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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第二章 サクラチルゴースト
21/42

10

ゴーストの声が聞こえるか。

 夢のような景色だった。部屋は暗いはずなのに、全てが鮮明に見える。


 一人の少年が椅子に座って、本を読んでいた。


「見ろへレイ、綺麗だろう」


 部屋の隅に壮年の男性の姿が浮かび上がる。彼はケースから美しいヴァイオリンを取り出すと両手で持って掲げて見せた。


「やめてよ父さん」

「どうして。南方で作られたものらしいが、なかなか精緻な操術が込められている。こんなものは二つと無いぞ」

「そうじゃなくて」


 へレイと呼ばれた少年はよろけながら立ち上がって、カーテンの隙間をぴっちりと閉め直した。



「誰かに見られたらどうするの」




 ふっと景色が溶けて、また同じ部屋を作る。今度は少年一人しかいない。


 しばらくすると扉が勢いよく開いて、女の子が飛び込んできた。


「おはよーっ! 元気?」

「元気なわけないだろ」

「じゃあ分けてあげるね、私の元気」


 迷惑そうに顔をしかめる少年にぐいぐいと近寄った女の子は、握りしめていた桜の枝を差し出した。


「……また、桜?」

「へレイはお外に出られないから、私が届けてあげるの! 今年も綺麗だよ」

「毎年見ているじゃないか、飽きないの?」

「飽きないよ」


 ずっとずっと飽きないよと笑って、女の子はへレイの手に桜を押し付けた。

 青白い少年の頬が微かに色付く。


「へレイは一人ぼっちじゃないからね。私が毎日届けてあげるよ、元気」


 食い入るように桜を見ていた少年は、顔を上げて少し泣きそうな顔をした。

「そんなことしたって意味無いよ、どうせ、僕なんてすぐ死んでしまうんだから」

「ちがうよ! アルツ先生も大丈夫って言ってたんだから、大丈夫!」


 どこからやってくるのか分からない自信で、いつだって彼女はへレイを勇気づけた。



 明日への希望へ、変わっていく。



 女の子は毎日へレイの家に通って、彼の世話を焼いた。彼女に助けられてやっと生活が送れていた。何年経ってもそれは変わらない。

 永遠に続くかのような日常。


 そのはずだった。


 二人は年を追うごとに成長していく。恋人同士になったのはごく自然な流れだったけれど、何かが噛み合わなくなっていく。


「へレイ、ちゃんとご飯食べなきゃだめよ」

「ああ」


 向かい合っているのに、少女は俯きがちになった。声は落ち着いて、考え込むことが多くなった。柔らかな沈黙が増えた。

 彼女の瞳の優しさは増して、言葉は少なくなっていく。これが本来の性格だった。


 へレイはじっと、自分の恋人を見つめている。



 彼女は既に、桜の枝を運んで活力を分けてくれる存在ではなくなった。いつもそっと寄り添ってくれているのに、沈黙の優しさに気付けない。


「昔の君は太陽みたいな人だったね」


 ぽつりとへレイが呟く。彼女が意味を問うても答えは返ってこない。



 彼の中で、少女は永遠に生きている。




 いつの日からか、へレイの家に少女がやって来るようになった。桜の枝を持って、弾けるような笑顔で。彼女は扉を開けて飛び込んでくると、枝を押し付けてふっと消える。毎日、毎日。

 何度も。


「へレイ……その枝、どうしたの? どうして毎日持っているの」

「届けてくれるんだ」

「誰が?」

「君が、だよ」


 過去に心酔すればするほど、現実は意味を失っていく。いつしか同居する彼女が煩わしくなった。結婚してもしなくても、毎日夢のような少女は桜を持ってくる。


 彼女がいようといまいと、少女は生きる力を持ってくる。あの笑顔で。



 彼女がへレイから枝を取り上げた。

「なんか、変だよ。どうしたの」

「何がだよ」

「ずっと思ってた。最近ずっと変だわ」

「だから、何が」



 おかしいことなんて何も無い。

 世界は噛み合って回っている。少女が来る度に幸せになれるのがその証拠だ。

 それなのにこの女は、取り上げようとする。

 調和を、平穏を。

 幸せを。



 へレイはある日、処方されていた薬を大量に溶かして料理を作ると、彼女に食べさせた。しばらく自分は何にも頼らず病魔と戦わなくちゃいけなくなるけど、構いはしなかった。


 彼女は死んだ。


 へレイがげっそりと痩せたのを、村のみんなは悲しみのせいだと勘違いした。



 毎日夢の少女はやってくる。葬儀が終わり、埋葬が終わり、地下室に置いていた金の鍵が無くなっていることに気付くまでは、幸せな日々が続くと信じていた。













 目を開いたまま夢を見ていたような、そんな気分だった。イルファは何度も瞬きをして焦点を合わせると、隣に立っているルフトを見上げる。


「……ルフトくん」

「見えたね」

「うん」


 会話はそれだけだった。ルフトは迷いなくへレイの家の扉に近付いて大きく開く。

 病弱な青年はひとり、椅子に座って彼らを見つめていた。

「とうとう、彼女を壊してしまったのか」

「触れれば消えるような脆いものだもの。仕方ないよねぇ、へレイ?」


 ルフトは家の中に入らず、ゆっくりと後ずさりを始めた。

「外に出ておいで。話をしよう」

「家の中でも話ならできる」

「言うこと聞きなよ坊や。これをご覧」

 ルフトは左手を掲げた。そこには金色の鍵が握られている。


 へレイの表情が変わる。


 よろけるようにして立ち上がると、扉に手をつきながら外に出てくる。イルファは緊張して、震えた手を押さえつけるように握った。



「それを返せ。約束だろう」


 そうだね、とルフトは微笑んだ。


「ねえへレイ、君は酷い人間だ。愛されてるのに気付かないふりをして、自分が望まないものは摘み取った」

「彼女がぼくを愛していたかどうかは、どうでもよかった」


 そんなことは知らないんだ。


「必要なものだけ、欲しいものだけ手に入れたい。見たいものだけ見ていたい。人間みんなそうだろ」


 へレイは苦しそうに息を吐き出して呟いた。目はじっと金色の鍵を注視している。



「記憶の中に必要なものがあるなら、それを抱えて生きていいと思うんだ」



 操者には、それを実現させるだけの力があるということなのだろうか。己の記憶を元に、いつか見た人を蘇らせる。東の野で化物退治を頼んできたあの老人もそうだった。



「教えてあげる、あの女の子はゴーストなんだ。ぼくの婚約者は、あの活発さを失った時に死んだ。あれはゴーストだ」

「自分が作ったものを、まるで本当の命があるように言わない方がいい」


 ルフトが冷たく言い放つ。



 イルファは、桜の木の根元に座っていた女性を思い出していた。彼女は柔らかく微笑んで、水を被って震えていた少女が風邪をひかないか心配してくれた。

 悩みを打ち明けると、分かるわと言ってくれた。


 優しくしてくれる人、優しくしたい人に嫌われると居場所がなくなるように感じると。


 本当に相手から価値がないと思われたら殺されるのだと。


 一体どんな思いで、イルファにそう言ったのだろう。



 ルフトが大きく手を掲げる。誰からもはっきり、鍵が見えるように。

「傲慢なのは嫌いじゃないけど、それでも君のせいでうちの弟子が酷い目に遭ったんだ。許してあげられないよ」


 人殺しめ、と笑う。



 そうだ、花の散る下で彼女は言ったじゃないか。

 イルファがへレイの名前を出した時、へレイが殺人犯だと嘘をついていることを告げた時に、言ったじゃないか。



 一切の迷いもなく。

 じゃあ、あなた人殺しね、なんて。



 殺された被害者だもの、誰よりそれが酷い嘘だと知っていたくせに。




 ルフトはゆっくり、鍵を左手で隠した。イルファもへレイも、握られた拳から目が離せない。


「ほら、つまらない呪いを思い出せよ」


 彼がもう一度手を開いた時、そこに鍵はなかった。消えてしまったのだ。



「……お、おい、操者。鍵は」

「消えちゃったね」

「そ、そんなはずない、どこだ、どこにあるんだ。出せ、消えるはずないんだ」

「なんで断言できるわけ?僕は片腕のない男だもの、もしかしたら手にしたものを消す力があるかもしれないじゃないか」

「う……嘘だ、嘘、」


 へレイはその先を言うことが出来なかった。両手で自らを抱いた彼は、身体を折り曲げて膝をついたかと思うと吐血した。

 真っ赤な血を口から吹き出しながら、その場に転がる。


「へ、へレイくん!」


 堪らず飛び出してきたアルツが彼に駆け寄る。言われたとおり一部始終を見守っていた学者も、病人を前にして黙ってはいられなかったらしい。

 脈や呼吸を確認して青ざめたアルツは、素早くへレイを背負って立ち上がる。診療所へ連れていこうとして、しかし、目をルフトに向けた。


「……ルフトさん」

「見てたでしょ、僕は何もしていない。坊やが死にそうなのは持病の発作が原因。アルツ先生なら分かるでしょう?」

「ええ、そうです」


 そうです、と繰り返してアルツは走り出す。二人はその場で見送って、夜に取り残された。



 呆気なかった。まるで流れるように事は済んで、そこに喪失感だけが残留している。

 イルファは、師匠を見上げた。不安を隠して、無表情であることに努めて。


「呪いかも知れないね。彼は鍵を見失ってしまったから……なぁんて、そんなの分からないんだけど」

「ルフトくん、か、鍵は」

「あるよ」



 笑った彼は、だらりと下ろした左手をイルファに伸ばして手のひらを開いた。きらきらと輝く金の鍵が、嘘みたいにそこにある。


「袖の中に落として、手の中から消したってだけだよ。マジックとも言えないくらい簡単だろ」



 仕返ししちゃった、なんて言うのだ。



「イルファを虐めた仕返し。これで懲りたかなあ」


 懲りるどころか、あのまま死んでしまうかもしれない。


 結局呪いが実在するのかは分からなかった。医者からすれば、タイミングよく起こった酷い発作に倒れただけだろう。

 しかしルフトは、もしかしたらそうじゃないかも知れないなんて思わせぶりなことを言う。


「神様とか、そういう存在が隠し物を失った村人に罰を下したわけじゃないかも知れないけどね、へレイがへレイ自身を呪い殺そうとしたってのはどうだろう?」

「そ、そんなことあるかな」

「坊やは操者だったけど、村で生きていくために事実を隠していた。誰よりも強く、意識的に習わしを信じ込んでいたとしても不思議じゃないよ」


 ねぇ、と弟子に語る彼の目は、開きっぱなしの扉に向けられている。誰もいなくなった家から煌々と光が伸びて、二人を闇から浮き上がらせた。



 ピアノ、開けに行こうかとルフトが呟く。







 ゆっくり家に入るその間、イルファはずっとゴーストのことを考えていた。


 必要ないからと恋人に殺され、その恋人によって殺人犯に仕立て上げられた自分の話を聞き、嘘の存在を知る。

 死んだ彼女は一切へレイに怒りを見せなかった。殺されたというのに、他人に擦り付ける嘘さえ信じて。



 へレイが言うなら、私を殺したのはあなただわ。



 そんな声が聞こえた気がした。



 深い愛の、残留する器官の声が。

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