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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第二章 サクラチルゴースト
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価値があるのは未来。

 永遠に目が覚めなければ、眠ったまま死んでしまえるのに。それなのに意識は浮上して、イルファはぼんやりと天井を見つめた。


 ここはどこだろう。


「気分はどうだい。すぐに起き上がってはいけないよ、頭痛が酷くなるからね」


 ほんの少しだけ首を動かすと、イルファが横たわっているベッドの横に師匠の姿が見えた。彼は椅子に座って、膝の上に置いた美しい短剣を布で磨いている。

 汚れてしまったのだろうか。


「……あ、」

「ここはアルツ先生の診療所だ。僕が運び込んだ」


 言いかけた言葉を飲み込んで、ありがとうございますと礼を言う。


「構わないよ。まだ眠るといい」


 眠気なんてなかった。曖昧だった記憶も徐々に戻ってきて、蘇る。自分がやってしまったことが、ベッドから動けないイルファを逃さずに苦しめるのだ。

 なんて酷いことを。


 ルフトはまた短剣磨きを再開した。きらきらと輝く刃が、金色の瞳に不思議な光を灯している。



 謝らなくてはならない。

 そう思った。許されないことをした。ルフトが本当はどう考えているのかを確かめもせずに、勝手に混乱して、信用を失うという恐怖を現実のものにしてしまった。


 悔やんでも悔やみきれなかった。何もかもが手遅れだったのだ。




「君が殴られて倒れるのを見てつい剣を抜いてしまったよ。連中、弱いくせに集まると恐ろしい。気絶こそしてしまったが、先生いわく大したこともないそうだよ。良かったね」


 うん、と上の空で答えた。


「安静にしていなさい。しばらくはね」



 その言葉を聞いた瞬間、心の奥にどす黒い何かが生まれた。認識した途端、凄まじい速度で腹と胸を満たし、喉を詰まらせる。


 目の前に座っている、この、男。


 突然目の前に現れて少女を牢から解き放った、泣きもしない、怒りもしない男。


 いつもどこか冷たい目を優しく細めて、遠くを眺めているこの男は。



「私のことなど……」


 心底、どうでもいいと。




 目の奥が痛む。白熱した脳が、また視界を不鮮明にする。小指のない右手が抑えようもなく震えていた。イルファはゆっくりと身体を起こして、俯きながらルフトを睨む。


「イルファ、横になりなさい」


 彼の背後にあった棚から、写真立てとカップが落ちた。


「……イルファ」


 もう、抑えることは出来ない。



 誰も彼女を見ない。変わることさえ疎む人がいたと思えば、知らないところへ連れていく、知らない人。そしてやってもいないことで疑われ、糾弾され、投石を受け、仕事を奪われ、そして、そして、そして。


 この人さえ、いなかったら。



 ガタガタと部屋にあるものが突然、激しく震えだした。陶器や薬品の入った瓶が落ちて割れ、床に破片を撒き散らす。大きな棚さえ前後に揺れる。



 そして、ルフトの膝の上に置かれた短剣も。

 意思を持つかのように不安定に揺れる。ゆっくりと浮き上がる。



 ルフトを刺し殺すために。









 それは一瞬だった。

 素早く腰を浮かせたルフトは、いつもなら考えられぬほどの素早さで、揺れる短剣を少女の操術から奪い取った。左手にしっかり握ったそれが陽の光に輝いている。


 イルファの細い喉に、ぴたりと突き付ける。







「イルファ、君は怖がりだね」




 ぞっとするような穏やかさで、ルフトが言う。



「怖がらないで。僕は君を一人になんてしないよ」



 落ち着きなさい、とそう言った。喉に当たる刃先が冷たいのか痛いのか分からないが、急速に脳が冷えていく。次第に、震えていた部屋の中の物もしんと静まり返った。


「さぞ不安だろう。想像できるよ……でも、落ち着きなさい。恐ろしさに身を焼かれて全てを失ってしまっては意味がない」



 そんなことをさせるために、君の心に火を放ったわけではないのだ。



 彼は確かにそう言った。


「どういうこと……ですか」

「ダメだよ、敬語は禁止。僕はそういうよそよそしいのは嫌いなんだ」


 微動だにせず短剣を突き立てながら、ルフトは笑った。


 そういえばきちんと話したことはなかったかも知れないね、なんて言うのだ。イルファは泣いているのに。


 彼女の不安は出会った時からそこにあった。どうしてルフトが、自分を選んだのか。

 曖昧な説明をヒントにして考えてみても、答えは見つからなかった。本当は理由なんてないんじゃないかと恐ろしくなる。目に付いた未熟な操者を試しに弟子にするなら、いつ愛想を尽かされてもおかしくなかった。


「僕は、操者なんて言葉を知らないくらい純粋な、毒されていない操者の弟子が欲しかったんだ。今時そんな人間は少ないからね、苦労したよ。東の野なら可能性があるだろうと思ったが、簡単ではなかった」


 でも君を見つけたと彼は微笑む。それがまるで、とても幸せなことのように。


「牢に閉じ込められた何も知らない君は魅力的で、おあつらえ向きだった。周囲から遮断されて育った君の存在こそが、才能だ」



 イルファは声を発することが出来ない。少しでも喉を動かしてしまえば、鋭利な刃に切り裂かれてしまうからだ。



「僕が欲しかったのは弟子だけど、それが最終目標ではない」


 穏やかに、ただひたすらに優しくルフトは言う。



「欲しいのはね、僕の右腕なんだ」



 本来右腕がある部分には、何も入っていない服の袖が虚しく垂れ下がっている。


「魔法使いだから操術は使わない。今の僕は、ただの障害者にすぎないよ。片腕だけでは不十分だ」


 だから君が欲しいのだ、と。


「いずれ君は、存在しない右腕の代わりになるんだ。身体の一部のようにね。実際に他人の腕を移植したら拒否反応が出てしまうように、弟子がまっさらな状態でなくては上手くいくまい」


 どうして自分が選ばれたのか、イルファはやっと理解した。



「だからね、イルファ……君は一人にはならない。未来の僕の一部だから」



 気付くと短剣は下ろされていた。震える喉で息を吸って、吐いて、ルフトを見つめる。

 美しい顔に、柔らかな白髪。夜空に浮かぶ月のような瞳。

 イルファを見つめる、揺るぎない瞳だ。



「僕は自分を傲慢だなんて思わないよ。何も持っていない君に、意味をあげる」


 そう言って彼は、左手に短剣を握りしめたままイルファを抱きしめた。



 少女は、心配したアルツが部屋に入ってくるまで泣き止まなかった。












「怪我人を休ませていた部屋にしては酷い荒れようなんだけど、これは一体」

「ああー、失礼、ちょっとストレス溜まってしまってねぇ」

「君の仕業ですか、ルフトさん……勘弁してくれ」


 水やら軽食を持ってきたアルツは、部屋を見るなり肩を落として項垂れた。


「ここは病室なんですよ、暴れるのはよしなさい……」

「まあ元気だして下さい先生。ほら、水をこっちに」


 イルファにカップを渡して、ルフトは満足そうに笑う。既に短剣は仕舞っていて、まるで何事もなかったようだ。


「あー、なんだ、君も災難だったね」


 アルツの労いの言葉に、肩の力を抜いた。この人は自分を疑っていない。



「擁護するわけじゃないが、みんな不安なんだ。ことにへレイくんの話となるとね」

「どういう意味です?」



 すかさず口を挟んだルフトの問いに苦笑して、彼は部屋の隅から椅子を引っ張り出して座った。

「へレイくんはあの通り病弱で家から出ない。村の人間との交流が少ないからね、馴染んでいないんですよ。みんなどう扱えばいいか悩んでいる」


 まるで仲間ではないかのように振る舞うから、とアルツは言った。


「僕としては、同じ村に住んでいるからって全員が仲良しこよしなんて無理だと思うけど」

「もちろんそんなことは出来ません。大事なのは仲良くしようとしてるということ。少なからず仲間意識に似たものがあればいいんだが、それがへレイくんにないからこうなってしまったわけです」



 村人はみんなへレイの嘘を信じた。

 他所からやってきた敵の言葉を聞き入れず、仲間を信じるのは当たり前だから。



「必死に組織を保とうとしているのさ、すまないね」


 イルファは無言で首を振った。

 どうしてこうなってしまったのか、その理由は理解出来た気がする。それだけでも多少の安心があるのだから、人間は単純だ。


 ルフトは少し身を乗り出して、ベッドに投げ出した少女の手を握った。



「それでね、イルファ。僕なりに色々考えたんだけど、鍵がどこにあるか分かった気がするんだ」



「ほ、本当?」

「ああ。今夜探しに行きたいんだけど、手伝ってくれるかな」


 当然、一も二もなく頷いた。



 微笑んだルフトは、今度は隣に座っている医者に目を向けた。にいっと口の端を釣り上げて、無理やり彼の手を取る。

「うわっ、な、なんです」

「先生にも協力してもらいたいなと思いまして」

「どうして俺が……」


 勘弁してくれと手を振りほどかれても、白髪の青年は全く怯まない。それどころかますます身を乗り出して言うのだ。



「冷たいなあ。先生も操者仲間のイルファのために、一肌脱いでくれたっていいんじゃない?」

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