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遠くに目をやると、景色が柔らかな緑色に透けている。やはり、森はこの色がいいと心から思った。薄紅色の森なんて、なんだか奇妙だ。
これが、普通だ。
白髪の青年が話をしている間、口を挟まずにじっとしていたカルラは、眉間のシワをどんどん深くしていった。
「ちょっとストップ、あのねぇ、前から君はおかしかったよルフト。おかしかったけどねー……ますます頭、変になった?」
「失礼なことを言うなよ」
にやにや笑いながら反論するルフトを無視して目を向けた先には、銀色の美しい鳥。
「そいつが怪物の正体だってぇ?」
「言っとくけど僕たちのペットだから、引き渡すことは出来ないよ」
「飼い主の不始末じゃんか、あたしを巻き込まないでよね」
その言葉を受けて、ペットが怪物になったんじゃなくて怪物をペットにしたんだよ、なんて言うのだ。
マニはまた、足踏みをしている。枝の上で右、左と交互に足を上げたり下げたり、ゆっくりと繰り返す。
信じてもらえないのも当然なら、協力してくれないのも当然だとイルファは思うのだけれど。
「わざわざ怪物を選んだんだから仕方ないんじゃない? それにさ、今さっき飼い始めたなら大した情もないよねぇ。捨ててもいいよねぇ」
まったくその通りだけど。
「ダメだよ、一度飼い始めたペットには責任持たないと。あの鳥ちゃんをツェストなんかに渡せない」
「あたしもツェストなんだけどねぇ……」
嘘臭いセリフを堂々と口にすることで、カルラとマニの双方から敵意を買っている気がする。ルフト本人が気にしていないのならいいのだが、果たしてこんなことで上手く行くのだろうか?
怪物を偽装するなんて。
「……カルラ」
ため息混じりにルフトが微笑む。
「君さ、頭の上に怪物がいたのに、気にせず寝たようじゃないか」
「み、耳栓してたからねぇー……」
「それにさ、道の真ん中に男女が倒れてなかった?見殺しにしたの」
「気を失ってるだけかなって思ったから、それより怪物を見つけるのが先だと……」
「でも、結局何もやってないだろう?」
カルラが冷や汗をかき始める。
「だ、第一あたしは休暇中なんだよねぇ! そろそろ仕事始まるから急いで中央に帰らなくちゃいけないけど、でも今はツェストとしての活動はお休みで」
「森の東の村で話は聞いたよ。休暇中だけど通りがかりのツェストさんが森を調べに入ってくれたって。でもさっぱり帰ってこないから探しに行ってくれって」
休みでも何でも、自分の職業を明かして協力したなら君はツェストなんだよ、と言った。
カルラはしょんぼりと肩を落としている。
「君が寝ちゃって仕事を全う出来なかったこと、僕が言いふらしてしまうかもしれない。そしたら大変だ、カルラは上司にこてんぱんにされてしまうね。ちなみに僕はあの鳥ちゃんを引き渡したりしないから、怪物は結局誰にも退治されず、どこに行ったかも分からず終いになるだろう」
これは東で起きたちょっとした事件だよ。
「とはいえ事件は事件だ。適当な対応をしたらいけない。でも、所詮ちょっとした、事件だ。解決してしまえば問題なかろう」
僕に考えがあると言ったろう?と優しい笑みを浮かべているルフト。
「君が協力してくれたら、ことは解決。怪物は倒され、ひとり英雄が生まれるだけだ。君は解決こそ出来なかったけれど、問題を見過ごしたり悪化させることは無い。どうだろう」
頼むよ、と。
ルフトはまだ繰り返した。口を尖らせているカルラの肩を掴んで、そりゃあもう逃がさないようにがっちり掴んで微笑む。
「頼むよカルラ。一年前、助けてあげただろう?」
その言葉が決め手だった。助けを求めて目を泳がせていた彼女は、やっと観念してルフトと目を合わせた。
イルファからは師匠の顔が見えないけれど、あの美しい金の瞳を知っている。
「……仕方ないねぇー」
ほんのり顔を赤らめて、カルラは観念した。
森で眠っていた、金髪の女性。
一年前のルフトを知っているカルラ。
彼女の操術は、頭に思い描いたものを具現化できる。ただ、現実に存在するものに対してはあまり相性が良くなかった。
例えば毎日座っている、椅子。
背もたれの高さ、木の色に模様、肘置きの長さや厚さは。脚の形はどのようで、角度はどの程度だろう?どれほど身近にあるものでも、頭の中で正確に描くことは難しいのだ。
「あたしの操術は、まさに想像力を源としている。だから分かるんだねぇ……どれほど、人間の想像力が弱く、脆くあるのか。みんな考えたことあるのかねぇ」
カルラは現実にあるものを操術で作り出すことが出来ない。自分のベッドを除いては、だが。
なら何なら作れるのか?
「想像したものよ。例えば本を読む。化物がお話の中に出てくる。あたしはそれを想像するんだねぇ。大きさはこのくらい、翼はこんな長さでって具合に」
現実にあるものを想像して作り出すより余程正確だと彼女は言った。
つまり。
「怪物の姿を作り出すに持ってこい、ということだよ。もしカルラがいなかったら、聞いた話のとおりに、おかしな音を出す姿の見えない怪物ってことでなんとかしようと思っていたけど」
「ルフトは無茶な事考えるねぇ」
「いいや、それでもなんとかなったとは思うけど。だが、君のおかげでいやにリアリティが増すだろう。有難いなぁ」
「あたし、必要なのかねぇ……」
カルラは怪物の姿を作る。マニは木の上に隠れて、歌を歌う。
イルファは茂みに潜み、ルフトの指示に従って怪物の攻撃を作り出すことになった。
「ル、ルフトくん……怪物って音を出すだけなんじゃなかったの?」
「それだけだと味気ないだろ? 大丈夫、僕の指示に従っていればいい」
そして。
「頼むよ」
ルフトはシエヴィアの肩をそっと叩いた。
◆◆◆◆◆◆
ゆめをみていた。
大切な人の、ゆめ。
「……う、うう」
酷い頭痛に苛まれて、彼は眠りから醒めざるを得なかった。しかし、目を開いても苦しみは消えない。
気分は最悪だった。
しかし何者かが、苦しむ彼の肩を規則的に揺すっている。起きないわけにはいかない。
薄らと滲んだ地面が見えている。目覚めてやっと分かったことだが、彼は腕の中に人間を抱きしめていた。
「お、おい。ロゼ……ロゼ!」
幼馴染みのロゼッタだ。なかなか動かない彼女が無事かと、必死で揺する。
「……なに……うるさ」
「うるさいってことはないだろ……起きろって」
昔から寝起きは機嫌が悪い彼女だが、流石に抱きしめられながら揺られたのでは眠り続けることも出来なかったらしい。
「……マリウス。耳元でうるさいよ」
「起こしてやったんだから感謝しろって。怪我はないか」
「多分ね。頭は痛いけど」
ほっと息をついた彼の名前は、マリウス。血のように濃く深い赤色の髪が特徴的な青年である。
「ちょっと、近い! は、離れてよね……」
完全に覚醒して暴れだしたロゼッタに殴られながら、マリウスは彼女を離して身体を起こした。
頭上から奇妙で恐ろしい音が降ってきたと思ったら、すぐに気を失ってしまった。周囲は静かな森のままで、周囲に怪物の気配もない。
どうやら助かったらしいが。
そこで、マリウスはやっと、自分を揺すり起こした人間を見つけた。
と言っても最初から目の前に座っていたのだが、あまりにも気配がなく微動だにしないため、認識するのに時間がかかったのである。
美しい少女だった。艶やかな黒の髪に瞳。真っ白い肌。
「……私を、助けてください」
無表情のまま、少女はそっと呟いた。
彼の名は、マリウス。