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見上げた空に。
「嘘をつく、ということかね」
静かに問いかける鳥が、その瞬間、とても神聖なもののように思えた。
「そういうことも必要であればやらなくては。鳥ちゃん、嘘は嫌いかな? 少なくともこれ、君のためにつく嘘でもあるんだけれど」
木に背を預けて、乱れた緋色の外套を直しながら青年は問うた。涼しい顔をしている彼を見下ろして、鳥はゆるゆると首を振る。
「そんな子供のようなことを言うつもりはない。あと、鳥ちゃんと呼ぶな」
呼び方のくだりは綺麗に無視をして、ルフトはよかったと笑った。
「方法とかはこれから考えるけど、何とかなるだろう。怪物を作る前にやらなきゃいけない事があるけどねぇ……森に入ったまま戻ってこない人間を助けるのも、一応僕らの役目だから。そこら辺は鳥ちゃんの協力が必要だ、頼むよ」
何度言ったら分かるのだと銀色の羽を毛羽立たせて怒る。思わず可愛いと呟いたイルファに、鳥が鋭い目を向けた。
「協力はしよう。旅に同行するという申し出も悪くないな。しかし、その無礼な呼び方は今すぐやめろ」
「じゃあ名前を教えてよ、鳥ちゃんじゃなくて何ちゃんなのか」
「どうしても態度を改めないようだな小僧……貴様から名乗れ」
一層の敵意を持って睨まれたルフトは、だらりと座ったまま口の端を持ち上げた。
いつもと同じように、名乗るのだ。
「僕の名前はルフト、魔法使いだ。こっちが弟子のイルファ、操者だよ」
もうすっかり見慣れた表情だが、やはり鳥なりに怪訝そうに目を細めた。
「は、魔法使い? 随分古臭い言い方をするのだな。子供っぽいとも言うが……操者と言えばいいだろう、南の人間らしく」
「操者と魔法使いは別物だよ」
聞き慣れたフレーズを返したルフトを見つめながら、イルファの心に疑問が浮かぶ。南の人間らしくとはどういう意味だ?
「それなら魔法使いの弟子は魔法使いなのではないか?」
「別に弟子が操者だからっていけないことはないでしょ。鳥ちゃん、もう少し柔軟に行こうよ……それと、こっちの黒髪の子はシエヴィアだ。仲良くしてね」
「ふん、まあいい……そちらの娘は、指も欠けていないようだな」
シエヴィアがやっと鳥に目を向けて、次に自分の両手を顔の前まで持ち上げてしげしげと観察した。きちんと指が十本あるか、確認するように。
「そうですね。指が十本」
「操者ではないのか」
「私はピアノです」
「……うん?」
居心地の悪さをどうにかしようとしたのか、鳥はぷるぷると体を震わせて羽を正した。
一呼吸置く。
「ピアノ?」
「はい」
「ピアノとは、どういうことだ?」
「私はピアノだということです」
困惑しきった目をルフトに向ける。
青年はひらひらと左手を振って、そういうことなんだよと全くアテにならない言葉で応えた。正直なところを言うとイルファだってよく分かっていなかった。
きっとルフトは理解しているのだろう、なんて思う。それなら、自分が分かっていなくても大したことじゃない。
「どう見ても人間の娘だが」
「シエヴィアはピアノなんだよ。操術で楽器に込められた命で……」
「そ、そんなわけあるまい。小僧、適当なことを言うな」
「小僧じゃなくてルフトだよ」
分からぬ分からぬと苦しんだ銀色の鳥は、折角整えた羽を乱して、それから諦めたように項垂れた。役目は終わったと言わんばかりに、ピアノの少女はまたあらぬ方向を向いてぼうっとしている。
「さ、鳥ちゃんも自己紹介をしてよ」
ルフトに促されてやっと顔を上げた鳥は、そうだな、と呟いて胸を張った。これで羽が乱れていなければ立派に見えたかもしれない。
「私の名前はマニだ。本当は貴様らのような人間が対等に言葉を交わすことも出来なければ、名を呼ぶことも出来ないのだがな。しかしここは特別に許してやらぬこともない。私は寛大で、聡明であるのだから」
と、威厳ある声で言い放った。自然とイルファは目を閉じて美しい音に耳を傾けた。まるで目の前に王でもいるかのような空気を感じたのに、目を開くと鳥が一羽いるだけだ。
「へえ、鳥さんはマニって名前なんだね……!」
イルファが思わず呟くと、マニは真っ赤な目を釣り上げた。
「おい娘、私は鳥ではないぞ」
「ええ、?だって見るからに鳥……」
「イルファ、もしかしたら操術で鳥に化けた人間かもしれないよ」
楽しそうに口を挟んだルフトの言葉も、人間などではない! なんて叫ぶマニに呆気なく否定される。
「私はマニだ。鳥でも人でもない。心得ておくがいい」
シエヴィアのことを言えないよなぁ、とイルファは思う。
操者に見えるのに、いや魔法使いだと言い張るルフトに。
魔法使いの弟子なのに操者だというイルファに。
人間に見えるのに、自分はピアノだと譲らないシエヴィアに。
鳥に見えるのにそれを否定し、じゃあ人かと問われればそれすら否定するマニ。
こんなに奇妙な集団が他にあるだろうか?
自己紹介を終えてお互いの肩書きについて散々言い合ったあと、話はやっと、この小さく美しい森に遭難した者達に及んだ。
探すのはツェスト三人だ。東と西、森にある二つの出入口の村に在中していた二人と、休暇中に通りがかったという金髪の女性。怪物退治やら治安維持のプロが揃って行方不明とは大事である。
あとは操者の女性と剣をさした青年。
女性と青年は、さっき見かけた。怪物を警戒してその場に残してきてしまったけれど、今もまだ気を失っているのだろうか。
そして、赤髪の彼はマリウスなのか。
どうしても気になってしまうイルファは、誰にも気付かれぬよう小さく首を振って疑問を散らした。
「ほう……では、探しているのは残り三人か。どれもツェストとかいう奴らなのだな」
「心当たりはあるかい?」
「まあな。私は音楽を愛しているが、四六時中歌っているわけではないのだ。東から歩いてくる緑のマントで右手を隠した者なら見かけたぞ。丁度食事をとっている時でな、歌っていなかったのだ」
歌っていなかった?
それなら東の村に在中していたツェストは、どこかで気絶しているわけではないのだろうか。
「声をかけようと思ったのだがな、やけに警戒して歩いているものだから気が引けてしまった。私が出て行ったら驚かせてしまいそうだったのだ」
「まあ、喋る鳥だしねぇ」
「鳥ではない」
律儀に訂正して、マニは憂うように息を吐いた。
「奴なら真っ直ぐ、道を西へ行ったぞ。逆に西から来た者は見ていない。私はいつもここら辺……森の丁度真ん中辺りにいるのだが」
「へぇ、不思議だね。じゃあもう少し西に行けば会えるかな? あの音にやられていないなら森を抜けられるのに、どうして遭難者扱いになっているんだろうね」
もし彼らが西側へ抜けたのなら、流石に東の村にも報告が来ているはずだった。
「私が知ったことではない。あと残るは一人か。金髪の女も見かけたぞ」
あれは妙な女だった、とマニは言う。
聞けばその時、彼はいつものように上機嫌で鼻歌を歌っていたらしい。それを耳にすれば例外なく膝をつき頭を垂れるはずだと思っていたのに、その女性はまるで、何も聞こえないようにゆっくりと歩いたという。
「それであの女、まったく平気そうに彷徨いてな。あの茂みに消えて行ったわ」
マニは首を捻ると、美しい銀の嘴で真後ろを指した。
道を挟んだ向こう側には確かに、こんもりとした茂みがある。
「まだあそこに居るだろう。なんとも妙な女だ」
ぎょっとして硬直したイルファの隣で、青年が素早く立ち上がった。いつもより険しい顔をしている。
「ル、ルフトくん」
「見てくるね」
止める間もなく彼は茂みへ入っていった。慌ててその後を追うと、驚くべき光景がそこにあった。
森の中に、ベッドが置かれていた。
全く汚れていない、さっきまでどこかの家に置いてありましたと言われても疑わないくらい綺麗なベッドが、森の中にぽつんとひとつ鎮座している。
木漏れ日の差すその下で。
真っ白いシーツの上に、金髪の女性がすやすやと眠っていた。