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鍵はその手の中に。
「本当はこの村で生まれたわけじゃないですし、そもそも医者が本職でもない。俺は中央生まれ中央育ちの学者なので」
驚くほど暗い夜の森を、ランタンひとつ灯してルフトが先頭をゆく。月明かりで明るいかと思ったが、空を隠すような桜の枝のせいで恩恵は殆どなかった。
彼は左肩にスコップを担いで、いつもより不安定に歩いている。光がゆらゆらと揺れて、少し不気味だ。
「一見操者には見えないでしょう? 足の指が一本無いんですよ。おかげで村のみんなにはバレていないんです、もちろんへレイくんにもね」
「坊やにバレたら面倒くさそうだからなぁ。あれは筋金入りの操者嫌いだ」
「ああ……まあ、彼は特別ですよ」
あからさまに言い淀んで、アルツはため息をついた。
「俺は一応ここじゃ、ただの医者なのでね、村のみんなの健康状態とかはそこそこ詳しいですよ。指のない人間がいたらそりゃあ分かります」
ちら、とルフトが振り向く。
「へレイも、操者かな」
「何とも言えません。ただ、左足の小指がないのは確かです」
「だからなのかね、あんなに嫌悪してさあ」
面白くなってきたね、と彼が呟く。
「アルツ先生は……その、お医者さんじゃないのにお医者さんなんですか」
前をゆくルフトの鼻歌を聞きながら、少女は隣にいる医者に問うた。イルファは世の中の物事に疎いが、医者と学者を言い分けるのには理由があることくらいは予想できた。
「確かに医学はかじってたし、研究もしてたから医学の学者なんだけどね。専門は操術学と民俗学だよ。ここら辺には面白い伝承も多いし、操術と関連付けて考えることも難しくない。しかもこの村は酷い操者嫌いだ、その点も関連していたりするのかも……とか、さ、研究するには最高の場所だよ」
「アルツ先生が中央の操者だったおかげで、僕みたいな訳の分からない男にも仕事をくれたんだ。ありがたい話だよね」
「本当に思ってます?」
「思ってます、思ってます」
さらりと口を挟んだルフトが、からかうように笑った。スコップの柄を抑え、ランタンを引っ掛けた左手がまた大きく揺れる。
「まあ、医者って辺境の村では重宝されますから、結構すんなりコミュニティに入り込めたし、資料を集めることも出来たんですけどね。なんといっても忙しくて纏める時間も無いわけですよ。そういう意味ではルフトさんに手伝ってもらえてよかった」
僕も資料を見れて助かりました、と言う。
なるほどとイルファは納得した。どうしてアルツが自分を疑わないのか。さらには、この二人の旅人がへレイの家に行った時、アルツも話し合いに同席しようとしたのにも理由があったのだと。
「それにしたって、俺が同行する理由が見えないんですが」
協力するのはいいんだけどね、とアルツが不安そうに呟く。君らも災難だし。
「まあまあ、先生は木の影に隠れて見ていてくれればいいんです。それだけなんで」
「本当ですかね……」
「本当、本当」
信用ならないなあなんて項垂れる男を眺めながら、イルファはそっと深呼吸する。何をやるのかは分からないけど、ルフトに求められることをしたい。
三人は村の人に見つからぬように歩いて、へレイの家に向かっていた。
「色々調べたけど、へレイの婚約者が鍵を隠すような場所は思いつかなかった。ならどこにあるのか? 答えはうんざりするほど簡単だよ、イルファ」
まだ彼女が持っているのだ。
イルファは、その時脳裏に浮かんだ人のことを話した。昨日、桜の木の下で話をしたあの女性のことだ。
彼女は、殺されたと言っていたではないか。
「ゴーストがこの世に存在するのかどうかってのに時間を割いて、議論をするのはやめておこう。現代じゃ操術が絡んでくるからね、この手の話は決着がつかない。起こったこと、聞いたこと、見たことだけを考えるんだ」
うむ、と隣でアルツが頷いている。
「発言からして、彼女がへレイの婚約者じゃないかなーって感じだよねえ。それにほら、この村では死者を桜の木の下に埋葬するじゃないか」
「墓を建てる土地も無いからですね」
「流石、研究のためなら現地にだって住む学者さん」
しかしそれなら、ここにもひとつ疑問が残る。
あの女の子は、誰の子供だろう?へレイと婚約者の間に子供なんていなかったそうではないか。
それを問うと、ルフトはまた笑って「行けば分かる」と言った。
暗い空を照らすように。ランタンと、その光を受けて輝く彼の瞳がイルファを導いた。夜に塗りつぶされた桜の木が延々と森を形成する。
ここは地獄のような場所。
ランタンを地面に置いて、スコップを地面に突き立てる。
ルフトに言われて少女が案内したのは、女性が座っていた木の根元だった。光で照らすと、やはりそこには誰かが座っていたような擦れた跡がある。
「新しい土が見えるね。これは掘り返された跡だ」
ここに埋まっているのだ。
ルフトは迷いなく左手で持ったスコップを突き刺して、テコのように動かして土を掬う。少女も右手を翳して、そうっと土を持ち上げた。
アルツは離れたところで見ている。流石に墓荒らしに参加させるわけにはいかないからだ。
「出来るだけ呼吸は少なく、口でやりなさい。腐臭にやられるだろうから」
そう苦労することもなく、逞しい木の根に抱かれるようにして人間の手と服が出てきた。全身を掘り出す必要は無い。イルファは一歩下がってルフトを見守った。
彼が死体の手から、何かを取り出す。迷いも恐れもなかった。
見つけた。
それは小さな金の鍵だった。ルフトの瞳と似た色のそれが、へレイの家の隠し物だ。
「ああ……見つけた。やっと見つけたね」
「うん」
どうしてだろう、ルフトの声が震えているような気がする。
微かに感じた心の揺れもすぐに消え、彼はいつものように微笑んだ。何か掴めそうだったのに、イルファの思考の手では届かない。
「へレイは、鍵が婚約者の手の中にあることを知っていたんだろうね。でも、墓を掘り返すことは出来なかった」
「……どうして? 好きな人、だったから?」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。例えば、彼女を殺したのは自分だからとかね」
土を戻してあげてと言われて、イルファはそっと右手で空を撫でた。掘り返した土を持ち上げて、そっと死体の上に被せる。
「一年経ったら、隠し物を確認しなければならない。いずれ死体の手から奪わなければならないのに、わざわざ自分が取りにくいところに隠さないだろうね。僕達を巻き込んで脅したことからも察せるとおり、この現状はへレイが望んだものではないと考えられる」
一体どういうことなのか。
ルフトは鍵をしっかりとにぎりしめて、へレイの家に向かって歩いていく。木に隠れていたアルツに「もう少し家に近いところで隠れていてください」と声をかけて。
夜も遅いのに、まだ家からうっすら明かりが漏れていた。へレイは起きているらしい。
ルフトは扉を真っ直ぐに見据えられる正面に立ち、目を閉じて待った。
しばらくしてそれがやって来る。何度か見た、あの女の子だ。桜の枝を手に、へレイの家へ駆けてくる。
「ルフトくん、あの子が」
「じっとしているんだよ」
彼女はルフトもイルファも目に入らないようだった。速度を緩めず、ただ一直線に扉へ向かい。
ルフトにぶつかって消えた。
「……ゴ、ゴースト?」
「違うよ、これは操術だ。幻影のようなものだ」
女の子が四散した時に生まれた靄が、じわりと二人を包み込む。
流れ込んできたのは誰かの人生。
長く続いた、閉塞の記憶。