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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第四章 カガミドリーマー
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あなたがあなたであること。

 落ちる日が差し込む部屋は柔らかな赤に染まっていた。少女は目を閉じて眠っている。今この時だけは安らかなのだと、彼女の家族は唱えることしか出来ない。

 規則的な呼吸音だけが聞こえる。

 昼間、狂ったように暴れた少女はそこにいない。



 しばらくすると彼女がゆっくりと目を開き、傍らに座っているルフトとその後ろに立っているイルファに濁った目を向けた。

「……だあれ」

 昼間のことは覚えていないらしい。

「君が体調を崩した時に通りかかってね、僕達が御両親を呼んだんだ」

「そう、ありがとう」

 ゆるゆると息を吐く。それがため息なのかすら判断が出来ない。布団に隠れてその身体を見ることは出来ないが、唯一露出した顔だけでも、彼女が酷く痩せこけていることが見て取れる。

 色の悪い肌に、その瞳の白さえ変色してしまっている。


「ああ……ここがどこだか、わかる?」


 ゆっくりと呟く。言葉を発することすら億劫なのだろう、少し口を開く度に目を閉じて痛みに顔をしかめた。


「君の部屋だ、クレメル。具合は良くないかい」

「そうだったの……どこもかしこも、軋むよう」


 つらいわ、と言う声は淡々としている。あまりに病に侵されると、感情を顕にすることすら難しくなるのだろうか。

 クレメルの家族は、彼女が時折狂ったように暴れると話していた。その時ばかりは饒舌になり、感情を爆発させ、病状を悪化させる。元々は大人しい性格だったそうだが、この変化も病のせいらしい。

 悪い時には吐血をするそうだから、今日は運が良いくらいだったのかもしれない。


「もう、つらいわ。全てが苦しみに見えるの。空も土も、ベッドも、この身体も……とても理不尽」


 クレメルが軽く咳き込むと、喉や胸の辺りからくぐもった雑音が聞こえた。



「あなたに、わかる?」



 イルファは何も言うことが出来なかった。苦しんで生きてきた自覚はあるけれど、目の前の少女が背負う苦痛は分からない。

「僕には分からないよ。誰も君の苦しみを理解出来ないはずなんだ」

「人が……助け合って生きていくなんて、嘘だわ。みんな、孤立しているのに」

「そうかもしれない」

「とても、とても絶望しているのよ……」


 少女の手が布団の中で規則的に動くのが見えた。震えるように、リズムを刻むように。



「生きることが、どうしてそんなに尊いの? 命を大切にする理由ってなに? 誰がそれを……説明できるの」

 ねぇアイテル、と消え入りそうな声で呟いた。意識が混濁しているのかもしれない。

 ルフトが身を乗り出した。

「彼と何か約束をした?」

「約束……したわ。守ってくれると信じている。彼はその話を、きらうけれど」

「いつから嫌ったんだい?」

「約束した、その時から」


 青年がまだアイテルだった時から、ということだろう。


 虫を追うような目の動きをしたかと思うと、微かに瞳に光を灯して、傍らのルフトにはっきりと視線を注いだ。

「……あら、そこの人。お願いがあるの」

 ルフトたちに今気づいたかのように言って、クレメルは部屋の隅に置かれた棚に目を向けた。

  上から三番目のものを、取ってほしいわ。


 動こうとしたイルファを無言で制して、ルフトがゆっくりと立ち上がる。少女に見つめられながら棚の前に立ったルフトは、引き出しを開けて中に入っていたものを迷いなく手にした。



 ナイフだった。


 夕陽に煌めいたそれは一層鋭く見える。実用的でシンプルなナイフなのに、鞘は無かったようだ。


「それで殺して頂戴」


「……どうして?」

「お願い」


 刃物を手にしたまま、ルフトはじっと少女を見つめている。金色の瞳が太陽に明るく輝いているのに、その奥はぞっとするほど暗く冷たい。何かを考え込んでいる。

 暴れるクレメルを助けた時から、彼はどこか上の空だったのだ。

 もしも本当に殺してしまったら、どうすればいいのだろう。イルファは止めるべきなのか、見守るべきなのか。師匠がやることなら間違ってはいないような気がするけれど、でも。



 東の野で、ルフトは迷いなく影の喉を搔き切ったのだ。






「何してんだ……!」


 ばん、と勢いよく扉が開いて飛び込んできたのは、ユキヒトだった。息を切らした彼は部屋の様子を見るなり、焦燥に支配された表情をより剣呑なものに変えてゆく。

 彼の手が腰から下げた剣にかかる。振り返ったイルファは、ルフトを庇うように前へ出た。


 右手を僅かに上げた少女と剣を抜きかけた青年が向かい合う。


「盗み聞きなんて趣味が悪いよ」

「ナイフを置け。俺は操術を恐れないぞ」

「勘違いしないで、僕は殺すなんて言っていないよ」


 困ったなぁと笑って、ルフトは何でもないことのようにナイフを置いた。棚に左手を添えて身体を支えながら、緊迫した空気に合わないのんびりとした声で「落ち着いてよ」と宥める。

 ユキヒトが剣から手を離したのを見届けてから、イルファも手を下ろした。


 決まり悪そうに目を逸らして、彼は恐る恐るベッドの上の少女に近づいていった。昼間、二人の間にあった奇妙な空気がまた蘇ろうとしている。

 これは恐れなのではないかとイルファは気づいた。ユキヒトは少女を恐れている?


「……アイテル、来てくれたの」

「俺はアイテルじゃないよ」

「どうしてそんな嘘をつくの……最低。無かったことにしたいんでしょ、あたしとの大事な約束、無かったことにしたいんでしょ」


 ユキヒトは答えなかった。


「あんた、酷いよ。昔からそう……はっきりしたことは何も言わないで、はぐらかすのね」


 ふふ、と初めてクレメルが笑った。疲弊した笑みだった。



「でもね、分かるの。あたし、あんたと幼馴染みでしょ……言わなくても分かる、約束を破るような人じゃない」



 ユキヒトの顔がぐしゃりと歪んで、微かに肩を震わせた。


「分かってくれよ……俺は、俺は本当にアイテルなんかじゃないんだよ。どうして誰も認めてくれないんだ」

 声も涙に滲んでいる。

「なんで、俺がここに居ちゃいけないみたいに扱うの……報われたら、生きていたらいけないの? どうして分かってくれない」

「哀しいの?アイテル。元気をだして」

 とうとう嗚咽を漏らしたユキヒトに、少女は慈しむような目を向けた。太陽を見る目だった。微かに目を細めて、光で目を傷めないよう守るような。


「クレメなら分かるはずだろ……アイテルをよく知ってるなら、俺が別人だってことくらい」


 少女の表情に希望がさしている。さっきまでは存在しなかった、むしろ絶望しているとさえ言っていたのに。


「訳の分からないこと、言っちゃダメよ……ねぇ、あんたのこと信じてる」



 日が落ちてゆく。夜がやって来ようとしている。



「そうだアイテル、分かってるでしょ? 明日は……あたしの誕生日なの」

 お祝いしてね、と微笑んだ。今の彼女が手に入れられる、表せる最大限の幸せを向けるように。

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