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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第四章 カガミドリーマー
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すべてを信じて、捉えたままで。

 イルファは魔法を使うことが出来ない。

 それでも、魔法のようなものは使える。魔法のような空間は作ることが出来る。


 強い風が吹かぬ間に何枚かの木の葉を枝から奪い取った。ひらり、ひらりと自然の動きを真似して、イルファは存在しない風があるように作り出す。

 それを、ユキヒトが不審そうに眺めている。


 木の葉は彼の上で無い風を失い、ゆるゆると地面へ近づいていった。


 その途中でピタリ、と空中で動きを止めた。時まで止まってしまったかのように。自分に出来ない能力だって、今ある力を上手く使えば他者の印象を拡張できることを彼女は既に知りかけていた。


 ユキヒトの周囲に、微動だにしない葉が静止している。それはやがて、彼に襲いかかるような動きを見せたかと思うと赤々とした炎に包まれて燃え散った。


 僅かに残った黒い燃え滓が、目を丸くしているユキヒトの頭に降り掛かる。



「い、今はこれが精一杯だけど……」

 右手を下ろしたイルファが申し訳なさそうに笑う。

「十分だよ。鳥ちゃんもそう思うでしょ」


 ルフトが話を振ると、シエヴィアの肩の上で静かにしていたマニが身体を大きく膨らませた。


「何度も言うがな、私は鳥でも鳥ちゃんではない……! 貴様は本当に名前を覚える脳が無いようだな!」

「えぇ、そう言う鳥ちゃんだって僕の名前を呼んでくれないじゃないか。ほら言ってみ? それとも覚えてないのかな」

「私の名前も呼べぬ人間の名など、口にする価値もないわ」

「はぁー?」



 思わず言い争いに発展した彼らを見て、取り残されたユキヒトがますます目を見開く。



「と、鳥が……喋った」



 喧しく反論を続けるマニを無視して、ユキヒトを振り返った白髪の青年は美しい瞳を満足そうに細める。

 優しい視線を投げかけるのだ。


「まあ、うまく説明も証明もできないけどさ……少なくとも一般人の集団じゃないことは、分かってもらえたかな」









 すっかり定着した自己紹介をした。

 魔法使いの弟子が操者で、操者と魔法使いは違うものだという説明に首を傾げさせ、シエヴィアがピアノであると口にすればますます不思議がらせたし、マニが鳥でも人間でもないと言えばうんうんと頭を抱えた。

 それでもなんとか、よく分からないけど普通じゃないという状況だけ理解すると、青年は自分の名をユキヒトと名乗る。



「ああ……やっぱり君たちみたいな、現実にはいない人と会うって信じていたんだ」

「魔法使いは現実にいるけどねえ」

「操者もいるよ」

「ふふん。私は貴様と違って、人でも鳥でもないけどな」

「私はピアノですが」



 そんな発展性のない会話をして、ルフトはユキヒトに背を向けた。しばらく村に滞在するからまた話そう、なんて言葉を投げて。

 足早に村へ戻る途中、イルファは師匠の穏やかな横顔を見上げた。


「ルフトくん、もうあの人と話さなくていいの?」

「十分話は出来たよ。少なくとも今は、これくらいでいいだろう」


 そうだろうか?

 何も分かっていないじゃないか、とイルファは顔を曇らせる。確かにユキヒトの言っていることはおおよそ理解出来たけれど、それは問題の原因の説明にも解決にも繋がらなかった。

 夢を見ていたとか。

 鏡の向こうへ行ったとか。

 本当の人生、だとか。


 ユキヒトは色んなことを言ったけれど、それが一体、現状をどう説明するというのだろう?



「まあ、仮説は立てたよ。多分僕の考えで合っていると思うし、これからそれをアイテルの母親に伝えに行く」

「教えてもらっていいかな」

「もちろん」


 風に吹かれて、ルフトの右腕が入っているはずの袖がゆらりとなびく。




「彼は病気だよ、心の病気だ。全く別の性格、別人の記憶や知識に変わることも、それですべて説明できる」




 当然だろ、とでも言うように微笑んだ。


「昔、本で読んだことがある。とある町で、一人の青年がある日突然別人のようになった。穏やかだった彼は荒くれ者になり、言葉が通じなくなり、誰も聞いたことのないような言語らしきものを口走るようになった」


 驚いた周囲の人々は、彼の言葉について調べたそうだ。


「そしたらどうだろう、実はその青年の言葉は訳の分からない適当なもんじゃなかったんだ。気が遠くなるほど遠い、遠い国でだけ使われている言語だった。もちろん以前の彼はそんな国の言葉は知らない」


 ちなみに、書く文字もその国のものであったらしい。


「不思議だろう? 他にも似たような話はたくさんあるよ。本来その人が知りえない国の言葉、筆跡や訛りまでがらりと変わった例もある。これらはそういう病気として知られている」

「どんな病気なの」

「自分の中に、自ら全く別の人格を作る病気さ。アイテルとユキヒトは同一人物だ。もっとも、どうして本人が知りえないことを身につけているのかは解明されていないけど」


 じゃあ、別の遠い世界から来たとか、病気でベッドから動けなかったとか、そこで見た夢の話も嘘だったというのだろうか?

 妄言のようなものだと。


「ユキヒトにとってそれは真実だ。本当に起きたことなんだろうね。ただ、心の中で起きたことだと考えることが普通だよ……現時点では、ね」



 当たり前だろうなんてルフトは笑う。いつもより少し歪んだ表情で言うのだ。


 魔法でもない限り、そんなことが出来ると思うかい?




 病気と言われれば納得できる。


 ストレスでも何だっていい。原因があって結果があって、目の前の現象はすべて説明がつく。

 アイテルの母親だって納得するだろうと、家に辿り着く前からイルファは予想していた。どうしてか安心したように涙を流して、ありがとうなんて言うのだ。


 ようやくはっきり分かって、胸のつかえが取れたよう。


 病気なら仕方がない。息子が別人に変わってしまったと思ったけれど、本当は何も失っちゃいなかったのだ。

 なんて。


「ルフトくん」

「なんだい?」

 ううん、なんでもないよ。



 病気だと言われれば、本当にそれだけなのかと疑いたくなる。どちらも腑に落ちることがない、宙ぶらりんな現状。


 でも、ルフトはユキヒトを信じるだろうと予想していた。不思議なこと、化物、幽霊、怪物だって信じるのだ。これこそ魔法だと笑う彼の顔が目に浮かぶようだった。

 異世界から来たなんて凄いじゃないか、なんて。


 でもルフトは信じなかった。



「イルファ。結局はね、間違ったことなど一つもないんだよ。一つもね」







 信じているよと言った言葉をすぐに引っくり返したルフトは、アイテルの母親に話をした。



「あなたの息子さんは、心を病んでいらっしゃる。いいですか、これは単なる甘えでも、妄想でも何でもない……れっきとした病気ですよ。症例は少なくありません。操術のせいでも無いでしょう。アイテルには治療が必要なのです。もっとも、その治療法が確立されていないのですが」



 また涙を流した母親は、右腕のない青年に問う。心の病気なんて、本当にあるのですか。それに心が病んだからといって、どうして別人になるのでしょう?



 待っていましたと言いたげに微笑んで、ルフトはそれを口にする。心は一つの臓器であり、器官であると。

 人には性格、個性があって、それは心が作り出している。心が病めば通常の働きが出来なくなる故に、複数の性格が生成されることもあるのだと。



「心を臓器と捉えない医者なら、この異常を見抜けないのも当然でしょう。僕は以前、似たような症例を本で読んだこともありまして……このことも踏まえて、少し考えてみて下さい。息子さんとどう付き合っていくか、難しい問題とは思いますが」



 僕達はまだ村に居させてもらいますから、何かあったらいつでも呼んでくださいと言った。




 でも、イルファは師匠の表情を見つめながら、その裏側に隠された言いようのない感情を感じ取っていた。

 柔らかく細められた瞳の奥に、冷たい何かが絶えず揺らめいている。強い光だった。



 ユキヒトに信じていると断言した彼も、その後にあれは病気だと冷静に伝えた彼も、本当のことを言っちゃいない。間違ったことなど一つもないのだと思うけれど、ルフトの心はもっと別の結論を行き着く先として見ている気がした。


 それはまだ、イルファの目には映らない光。

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