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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第二章 サクラチルゴースト
17/42

 行き場を失ったイルファは、桜の森を彷徨っていた。



 ルフトはまだ、アルツのところにいるのだろうか? だとしたら村の中に入らなければ会えないし、今のイルファにそんな気力は残っていない。勢いで宿を出てきてしまった故に、納屋の鍵を借りるのも忘れてしまった。


 何をしているんだろう?


 うまく行かないことばかりな自分に絶望して、八つ当たりみたいに御主人を避けて、やらなきゃいけない事にすら手がつかない。

 しっかりしたいのに、悩むたびに落ちていく。全てが図ったように噛み合わなくなっていく感覚。もう整理して考えることすら出来なかった。



 膝から血が流れて固まっている。どうして自分は手当てを断ったのだろう?やらなくていい事はやってしまって。



 辛うじて受け取ったタオルを頭に被って、視界を少し狭める。誰かが遠目にイルファのことを見つめても、少女はそれに気付かなくて済むだろう。


 行くあてもなくぐるぐると宿の周囲を歩いたイルファは、やがてなんとなしに来た道を戻って、気付くとへレイの家の近くまで来ていた。

 ここでルフトと別れたから、だろうか? もしかしたら聞き込みを終えた彼がここに戻ってくるかもしれない。


 いいや、彼はまず宿に向かうだろう。


 自分が理由をつけてルフトを避けているのではないかと怖くなる。失敗は隠せないし、きちんと話さなくてはならないのに。

 なんて愚かしい。



 少女は思わずその場に座り込んだ。傍らの桜の幹に濡れた頭を預けて、冷えた頬に焼けるような涙を流す。

 顔はタオルで隠していて、もう景色はほとんど見えない。それでいいと思った。しばらくはこのまま、色んなことから目を逸らして隠して。


 牢屋の中のように。







「濡れていますね」



 全く想定していないところから声をかけられた。


 すぐ目の前だ。


「う、うわっ……」

「濡れていますね」

 驚いてタオルを自ら剥ぎ取り、そのまま頭を庇いながら顔を上げると、目の前の桜の木の根元に腰掛けるようにして女性が座っていた。


 艶やかな髪の美しい、綺麗な女性だった。初めて見るはずなのにその面影をどこかで目にしたような気もする、美しい人。


「濡れていますね」


 髪は少し乱れている。顔に少しかかったそれを耳に掛けもせず、また同じ言葉を繰り返した。


「濡れていますね」

「は、はい……これはちょっと、その、色々あって」


 ここに座っているという事は、彼女が村人であることを示している。服装も身軽なもので、肩には薄い羽織を引っ掛けているだけだった。近くに住んでいる人なのだろう。


「それは、大変」


 服も濡れていますね、と彼女は言う。ぐったりと背を桜に預けたまま、力無く。

「ちょ、ちょっと失敗してしまって」

「失敗?」

「はい。何もかもうまく行かなくてそれで」

「それで濡れてしまったと」


 大変、と微笑んだ。

「風邪を引いてしまう」


 おうちに入りなさい。



 女性はそう言ったが、イルファに帰る家などなかった。


「そう……じゃあ、私と話をしましょう」

「話、ですか」

「私は話が聞きたいのよ」


 柔らかな声だった。この人は村人だというのに、どうしてイルファに声をかけ、耳を傾けてくれるのだろう?

 答えが出ないまま、少女は迷いながら口を開く。黙って考えている間も、女性は緩く微笑んだまま自分の方を見つめているからだ。急かされているようにも感じる。



「えっと……私のこと、誰かから聞きましたか?」

「聞いていないわ」

「じゃあ何も知らないんですか?」

「ええ、何も知らないわ」


 だから教えて、あなたのこと。


 この人は自分を殺人犯だなんて思っていないのだと、イルファは言い聞かせる。

 大丈夫。



「何もかもうまくいかないんです。必死に頑張っているつもりでも、必ずなにか見落としてる。やってもいないことを咎められて、私……」

「そういうこと、よくあるわ」

「つらいんです、みんなみんな、私のせいだと言う。優しくしてくれる人にも迷惑ばかりかけて、自分の価値とか、いる意味とか、分からなくなっちゃって」


 ああ、分かるわと微笑んだ。


「よくあるわ……迷惑かけたら、つらいわ。邪魔だと思われるかもしれない。嫌われるかも、知れない。そしたら居場所がなくなるかもしれない。誰か、優しくしてくれる人……優しくしてあげたい人に嫌われたら、生きる場所が無くなるように感じるものよ」


 ゆっくり、女性は言葉を紡ぐ。囁くように。


「きちんと、その人と話すのよ……どう思っているか聞くの。そうしたら、分かるわ。自分の価値」










 物音が聞こえた気がして、へレイの家がある方に目をやると、あの女の子が走っていく後ろ姿が見えた。へレイに手折った桜を届けるのだろうか。


「……あ、」


 そうだ、この女性とあの子は少し似ているではないか。


「あの、女の子のことを知っていますか……」




 気が急いて早口で問うたけれど、どうしてか、女性はもうそこにはいなかった。目の前の桜の木の根元には、誰かが座っていた証に擦れた跡があるのに。


 消えてしまった。





 イルファが立ち上がって辺りを見回すと、遠くにルフトの姿が見える。いつものように不安定に身体を傾けて、ゆっくり近付いてくる。

 彼がひらひらと左手を振った。


「ル、ルフトくん……」


 声が震えて、彼と別れてから起こったことが脳裏を駆け巡って恐ろしくなる。逃げ出したい気持ちを女性の言葉が押さえつける。

 逃げてはいけない。きちんと話をしなくてはならない。


「イルファ! 探してしまったよ!」



 ごめんなさいと呟いてルフトに駆け寄る。突如消えた女性の姿を、イルファが探すことは無かった。


 忘れてしまった。











 ルフトは聞き込みを終えると真っ直ぐに宿へ戻り、御主人から事の次第を聞いたらしい。そこで納屋の鍵と布団を借りて、一度今夜の宿となるそこを確認してからイルファを探しに来た。


 タオルでイルファの髪を丁寧に拭くと、真っ直ぐに納屋に帰った。物置として使われているそこは埃っぽかったが、2人が並んで寝るには十分な広さがある。そこに布団を敷いて、ルフトが持ってきた換えの服と新しいタオルを置く。


「着替えて、もう一度髪を拭いておきなさい。僕は夕食を取ってくるからね。あと、足の手当をするものも」


 つのる罪悪感を押さえつけて、イルファは頷いた。




 すぐに夜がやってくる。宿を終われた二人は早めに布団に潜り込むと、灯りを消した。



「今日は散々だったね。君も疲れただろう」

「大丈夫……ルフトくんこそ」

「僕は全く大丈夫なんだけどね。ああそうだ、アルツ先生から、へレイについて教えてもらったよ」


 扉の方から、月明かりが差す。ぼろい納屋だからだろうか。


「その、二週間前に死んだ婚約者とへレイは幼馴染みだったらしいね。昔から病弱だった彼に付き合って、色々と世話を焼いていたらしい。あの傲慢な坊やらしいと言える」

「そうだったんだ……」

「へレイは滅多に外に出なくてね、その幼馴染みや父親が看病していたという。父親が死んでからは付きっきりだったんじゃないかな。酔狂なことだよ」


 だからへレイについては、彼のことをよく知る村人が殆どいないのだという。一方その婚約者となった幼馴染みは、みんなに広く認知されていた。


 愛されていた。



「ま、そんなところだよ。ちなみに、二人の間に子供はいないそうだ。いたらすぐにアルツ先生が知ることになるからね、まず間違いなかろう」

「……そういえば、ルフトくん。へレイさんの家の近くで私を見つけた時、女の人を見なかった?」


 もしかしたらと思ったのだが、ルフトは不思議そうに首を振った。


「女の子にちょっと似てる人だったの。もしかしたら母親かも」

「その人とへレイが、女の子を通じて関係しているかもとか、そういう感じかな」

「うん」


 なるほどねぇと頷いたルフトは、ちょっと瞳を輝かせて少女に微笑みかけた。



「なんだイルファ、君も情報収集できてるじゃないか。教えてくれてありがとう」



 予想外の言葉にたじろいで、どう答えればいいか分からなかった少女は、迷った末に「うん」とだけ呟いた。布団を持ち上げて口元を隠す。



「へレイが滅多に家から出ないなら、鍵は家の中にあるか、あるいはその婚約者がどこかに隠した可能性が高い。どうやらその女性は、自分の家を捨ててへレイと同居していたらしいしね。結婚式を挙げていないから夫婦と呼ばれていないだけで、ありゃあ実質的な家族だ」


 明日はその女性の足取りを追わなきゃね、と言って、ルフトは目を閉じた。


 もう眠ろう。




 話は終わりだった。

 自分の価値を聞こうとしても、恐怖が邪魔をする。ルフトは優しい。期待をしてくれている。頑張ったら評価をしてくれる。


 でもそれは、彼が胸のうちに秘めている自分への評価が如実に現れた結果ではない。出会ったその瞬間から、彼の態度は変動していないのだ。




 彼は一度も、イルファに対する認識を明かしていないのではないか?


 そしてそのまま、変質していくのではないか?

誰かの中で死んでいく。

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