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「お前さん達は操者だろう」
片腕丸ごとない操者なんて見たことないがなぁ、と老人は笑う。
「だが、見りゃあ分かる。俺の息子と同じような目をしているからだ。不遜な目だ。傲慢な目だよ」
「目だけで分かるもんなんですかねえ」
イルファはそっと扉を閉めると、外套を掛けてルフトの傍に戻った。師匠は微笑んだまま一言口を挟んで、また黙り込んだ。
「東の野では操者は少ないし迫害を受ける。ここいらじゃ未だに、エアタ教は新興宗教だからな。それなのにふらふら歩いているやつがいるとは、にわかに信じられんよ……よく見りゃあお嬢さんもだった。二人揃って操者が雨に濡れて歩いてまあ、よくやるもんだ」
「若者にお説教ですか?」
「そんなことをするような立場じゃあないさ」
からかうように言うルフトをさらりと流した老人は、とにかく座れ、とひらひら手を振った。
「俺は操者じゃないがな、今じゃ出ていった操者の息子が恋しいよ。一般人にはとてもどうにか出来るもんじゃないものに悩まされている。そこでお前達の出番だ」
「その悩ませているものというのが化物だと?」
「いかにも」
この家には化物がいる。
そう、言った。
「この家には化物がいる。俺はずっと、化物とひとつ屋根の下で暮らしているんだ。」
周囲には一般人ばかりが住んでいるし、自分もそのひとりなら、いつ現状を変えるチャンスが来ると言うのだろう。
今だった。
この奇妙な、二人の旅人がやってきた今こそが老人にとって好機なのだ。
イルファはぞっとしてたまらずに辺りを見回した。家の中は静かで、意識を澄ませば澄ますほど、何者かの気配より雨や風の音が酷く聞こえる。今夜は嵐になるのかもしれない。
「なに、難しいことじゃないだろ。息子が言うには操者は、神にお願いごとをするだけで魔法のような力を使えるようじゃないか。いち一般人の家に住む化物を退治するなんて朝飯前だろうに」
そうなのだろうか?
この前まで宗教のことも知らなかったイルファにとっては、老人の指す操者という人たちが自分を含めているようには思えなかった。
イルファは化物退治なんてしたことがない。
戦ったことなどない。
そもそも神に祈らない。
ならイルファは、果たして操者と呼べるのか?
「……まあ、御老人が思うほど操者は血の気が多い連中ではないと思うけどねぇ。化物退治なんて、それこそツェストがやるくらいだろう」
「なら俺の息子もやってるのかね」
「さあねぇ。お国のために働く治安部隊みたいなもんだもの、色んな仕事があるだろうと思いますよ。ただ、僕らに頼むよりかは息子さんに頼んだ方がマトモな対応をしそうだ」
息子さんはツェストなんでしょう?とルフトが問う。微かに震える手でお茶を運んできた老人は、目を細めてため息をつくことで同意した。
「首都で働き始めてから音沙汰がないよ、馬鹿息子なんかに頼めるか」
「そんな馬鹿息子でも操者でしょ。少なくとも僕は操者的であるが、しかし操者ではない」
ルフトの曖昧で複雑な物言いにはっとして、老人は「そういや名前を聞いていなかった」と呟いた。
白髪の青年は、イルファに出会った時と同じような不敵にも見える微笑みを浮かべて目を輝かせた。
「僕の名前はルフト、魔法使いだ。この子は弟子のイルファ。御老人、あなたの名前と……それとついでに、家族構成を教えて欲しいかな。どうです?」
イルファは、ここで自分の師匠が誰に対しても同じ自己紹介をすることを知った。彼女が特別ではなかったのだ。
「はぁ、魔法使いね。ボウズ、お前ふざけてるのか」
「魔法みたいな力を使えるって言ったのはあなたでしょ。ふざけてなんかいないよ、真面目に相談内容を聞こうと思って」
待ちきれない、と言いたげに彼は左腕を伸ばす。湯気が立つカップに手を伸ばして器用に2つ掴むと、自分と弟子の前に引き寄せた。いち早く操術で引き寄せれば良かったかと少女が思っても、もう遅い。
「僕はここに泊めて欲しい。だから、話を聞いて出来ることがあるか考える。胡散臭かろうがなんだろうがそれだけだよ。どうなの?」
どんどん敬語が崩れていく師匠にハラハラしながら、イルファは老人とルフトを見比べた。口を挟めない居心地の悪さと、何も言わなくていいという安心感が彼女の心を支配している。
「……俺はグエル。家族は息子と、孫がいる。妻は死んだよ」
「息子さんの奥さんは?お孫さんはどこに?」
「やつは結婚してうちで暮らしてたがな、嫁さんが死んですぐ、ツェストになるため中央に行ったさ。何年も前の話だ。孫はつい先日家を出ていった。父親に会いに行くためにな」
「なるほど」
熱せられて火傷をしそうなくらいのカップの縁を、ルフトの指が絶え間なく撫でている。
「化物はいつから現れた?どんな悪事を働く?」
気に食わないやつだ、と前置きみたいにルフトを睨みつけてから、グエル老人は語り出す。
「息子が中央に向かってすぐのことだったよ」
部屋の奥にある、木の扉に目を向ける。外に通じる扉と向かい合うような形で存在するそれの奥には、もう一つ大きな部屋があって、かつてはそこに息子夫婦が生活していたらしい。
「あの部屋に化物が住んでるんだ。扉を開けたら襲いかかってくる。部屋に入れてくれない、反抗期の化物さ」
「息子が二人になったみたいじゃないか、よかったねぇグエルさん」
「とんでもねぇ、馬鹿はひとりで十分だ」
終始穏やかな顔をしていたルフトは、くつくつと笑ってイルファの頭を撫でた。目は揺らがずに前を向いたまま、美しい声で。
「僕は弟子と旅をしている。世界中にある魔法を探す旅を、続けている。こういう妙な話は大歓迎なんだ……反抗期の化物退治なんて、見逃せないよ」
やってやろう、と言った。
目を見れば、何が分かると。