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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第三章 ジャンクヒーローの移り火
31/42

 青ざめたイルファの肩をそっと叩いて、白髪の青年は弟子を労った。彼らが潜んでいた茂みは既に静けさに満たされている。

 葉と葉の間から見える森の道には、もう誰もいなかった。ただ千切れた青葉や枝が散らばっているだけで、少し荒れた程度の景色が残るのかと思うと言いようのない後悔みたいなものが胸を満たす。

 深く息を吸って、吐いた。


「落ち着いたかい」

「だ、大丈夫……ありがとう」


 操術の使いすぎで疲れたなんてことは無かった。こんなもの、あの桜の村でアルバイトをしていた時の方がずっと大変だったのだから。

 ただ単に、怖かった。


 人間を攻撃するということが、怖かっただけ。



 マリウスとロゼッタに向けて操術を放つ間、ルフトの左手はしっかりとイルファの右腕を握っていた。

 弟子が怖気づいて、小指のない手を下ろしてしまうことがないように。


 誰かを傷つけることは恐ろしい。言葉で攻撃するのなら、まだ恐怖は少ないのかもしれない。でも、彼女は存在しない指から発せられる力を介して、人間を直接傷つけようとした。

 絶対に殺すつもりはなかった。あまり怪我をさせないようにしたいな、とも思っていた。

 しかし手加減をすることは許されていなかったのだ。


 思っていた内容は単純だ。苦しめようと操術を振るった。



 荒れた息を整えている間に、ルフトがひらひらと左手を掲げて振った。それを見て、空を覆う木の枝の向こうから銀色の鳥が降りてくる。優雅に翼を広げ、長い尾を靡かせながら。


「私の美声に恐れをなしたようだな」

「普通、どんな美声でも怖くて逃げ出すことはないと思うけどね、鳥ちゃん」

「鳥ちゃんではない、マニ様と呼べ小僧」

「はぁー?」


 少し偉そうになったマニをしっしっと追い払うと、ルフトは立ち上がった。道を挟んだ向こう側の茂みから、カルラが歩いてくる。



「いやぁー、楽しかったねぇー……まぁぶるぶる震わせてただけなんだけどね」

「そんなことないさ、いい具合に不気味だったよ」

「ルフトがそう言うなら満足だねー。いい出来だったでしょ、あの木の怪物は絵本のとおりで」


 どうやら、カルラが幼い頃読んだ絵本に出てくる生き物らしい。現実にあるものを作れないなら、そういう創作物を具体的に想像することで何かを生み出すことが主流になるのだろうか。


「木こりと森おばけっていう有名な本……あれっ、みんな知らないのかねぇ」



 もちろんイルファは知らない。東の果てには流通していないのだろう。


「僕も知らないよ。中央辺りでだけポピュラーなんじゃない」

「ふぅん、ルフトはどこの出身だっけぇ」

「北だよ」


 ちら、とマニがルフトに真っ赤な目を向けた。もう言葉を発する気は無いようで、大人しく近くの枝に止まっている。



 がさり、と背後から音が聞こえた。驚いて振り返ると、草むらに埋もれるようにしてシエヴィアが立っている。

「ああ、おかえりシエヴィア。案内役ありがとう、とても良かったよ」

「……いえ、あれくらいなら」

「偉い、偉い」


 黒髪に絡みついた葉を取りながら、ルフトが上機嫌で少女の頭を撫でる。上手くいくかと心配していたけれど、シエヴィアは案外しっかりとやるべき事をやってくれた。

 全て作戦通りに進んで、終わったというわけだ。




「これで、怪物は退治されたってことだよねぇ」


 ぽつり、とカルラが呟く。


「めでたし、めでたし?」

「そうなんじゃないかな」

「ルフトは無責任だねぇ……心配になっちゃうね」

「大丈夫さ、君がばらさなければね。少なくともツェストさんなんだから、ばらしたら自分の怠慢まで露見するだろ?杞憂だよね」


 むうっと口を尖らせて、カルラは仕方がなさそうにため息をついた。






 その後、カルラはまた素早く左手を振って操術を使った。現れたのは怪物でもなければベッドでもなく、どこかで見たことがあるような可愛らしい木馬だった。普通の馬と同じくらいの大きさで、玩具にしてはしっかりした造りをしている。


「のんびりしすぎちゃった。早く中央に行かないと、休暇が終わっちゃうねぇ」


 そう言って焦ったように木馬に跨るのだ。


「ルフト達はどこへ向かうの?」

「今はとりあえず、首都の方へ。操術の震源地だからね」

「……本当の震源地は北でしょ、エアタ教はそっちから南下してきたんだからねぇ」

「どうだろうね」



 ルフトの曖昧な返事に首を捻りながら、カルラは笑った。



「とりあえず、また中央で会うかも。その時はまたよろしくお願いしたいけど、頼むから問題起こさないでね。あたし、君らをしょっぴくの嫌だからねぇ」

「僕がそんなに危なっかしく見える?」

「いいや……というか、堂々と悪いことやりそうだねぇ」

「しないよ、平和主義なんだから」



 信じてるからねぇ、と言い残して、カルラはさっと左手を振る。木馬がカタカタと震えたかと思うと、途端に滑らかに関節を動かして走り出した。

 振動がきつそうだが、彼女はもろともせずに乗りこなす。金髪を靡かせて、みるみる西へと走り去って行った。



 残ったのは土埃だけだ。イルファには微かに、彼女が放った操術の残滓の様なものを感じ取る。

 目に見えない粒子が漂っている気がするのだ。



 カチカチと嘴で音を立てた銀の鳥が呟く。


「……犯罪は嫌だぞ」



 しないって言ってるだろ、とルフトが笑った。








 あとは早々に立ち去るだけだが、森を抜けようと歩き出した時、マニがルフトの前に出て大きく翼を広げた。

「待て、待て。少し気になることがあるのだ」

 もう西の出口は遠くないはずだったが、渋るように行く手を阻む。


「何、未練でもあるの」

「違うわ。森の中にな、人が住んでいるのだ」

「そんなの聞いてないけど」


 本当なのだ、と繰り返す。


 探してほしい、と頼まれた五人のうち三人は無事に見つけた。ひとりは遅刻しそうだと大慌てで西へ走り去ったし、真っ赤な髪の青年と同行する女性も東へ歩いていった。後者は傷だらけだから、あまり無事とは言い難い気もするが。

 残るは東西に在中しているツェストだが、彼らはマニの歌で気絶した訳では無いという。


 西へ歩いて行ったそうだが、カルラが見つけてくれただろうか?


「……嘘じゃないだろうね」

「何故私が嘘をつかなくてはいけないのだ。この森に来た時、一通り見て回った時に見つけてな。家が五つくらいと小規模ではあったが、人も住んでいたし村みたいだったぞ」

「鳥ちゃんが来た後にみんな逃げただろう。僕は何も聞いていないよ」


 渋るように目を細めて、ルフトが足を止める。


「誰も何も言っていなかったよ。行く意味ないと思うけど」

「そ、そんなことを言うな」


 邪魔だよと左手で払われても食い下がって、翼を使って暴れる。


「待てと言っているだろうが! そこに住んでいる奴らにな、はじめに話しかけようとしたのだ。そうしたら突然弓を射掛け、網を持って私を追いかけ回してきた。まだ一言も発していないのに、連中は私をなんだと思っているのだ……」

「それだけ?」

「ち、違う。連中がそこから出て東でも西でも良いがな、森から出ていくのを見ていないのだ。まだあそこに留まっているに違いない」


 ますます顔をしかめるのを見て、マニがまた首を縮めて小さくなる。


「本当なのだ……奴らは熱心に私を狙っていた。そりゃあもう大変だったのだぞ。しかし、あまり家のある辺りから離れようとしなかったから、それ以来鉢合わせてはいないのだが……それ故に、まだあそこに留まっているのではないかと気になるだろう」


 なんだか気になるだろう?と繰り返す。



「うーん……ルフトくん、ちょっと見ていこうよ」


 堪らずイルファが口を挟んだ。


「そんなに時間も取らないでしょ?ほら、きっと逃げちゃってるだろうし、確認するだけだから」


 ふん、と不服そうにため息をついたルフトは、迷った末にシエヴィアに目を向けた。


「どう思う?」

「……どちらでも」



 仕方ないね、と笑った。









 道から外れて、草木をわけ行って進むと、そう苦労しないうちに家が見えてきた。全部で六軒の家が寄り添うようにして集まっていて、村と呼ぶには小さすぎるくらいだ。

 ルフトがさっと左手で制して足を止める。


 物音はない。まだ距離があるせいで分からないが、一番近い家の扉が開いたままであることはなんとか目視できた。

 明らかに無人だった。


「やっぱり逃げちゃったんだね。鳥さんが気付かなかっただけで」

「鳥さんではない! ……そんなはず無いのだが」


 近くの枝にとまって不安そうに足踏みをしているマニが、恐る恐るルフトの表情を伺う。彼はまだ何も言っていない。



「……そうだね、無人みたいだ」


 でも待って、とルフト。



「もしかしたら在中しているツェスト達が逃げ込んでいるかもしれない。少し確認してくるよ」

 乗り気ではなかったはずの彼が、真っ先にそういった。

「じゃあ私も行ってあげようではないか」

「いいや、鳥ちゃんはシエヴィアと一緒にここで待っていてくれ。出会った時に追いかけ回されたなら、もし鉢合わせになったらまずいだろ」

「そ、それもそうだな……」


 ここで大人しくしててねと釘を指すと、彼はイルファにも留まるように言った。

 もちろん弟子として食い下がるが、ルフトは全く聞く耳を持たなかった。理由は分からないが、どうしても一人で見て回りたいらしい。


 留まれと言われたなら、イルファはその通りにするしかない。



 仕方なく、全員でルフトを見送った。


 彼は臆することなく家々に近付くと、一軒一軒丁寧に中を覗いて回った。大抵は扉が開いたままになっていて、そうでなくとも鍵はかかっていなかったらしい。幾つかの家は中まで入ってきっちり確認すると、思ったよりすぐに戻ってきた。



「やっぱりダメだったよ。無駄足になったね」


 そう笑うと、ルフトは迷いなく道へ戻る。

 マニは何度か未練がましく振り返ったが、無礼な奴らめ、と吐き捨てるように言って諦めた。



 シエヴィアがそっと呟く。

「ルフト。靴、汚れてるよ」

「ああ、ありがとう」



 土の地面に擦り付けるようにして、ルフトは、ほんの少しだけ靴に付着していた赤黒いものを拭き取った。


本当の怪物は。

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