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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第四章 カガミドリーマー
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 案内してもらった一室に荷物を放り投げるとすぐに、別人と入れ替わってしまったという人間が住む家に向かった。

 シエヴィアとマニは待っていてもいいんだよ、とルフトは言ったのだけれど、結局全員で行くことになる。


「私は子供が苦手なのだ……あの家には子供が、そう、わんさかいるぞ。取り残されるなんて考えただけで恐ろしい」


 とのことで。



 部屋を貸してくれた女性が案内役を務めてくれたのだが、村外れにある小綺麗な家の前まで来たところで、途端に不安そうな顔をした。


「……ここなんだけどね、思ったんだけど私、お節介じゃなかったかね。別に奥さんに頼まれたわけでもないのに操者さんを連れてきてさ、迷惑に思われないか心配になってきてしまって」

 それを聞いたルフトが、いつものような笑顔を向ける。

「大丈夫ですよ。確かに僕は医者でもないただの旅人ですが、自分にやれることはします」


 この言葉がどういう意味を持つのかはともかくとして、女性は一応安堵したようで、やっと家の扉を叩いた。


 迎え入れてくれたのは、微かにやつれてはいるが美しい女性だった。別人になってしまった青年の母親だという。






 ひと月前の話。青年は流行りの風邪をこじらせて寝込んだという。三日三晩目を覚まさず、村の医者には命も危うくなる可能性を示唆されたとか。

 しかし、彼は目を覚ました。熱もすっかり下がって、身体の不具合を訴えることもなく回復したという。


 ただ、別人となって。




「初めは、あんまり酷い寝込み方だったものだから、記憶も含めて混乱していると思ったんです。私の顔を見ても母親だと分からないみたいで……部屋を落ち着きなく見回したり、手を握ったり開いたりを繰り返していました」


 椅子とお茶を用意され、ルフト達は母親の話を聞いていた。扉を開けた瞬間こそ驚いたものの、案内してくれた女性と腕のないルフトを見るなり状況を察したようで、特に警戒することもなく家に入れてくれたのである。

 女性は子供の世話があると言って帰ってしまった。


「でも、いくら待っても記憶が戻らないんです。目が覚めてからは私にも酷くよそよそしくなって」


 実はただの風邪ではなかったのではないか。妙な病気に罹ったのではないか。


 そう疑ってたくさんの医者を呼んだらしいが、誰も彼もが口を揃えて異常はないと診断する。とうとう母親もお手上げだった。



 興味深そうに話を聞いていたルフトは、ここでやっと口を開いた。


「繰り返しになりますが、僕は医者ではない。息子さんを治すことが出来るなんて僕自身も思っていないですよ。それでも出来る限りのことはします」

「……いいんです。それでも、診てもらえるだけで」

「色々聞かせてもらえますか?」



 イルファはちらりと師匠の横顔を見上げた。真剣な眼差しを真っ直ぐに向けている。

 本当に大丈夫なのだろうか?


 もちろんルフトのことを信じているし、彼は賢い。何度もイルファを助けてくれた。しかしこれはどうだろう?

 彼は医者じゃない。

 操者でもないのだ。



「息子さんの名前と……彼がどんな人だったか教えて頂けますか?」



 金色の目が輝いている。


「息子の名は……アイテルです。昔からあまり喋らない子でした。でも優しくて世話焼きでね、村のみんなから慕われていたと思います。夢はツェストになることでしたが、あの子は指を切り落とさなかった。その代わり、剣の練習を熱心にやっていました」

「へぇ、ツェストに」


 操者でなくてもなれるのだろうか?


「アイテルさん、ですか。いい子だったんですね」

「ええ……真面目で、いい子で」


 母親が思わず涙ぐむ。


「でも、目覚めたあの子は変わってしまいました。私のことも覚えていない」

「別人と入れ替わってしまったようだと聞きました。単なる記憶喪失ではないのでしょう?」

「ええ……そうなのです」


 ルフトが目を細める。


「彼が変わった後、なんと?」


「私のことを知らないと……ここは外国かと聞いてきました」

「名前は?」

「……はい?」

「名前は、なんと名乗っていましたか」


 ですからアイテルと、と母親が繰り返す。しかしその目は涙ぐみ、やがて嗚咽を漏らし始めた。

 ルフトはじっと、何も言わずに待っている。


 彼の名前を。



「……ユキヒト」


「それが彼の名前ですか」

「はい。息子は、アイテルは自分の名をユキヒトだと言いました」



 アイテルは別人になってしまった。


 名前さえ、失ってしまったというのか。



 ねぇ、と母親が呟く。流れ続ける涙が彼女の手を濡らしていた。

「恐ろしいんです……何より、恐ろしい。あの子は何も変わっていないのに、いつも通りのはずなのに。私と向かい合う彼の中に、全く違う生き物が入っているかのよう」


 目つきも口調も、ちょっとした癖さえ別人のそれ。姿形は同じなのに。



 誰かが私の息子を操っているのよ。



 母親は声を絞るようにしてそう言った。何者かが自分の息子の中に入って、困惑したような顔をするのだと。何も分からない、混乱したような表情。

「アイテルはあんな顔をしないわ……強くて冷静で、気遣いのできるいい子なの。ねぇ、あの子は誰なの。誰がアイテルを隠してしまったの?」



 ルフトは哀しそうに微笑んで、ぽつりと言った。


「目に見えなくなったものは、あなたから隠されてしまったのですね」


 そういう事なのですね。









「大事なのは名前なんだ。性格がどれほど変わろうと、記憶が失われようと、名前さえ元の通りなら同じ人間なんだよ」


 そうルフトは言った。


「だがアイテルは全く別の名前を名乗った。彼が別人になったということは名実ともに明らかなのだろう」


 私も名前ほど大事なものはないと思うぞ、とマニが口を挟む。アイテルの母親の話を聞いている間は大人しくしていた彼は、解放されて、文字通り羽を伸ばしていた。

「それにしては、私の名前をいつまでたっても覚えぬ小僧が気にかかるが」

「ねぇー考えてるんだから鳥ちゃんは黙っててよ。真面目な話なんだからさ」

「鳥ちゃんではない!」

 つい大きく羽ばたいてしまったマニの翼が、バシバシとシエヴィアの頬を打つ。


「ま、話を聞けば大体のところは分かったよ。あとは主観的な……ユキヒトの話を聞くだけ」



 家から出てすぐの所から見える、村の外にある小高い丘の向こうにアイテル、もといユキヒトはいるという。彼の人格が大きく変わってしまう前も後も、唯一変わらずそこで剣の練習をしているとか。

 そこへ向かいながら、ルフトはひとつため息をついた。決して暗くない、深呼吸のような息だった。



 今まで育ててきた息子が、たった三日三晩寝込んだだけで別人になってしまった母親の気持ちは、どんなものだったのだろう。


 そして、アイテルは何を思っているのだろう。



「それにしても妙ではないか。ユキヒト、なんて聞いたことのない名前の響きだぞ……一体どこの言葉だろうな?」






 ふっと、思い出したのはファセットだった。彼は今のイルファを見て、やはり変わってしまったと言うのだろうか。


 境界線を越えて、遠く、遠く。

変わってしまったなら、その時。

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