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答えは出会った時に、開示されていた。
東の野の真ん中に、優しい家族が住んでいました。
お婆さんはとても穏やかな人でした。
お父さんとお母さんはとても静かな人でした。
一人息子のである真っ赤な髪の少年は、元気で明るい人でした。
家族四人で仲良く暮らしていましたが、ある日全員が病気にかかってしまいました。まずお婆さんが亡くなりました。
程なくして、お母さんも亡くなりました。
お父さんは悲しみに暮れて左手を切り落とし、王様の住む街へ行ってしまいました。
そして。
家には化物が現れるようになりました。
窓がびりびりと鳴る。家が軋む。
風が悲鳴を上げている。天井から吊り下げられた大きなランプが点滅していた。
広い家の中、ルフトとイルファが並んで座っている。老人はいない。
「ど……どうするんですか?」
「どうって?」
問い返されて言葉に詰まってしまった弟子に、敬語は良くないよ、と頭を撫でた。
「ば、化物を倒すの?倒すっていうか……退治……」
「殺すよ。それが一泊させてもらう対価だからね」
彼は微笑んでいる。
「御老人は意気地がないね、二階に引っ込んでしまうなんて」
「仕方ないよ、だってあの扉の向こうにいるっていう化物は、その、自分の息子のお嫁さんにそっくり……なんだから。退治されるところは見たくないんじゃないかな?」
「だったら僕に頼まなきゃいいのにねぇ」
どう返せばいいのか分からなくて、イルファは黙ってしまった。階段を上がる時にグエルが放った「上手くやってくれ」という言葉の哀しさが、まだ胸に突き刺さっている。
「影の化物を実際見てみないと対処方法は分からない。御老人の話だけじゃあヒントも何も無いしね、残念ながらノープランで挑むよりほかないだろう」
「だ、大丈夫なの……?」
「問題ないよ。僕が部屋に入ったら化物が襲ってくるだろうから、イルファは下がっているんだ。間違っても僕を追いかけてきたり、応戦しようとしたりするんじゃないよ?君はまだ未熟なんだからね」
確かに、イルファは未熟だ。随分物を浮かせるのが上手くなったけれど、それだけだった。カップや椅子をぷかぷか宙に飛ばすだけじゃ、ルフトの助けになんてならない。
分かりました、と頷く。何故かランプが一瞬ひどく揺れて、積もっていた埃が舞い落ちた。澱んだ室内の空気を吸い込んでため息に変えると、立ち上がった師匠を見上げる。
化物退治なんて、本当に出来る?
そもそも化物って、なに?本当にいるの?
「あ、あのさルフトくん」
「僕を信じなくていいよ。今はまだ、ただの訳の分からない男でいい」
少女を見下ろす瞳が柔らかく、しかし冷たく微笑んだ。言葉を奪うと共に心にざわめきを残す。
ルフトはゆっくりと、閉ざされた扉に近付いて行った。
薄く埃が積もったドアノブを躊躇いなく握って、ルフトはゆっくりと扉を押し開いた。左腕と足を使って全開にする。
一層籠った空気の暗い香りが漂ってきた。湿っていて、冷たい。いつの間にか雨は止んでいて、ルフトの向こうに見える部屋に月明かりさえ差していた。
最初は何も無かった。タンスや姿見の鏡らしきものが暗闇を通して見えた。
しかしルフトが一歩部屋に入ると、むくむくと何か、黒い塊が周囲の闇をかき集めたみたいに膨れ上がっていく。
真っ黒の影だった。小刻みに震え、蠢きながら人らしき姿を保っている。女性の姿には見えないが、話に聞いたとおり二つのぎょろりとした目がばらばらに動いている。
口はない。耳も、何も無い。目だけを持つ化物。
「ほ、本当に出た……」
影はブルブルと全身を震わせて両目を激しく動かすと、両手らしきものを凄まじい速さでルフトへ伸ばした。指も何も無い二本の手が、確実に彼を捕らえようとする。
イルファが慌てて部屋の入り口に駆け寄るのと、ルフトが影を避けるのはほとんど同時であった。冷たい目をした青年は最小限の動きで手から逃れると、化物の目をじっと見つめている。黒い手は虚しく空を掻いて少女の鼻先を掠めた。
「駄目だよイルファ、部屋に近付いちゃあ」
「で、でも」
続きを口にする前に、また影がルフトへ次々と手らしきものを伸ばす。硬さや質量は感じられなかった。敢えて表現するならば、それは何も無い空間だった。単なる闇であった。
蠢いている。
ルフトを飲み込もうとする。
全く表情を変えずに、冷静に避ける彼だけれど、影に対して何らかの行動をしようとしているふうには見えない。単に触れないように身体を動かしているだけだ。
右から、左から。時には足を、頭を狙って。彼の右腕があるべき場所をすり抜ける。
「ルフトくん……!」
このままでは追い詰められてしまう。
避け続けるのには限界がある。
どうして私は、何もしていないのだ?
未熟だったら何もしなくても許されるのか?
「イルファ!」
突然ルフトが少女の方を向いた。名前を呼んでいる。
イルファはふらり、と部屋に足を踏み入れた。そんなつもりはなかったのに、どうしてか前へよろけてしまって。何かに背を押されたような気がしたけれど、今となってはもう分からない。
彼女の視界の端にきらりと光るものが見えた。いつの間にかルフトは、どこから取り出したのか左手に短剣を握っていた。魔法のようだと思った。
彼が走り出す。影が持つ二つの目がイルファに注がれ、直後、視界が黒く染まる。
ルフトが闇に身体を突っ込んで、剣で振り払おうとする。それが影を退けるより先に、少女は飲み込まれた。