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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第二章 サクラチルゴースト
16/42

自分の価値を探している。

 今までは探そうと思いもしなかったことが、酷く気にかかる。


 誰かは持っていて、自分にはないもの。



 欲しいのにこの手にないもの。

 持っている数少ないものは確かに分かる。でも、ないものがないことに気付くのは案外難しい。一度気付けば苦しくなるのに、どうして困難なことばかりしてしまうのだろう。



 牢屋の中にひとり、足枷と水差し。鉄格子の向こうには幼馴染み。



 彼は言った。そのままがいいよ。

 イルファ、君はそのままがいい。


 今となっては遥か昔の話だった。遠くまで歩いてきて、様々な景色と人を認識して、思うのは未熟な自分のこと。何も出来ない愚かな弟子のことだった。

 操術を使うのは少し上手くなった。複数のものを別々の方向へ、安定して動かすことが出来る。集中して念じれば、チリリと物体に火花を産んで、火を灯すことが出来る。


 それだけじゃダメだった。もし自分が上手くやっていたら、この村で殺人犯になんてされなかったかも知れない。自分がうまくやっていたら。

 ちょっと働くことに慣れて、お金を稼いで、それだけで役に立っているだなんて。


 自惚れるな。未熟な自分を認識しろ。


 少女は何度も戒めて、迷っていた。



 ずっと、自分の価値を探している。










 水が滴るのを見ていた。柔らかく燃える炎のような、夕陽に似た色の髪をしっとりと濡らしたそれは、やがて重力に従順に滑り落ち、丸い水滴となって地を濡らす。

 睫毛の上に乗った数多の水が、涙と混ざって世界を潤ませる。



 泣いていないのに、水に落ちる。



「この人殺し! 悪魔! よくものうのうと姿を見せたね……!」


 目を釣り上げ喉を嗄らして叫んだ女性は、バケツの底に残っていた僅かな水を再びイルファにかけた。顔を庇った腕と、腹をそれが酷く濡らす。


「わ、私は人殺しでは……」

「黙れ、言い訳をするな!」


 空っぽになったバケツを乱暴に投げつけて、女性はイルファに痛みを残した。カラカラと転がっていく容器は怒りを失って土に汚れる。少女はびしょ濡れの服を握りしめて、ただ俯くしかなかった。


「あの子を……へレイと結婚するはずだったあの子をあんたは殺したんだろう!? よくも、うちの村の可愛い子供を」

「ご、誤解なんです、私はそんなことやってなくて、何かの間違いっていうか、」

「殺人犯の言う事を信じてへレイを疑うなんて馬鹿馬鹿しい、黙れ余所者が! あんたみたいな得体の知れないやつを村に入れるなんてやっぱり間違いだったんだ……」



 可愛い、子供。


 わあわあと大声で泣き始めたこの女性は、殺されたというへレイの婚約者の親ではない。ただ近所に住んでいるだけの人間だというのに、彼女は可愛い子供と言った。

 確かに彼女にとっては娘くらいの年なのかもしれない。


 イルファは村の人間はもちろん、自分の親にさえ疎まれていたというのに。



「失せろ!」



 もしルフトが隣にいたなら堂々と言い返してくれただろうか?反論も、それどころか言葉ひとつ口に出来なかったイルファは苦しそうに息を吐いて、喉を震わせ、逃げるように走り出した。水を含んだ服が驚くほど重いのを、引きずるようにして。



「もう二度と姿を現すな! さっさと死んでしまえばいい!」



 死ねだなんて、言われ慣れているはずなのに。

「どうして……」


 どうして私は逃げるのだろう?









 店が立ち並ぶ村の中心や、それを囲むように形成されている家々が建てられた区画を通らずに外側を迂回する形でも、宿屋に行くことは出来た。それでもわざわざ少しだけへレイの近所の家の周りを彷徨いたのは、自分にも何か出来るのではないかという淡い希望に基づいていた。


 彼は今、アルツのところに行っている。鍵を見つけるためといっても、結局、自分のせいで複雑な状況になってしまったと少女は考えていた。


 

 自分だけ大人しく宿に帰るなんて出来ないと、そう思ってへレイの近くに住む村人への聞き込みを試みたのだが。



「寒い……」


 水をかけられて終わりだった。話をする間もなかった。


 頭のてっぺんから足先までずぶ濡れになったイルファは、旅に出る時、故郷の近くの村でルフトが買ってくれた旅装束が濡れてしまったことを憂いた。雨に降られたならまだいい。しかし、他者から水をかけられるとは。


 情けなかった。みすぼらしいと思った。

 彼女は無力だった。



 その時、肩に鈍い痛みが走った。振り返ると、木に隠れもせずに男の子がイルファに石を投げている。ひとつ、ふたつと彼は無言で尖ったそれを投げつけた。隣には大人もいる。少女を見つめている。


「余所者の、操者が」


 男の子の隣にただ立っている男性が、低くはっきりと口にした。


「死ねばいいのに」


 そしてひときわ大きな石をイルファに向かって投げる。必死に手で頭を庇って、幾つもの痛みに耐えて彼女は走り出した。


 やってもいない罪に問われることは、苦痛だった。何より誰も、彼女の声に耳を傾けてはくれない。


 彼女の声に価値はない。そういう認識だから。







 まだ彼女は泣かなかった。桜の木々に隠れるように移動するようになり、いつしか人の姿が見えるだけで胸を押さえてうずくまるようにはなったが、それでも、潤んだ目をバケツにをなみなみと満たしていたあの水のせいにしていた。

 出どころの分からない罪悪感に似た感情が彼女の喉を詰まらせる。


 やがてイルファの滞在先でありバイト先である、二階建ての大きな宿屋が見えたとき、思わずほっと息が漏れた。この村に訪れたばかりの時から、宿屋からあまり離れないよう繰り返し言い聞かされていた理由が、今なら少しわかる。



 申し訳程度に長い髪を絞って水を絞ると、彼女はやっと、ここ数週間ですっかり慣れ親しんだ扉を開いた。


 カラカラと鳴るベル、窓の少ない室内を昼間から照らすオレンジの光、すぐに目の前に広がる食堂。


 疎らに座って食事をとる滞在者から向けられる、妙な目線。しん、と室内は静まり返っている。



「ああ、おかえりイルファちゃん、ちょっと、ちょっと外で話をしようか」

 飛んできた宿屋の御主人が彼女を隠すように目の前に現れて、肩をつかんで外へ押し出した。いつもは騒がしいくらいの食堂が、今日は何故だか暗く澱んでいるように思える。


 後ろ手に勢いよく扉を閉めて、御主人はただでさえ八の字になっている眉をさらに下げた。


「びしょ濡れじゃないか、どうしたんだい……」

「す、すみません、床が濡れちゃいますよね」

「いやそれはいいよ、あとで拭くものを貸してあげるからそれを使いなさい。乾くまではうちの従業員用の服を着てね、風邪を引くから」


 声が大きいなと笑っちゃうくらいの御主人だが、今日は耳をそばだてないと聞こえない。


「あ、ありがとうございます……」

「聞いたよ、滞在してるお客さんの中でも噂になってる」


 ああ、すみません、とイルファは力なく謝罪を繰り返した。それしか言葉が見つからない。



「謝る必要はないんだ。いや分かってる。君は真面目だしよく働く、いい子だ。何かの間違いだって分かってるよ、大丈夫」


 でっぷりと膨らんだ腹を癖で擦りながら、御主人はちょっと眉を上げてイルファを励ました。

 泣きそうになるのをぐっと堪える。


「ありがとうございます」

「大変だったね。いやまあ、この村は辺境だからね、操者には酷く厳しい。やりにくいのは分かるよ」

「ほんとに……ありがたいです」

「うん、うん」

 いたわるように肩を優しく叩いた後、御主人はまた眉を下げ、視線をそらした。


「ただねぇ、今回の件で村人がかなり警戒しててね、余所からくる観光客とか、うちに滞在してるお客さんへの対応も酷くなっちゃったみたいで」

「そ、それは本当に、申し訳ないです」

「いやいや、イルファちゃんのせいじゃないんだけどね。でもお客さんから苦情が来てるんだ。すごく残念なことだ。それにほら、君に対して変な噂があるだろう?人殺しだとか……いやいや、疑ってるわけじゃない。そんなはずないって分かってるよ。ただそういうのはあるだろう?」


 はい、と答えることが苦しい。


「ね、困ったことだよね。そうなるとうちでイルファちゃんが働いているから自分たちも悪者扱いされるんだって、そう言ってくるお客さんもいるわけ。そんなんじゃないのにね? まあうちの村は余所者に対する敵意が強いほうだから、観光業も綱渡りっていうかね、分かる」

「……は、はい」



 一層声を潜めて話していた御主人は、ひとつ大きなため息をついて目を伏せると「辞めてくれないかな」と囁いた。


「ごめんね、イルファちゃんはよく働くし今は繁忙期だろ?助かってたしこれからも助けて欲しいんだけどね、このままじゃ商売にならないんだ。それにほら、こうなっちゃったらイルファちゃんだって、そう長くは村にいないだろう?丁度いい辞め時だと思ってくれないかな」


 ごめんね、と御主人が繰り返す。情けないほど眉が下がっている。本当に情けないのはイルファの方だった。



 せっかく上手くいっていたのに。



 慣れていない初めての仕事も頑張って覚えて、少しずつ動けるようになっていた時だった。御主人も必要としてくれるようになった。お客さんは中央から来る人ばかりだから操術も見慣れていて、イルファがたくさんの皿を浮かして運ぶのを見て手を叩いて喜んでくれた。


 操術がたくさんの人に歓迎されるのを、イルファは初めて体験したのだ。


 ルフトも褒めてくれたのに。



 まだまだとはいえ、少しでも役に立っているって、そう思えていたのに。



「……し、仕方ないです。御丁寧に、あ、ありがとうございます」

「イルファちゃん、」

「たくさん、たくさんお世話になりました。か、感謝しても足りないです、ほんとに、ありがとうございます」

「イルファちゃん!」



 イルファは濡れた手で御主人を押し退けて、扉を開いて食堂の中に入った。途端、じっとりと湿った暗い視線が彼女に突き刺さる。それを振り切るふりをして、ただ必死に足元を見つめながら歯を食いしばり、喉に力を入れて泣かないように嗚咽を留めながら足早に進む。何も見ずに二階へと階段を上っていった。


 誰も、何も言わなかった。


 二階は全て宿泊のための個室が並んでいる。イルファとルフトが借りている部屋は一番手前の小さな部屋だった。鍵を探して内ポケットをまさぐって扉の前に立っていると、イルファはやっと違和感に気付いた。


「鍵が開いてる……?」


 ドアノブが壊れて、簡素な錠も取れて床に転がっている。少し扉が開いてさえいた。

 震える手で隙間に指を滑り込ませ、ゆっくりと開く。



 部屋の中は酷い有様になるまで荒らされていた。


 窓ガラスは割られ、細かな破片が少し散乱している。薄くて黄ばんだカーテンは破かれ、ひとつしかないベッドもズタズタに引き裂かれている。二人で過ごすために床にひいていた布団も、土足で汚く踏みつけられていた。空の花瓶は割られている。


 息を飲んで絶句することしか出来なかった。


 どれくらい呆然としていただろう。

 本当は一瞬のことだったのだけれど、イルファにとっては数十分にも思える思考停止の果て、彼女は慌てて部屋の中に飛び込んだ。


 布団をひっくり返し、ベッドの下に隠していた麻のような素材で出来た袋を引っ張り出す。それが無事であることを確認すると抱えて、とうとう涙をひとつ零した。


 膝をついた下にあったガラスの破片で血が流れたけれど、気にする余裕はなかった。


 ただ、ただ哀しかった。この麻袋はルフトの唯一の荷物だ。これが無事なだけ助かったと言い聞かせるしかなかった。



「イルファちゃん……!」


 ドタドタと大きな足音と共に、御主人が階段を駆け上がってきた。酷く息を切らしたまま開け放たれた部屋の前に立つと、落ち着きなく中を見回し、また彼女の名前を呼ぶ。


「イルファちゃん、ごめん、気付いたらこんなことに」

「……すみません、へ、部屋をめちゃくちゃにしてしまいました」

「君は悪くないよ、気付かなかったこちらの責任だ。村人に暴言を吐かれたり酷い対応をされたお客さんも多くてね、イルファちゃんに恨みを持ってる人もいるかもしれない。その、さっき言ったとおり苦情も出てる」

「はい」


 袋を抱えたまま、振り向かずに返事をする。


「すまないが、別のところに移ってもらえないかな。あてがないだろうから、うちの納屋で良ければ貸してあげるよ。布団とかも新しいものを貸すから」

「あ、ありがとうございます」


 ルフトくんに伝えなきゃ、と少女はゆらりと立ち上がった。よろけた足がガラスを踏む。


「ごめんね、さっき言おうと思ったんだけどタイミング逃してさ……足怪我してるじゃないか、手当もしなきゃ。あとこれ、タオル持ってきたから……」

「何から何までありがとうございます。ご、御迷惑をおかけしました、手当はいいです」



 すみませんと頭を下げてタオルを受け取ると、袋と共に抱えて逃げるように走り出した。


 階段を下り、何も見ず、ただ走って外に出た。それでもまだ立ち止まらなかった。息が切れて胸が痛んで、そのまま肺が破れてしまえばいいと思った。


 死んでしまえ。


 何も出来ないのなら、迷惑しかかけられないのなら。


 価値がないのなら。価値がないと認識されるのなら。




 死んでしまえ。

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