぺらと喋る私に圧倒されたのか、彼は言われるがままに私の隣に腰掛ける。
「…僕、のこと、知らない、ですね」
「あー、うん。…ごめんね?」
「謝ら、ないで、ください。知らない、方が、よかったから」
どこか嘲るように笑って、彼はこちらを向いた。灰色の睫毛が私より長くで綺麗だ。目は本当にシルヴィアといい勝負できるよなぁとその目を見つめる。
「僕は、リアム・イジェンダ。貴方の、隣のクラス、です」
「じゃあ担任ってオリバー先生!?いいなぁ!私あの人大好きなんだ!」
ぱちり、とその綺麗な目で瞬きをする彼に、急に大声を出してしまったかと反省する。黙って彼の顔を伺うと、さっきよりは穏やかな表情で笑う。
「オリバー、先生は、僕も、素敵、だと、思います」
「!だよね!誰にでも優しくて、熱いとこもあるけどおっちょこちょいで…クールでいて、なんていうか…」
「お茶目な、人、ですね」
「そうそう!シルヴィアはわかってくれなくてさぁ。よかった、君が共感してくれて!」
私の理想の教師かつ男性像を理解してくれる人は今までいなかったので、私がおかしいのかと思っていたが、男性側も彼を評価しているなら問題はないだろう。まぁ、家庭持ちのおじ様なんて若い子が熱を上げるかと言われれば微妙なことは分かっているのだが。
「フミツキ、もう、戻った方が、いいです」
急にそう言った彼は何かを探るように真剣な表情になっていた。ちらりと腕時計を見るが、時間はまだ余裕がある。意味もわからず彼を見ると、黒い目が私を捕らえていた。
「早く!」
鬼気迫る表情に負けて、私はそばに置いてあった写生道具を片手に立ち上がる。
「よかったら次はナツって呼んで!」
そう言い残して、私は来た道を戻った。途中で振り返ると、そこには誰もいなかった。
戻って画用紙を提出し、そろそろ時間かと思ってシルヴィアのいる部屋に向かう。ひょっこりと窓から彼女を覗くと、片付けられた写生道具を机上に置き、先生と話しているシルヴィアを見つけた。ふいに私を見つけた彼女の顔がぱあっと輝き、すぐさま優等生モードに切り替えて話を終わらし、写生道具を片手に流れるように部屋から出てくる。
「ナツ!」
「お疲れシルヴィア。先生に好かれるのも大変だねぇ」
声をかけて教室へと足を動かすと、彼女はぴったり隣に着て歩を進める。
「もう、1人だからすっごい退屈だったのよ?退屈すぎて写生二枚も描いちゃった。貴方は?」
「私は1人じゃなかったからまだ…」
言いかけると、俯き加減で先ほどを思い出していた彼女ががばりと顔を上げてこちらを見る。
「貴方が!1人じゃない?」
きらきらと輝くその目にため息をつきながら、近づいてくる彼女の顔を手で押し戻した。むぐぅ、と可愛らしい声をあげる彼女に苦笑する。学校でいい顔をされないのは先生だけではないのだ。多くの生徒が、彼女の隣にいる私を時に妬み、嫌がり、啀む。私の周りに誰かいる時は、決まってシルヴィアがそばにいる時で、彼らの目的は彼女なのだ。彼女はそれにいつも頬を膨らましていた。
「誰、誰といたの!?」
「隣のクラスの人」
「…もしかして、イジェンダ?」
先ほどまでの期待した声色はどこへやら、急に慎重になる彼女に目を向ける。
「知ってるの?」
「昨日、やけに見てたから!こっそり調べておいたの。さっきのどうでもいい先生の話を聞いてたのもそういうこと!」
こそこそと囁くにしては大きな声で私の耳元で言う彼女に何も言わずに耳を傾けてる。私より少し背の低い彼女は、私の肩あたりの布地を引っ張って更に言葉を続ける。
「イジェンダって、結構有名な人みたいなの」
「私も君も知らなかったのに?」
彼女は耳元から体を離し、一歩進んだ。廊下で止まっていたらそれこそ目立つだろう。そのまま彼女の隣を歩き、彼女の言葉を待つ。
「噂話なんて話半分で聞いてるもの、仕方ないでしょう」
「じゃあ君にとって恋愛話は噂じゃないわけだ、シルヴィア?」
からかうと、彼女は咳払いをする。これ以上続けると怒られることをよく知っている私が肩を竦めると、何事もなかったように彼女は話を進めた。
「とーっても優秀なんですって」
「君には劣るんじゃない?」
「先生はそう言ってたけど、そこは分からないわ。ただ、言葉を発するのと治癒学がとっても苦手みたいで、謎の多い人だって」
言葉が苦手なのは、話しててよくわかった。単語ごとに区切ったりと、しゃべり方がとても拙いのだ。別に待っておけば話は成立するから良いのだが。
「…治癒学が苦手なのは、貴方と同じ理由かも。髪の色も、どことなく似ているし」
「例の、悪魔に魅入られている体とかいう?」
「体質的に、光魔法が苦手で闇魔法が得意な人が髪色が暗めに生まれやすいっていうだけよ。そんな迷信馬鹿げてるわ」
そう、私が疎まれている理由はもう1つ。大小はあれど皆使える光魔法が全く使えないかわりに殆ど使い手のいない闇魔法が使えるという、この事実なのである。闇魔法の使い手には犯罪者や悪魔の使役者が多く、私みたいに真っ黒な髪の人間は子供のうちから殺されることも少なくない。生き延びた自分の運のよさに拍手喝采を送りたいものである。
「反対にシルヴィアは真っ白だもんね。神の愛娘だっけ?本当に光魔法が一番上手いんだからあながち迷信も間違いじゃないのかもよ?」
「やめてよ。それより、今は彼の話」
うんざりとした顔で彼女は話題を変える。
「あんまり喋らないし暗いけど、成績がとっても良くて、闇魔法も使えるらしいのよ。実は魔物なんじゃないかとか、悪魔を召喚してるんじゃないかとか、そういうトンデモな噂も流れてるのよ」
本当にトンデモな噂である。それが事実なら今頃オリバー先生辺りが彼をとっ捕まえているはずだ。
「でも結構良い人だよ。キレーな顔してるし」
「…ナツ?」
「ほんとだって!目なんてシルヴィアと良い勝負できるんじゃないかなってくらい睫毛長いし、黒目おっきいし」
力説する私に、彼女はわざとらしくため息をつく。きっと身長差的にも絵的にも、2人は絵になるはずだ。
「貴方のそのセンス、やっぱりズレてるわ」
「よく見たらキレーだって!今度会ったら見てみなよ」
いつのまにかついた教室の扉を開ける。私が先に入ると、シルヴィアの姿が見えるまで沈黙するのに気づかないように、自分の席に座る。
「ねぇ、ナツ。変だと思ったら距離を取るって約束して頂戴?」
私の席の前で立ち、心配そうな表情をする彼女に笑いかける。
「大丈夫だって!リアムは良い人だもん、ね?」
心配する彼女の背後で、私の出した名前に少し教室がざわめいた。またそれに、気づかない振りをしながら、私は教科書を開く。シルヴィアが視界の端で、少し悲しそうな顔をしたのも、見なかったことにした。