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探し物は、見つかったか?
何度謝罪を繰り返しても、罪悪感が消えたことなんてなかった。
ごめんなさい、の繰り返し。
段々、謝ることで麻痺していく。どんなにその言葉を口にしたって胸の苦しさが消えることは無いし、そのうち、心の底から吐き出したそれが嘘のように思えてくるのだ。
嘘をついていないのに、嘘つきの気分。
「ごめんなさい、私……」
「謝ることはないんだよ、君は悪くないんだから堂々としていればいいのさ」
「でも、」
「イルファ」
謝ることしか出来ない少女は、この苦しみを消す方法を知らなかった。
「イルファ、君は人を殺したのか?」
いいや、殺していない。
殺していないはず、だった。
へレイから探し物の依頼を受けてから一週間、彼女はいつも通りの日常を過ごしていた。朝起きると、ルフトと共に朝食をとる。彼はすぐに宿を出て、村のどこかへ消えていってしまう。
この村で、操者は酷い差別を受けるとルフトは繰り返し語った。だから出来るだけ村人と遭遇しないようにしろ、と。イルファはその言いつけを守っていたし、危険な村に毎日通うルフトがとても強いもののように見えた。
自分には出来ないと思う。守られていると思うからだ。
師匠を見送ったあと、彼女は服を着替えてエプロンをつけ、仕事を始める。昼前から夜のはじめ、ルフトが帰ってくるまで宿の一階にある広い食堂で給仕をするのだ。
イルファがその、小指のない右手で空を撫でると何枚もの皿が浮く。料理を乗せたまま、注文した客のところへ一定のスピードで向かっていく。
ルフトがいない間、これで操術を訓練するのだ。
それだけだった。
村人達が散り散りになった後、ルフトは真っ直ぐに村はずれにある小さな家へ向かった。窓枠には桜の花びらが積もっていて、もうしばらく開けられていないだろうというその家の窓は、カーテンがぴっちりと閉められている。
「イルファ、ここに来たことは?」
「ないよ」
「そう。ここはへレイの家だよ」
寂れていた。
「彼から話を聞かなくちゃならない。君はどうする?怖いなら外で待っていたっていい」
確かに怖かった。自分にあらぬ罪を着せようとする人間が怖くないはずがない。それでも、きちんと向かい合いたかった。
少女は認識しようとしていた。
「一緒に行く」
「よし、じゃあついておいで」
ルフトは迷いなく扉の前に立つと、左手で小気味いい音を立ててノックをした。数秒待って、中から何も応えがないことを確認すると、迷いなくドアノブを掴んで押し開く。
勝手に開けていいのかと慌てるイルファをよそに、部屋の中に光を入れるかのように大きく開いた。
真っ暗だった。ルフトが入れた光によって、埃が浮いているのが見える。
やはりどの窓も閉じられていて、日光はおろか空気さえ閉じられているらしい。酷く澱んだそれがイルファをぞっとさせる。
小さなテーブルがあって、そこで向かい合うように座っている人間の姿が浮かび上がった。
「おや、アルツ先生じゃないですか。奇遇ですねえ」
ルフトが呑気に声をかける。
アルツ先生、というのは間違いなく、向かって右側に座っている30代くらいの男のことだった。白衣を引っ掛けて、首からは聴診器を下げている。彼は驚いたようにルフトを見てぽつりと、やあ、なんて呟いた。
「ル、ルフトくん、知り合い?」
「まあね。僕は彼から仕事を貰って、資料を纏めているのさ。先生は見ての通り御多忙だ」
そして、アルツと向かい合って座っている青年に目を向けた。俯いているため表情は分からないが、酷く痩せこけていて、見るからに健康とは言い難そうな人間である。ルフトもかなりの細身だが、彼はその比ではない。
彼が、へレイだ。
立てばすぐに倒れてしまいそうな彼が宿の食堂に現れたら、へレイのことを知らなくても驚く。いくら昼過ぎの人が少ない時間帯だったとはいえ、食堂では浮いているように見えたのだ。
忘れるはずがない。
へレイは徐々に顔を上げると、眩しそうに目を細めて、痩けた顔をイルファに向けた。
そして、はっきりと一言。
「よく来たな、殺人犯め」
そう、言った。
イルファは明らかにたじろいだが、一方ルフトは不機嫌になった。アルツは動揺したように、へレイとルフト達を見比べている。
へレイは、無表情のまま。
「……どういうつもりなのか聞こうと思ってね、わざわざこうして足を運んでやったというわけだ、死にそうな坊や」
「今度はぼくを殺す気か、操者め」
ますますルフトの目が剣呑な光を帯びる。
「ちょっと、膝突き合わせて話をしなきゃダメみたいだなぁ」
いつものように穏やかな物言いだったが、震え上がらせるような冷たさを感じる。
ルフトは一転してアルツに微笑みかけると「診察の邪魔しちゃいましたね」と言った。
「僕はこの坊やと話があるんですよ、それも今、話したいんですが……坊やは死にそうなのかな?」
「縁起でもないこと言わないでおくれ、ルフトさん。ただの定期検診ですよ」
アルツはずり下がった眼鏡を押し上げると、へレイに向き直った。
「もし良かったら俺も同席していいかな。ほら、話が終わったら診察の続きをしようと思って」
濁った目でアルツを見つめた青年は、骨と皮しかないがりがりの手を伸ばして、テーブルの上に広げてあった医療器具のようなものを押しやった。
「ありがとうございます。でも、先生はお帰り下さい」
「しかしねへレイくん、」
「先生」
気味が悪い、とイルファは思った。
何かがおかしいような気がする。
「お帰り下さい。先生はお医者様だ、殺人犯なんかと一緒にいてはいけませんよ。ぼくはともかく先生が殺されて死んでしまったら、村のみんなが悲しむ」
ぱくぱくと口を動かして、それでも言葉を見つけることが出来なかったアルツは、一瞬ルフトを盗み見たあと、手早く診察道具を片付け始めた。
また来るねという一言を残して立ち去ったアルツに、誰も言葉をかけない。
ルフトはじっと、部屋に残った青年を見つめている。
先に口を開いたのはへレイだった。色の悪い唇をゆっくり動かして、背を丸めたまま。
「何の用だ、殺人犯と操者め」
殺人犯、操者。
イルファとルフトのことを、彼は頑なにそう表現する。
「イルファは殺人などしていないという。僕は操者的であるが、しかし操者ではない」
「そんなことはどうでもいいんだ」
「どうでもいい、だって?」
そうだ、とひび割れた声で彼は答える。
「事実なんてどうでもいいんだ。この村で事実が重要視されることはない」
そう、全ては結局、認識の問題なのだ。
「女、お前はぼくの婚約者を殺した殺人犯だ。二週間前、操術を使って彼女を殺した。男、お前は操術を使って村に取り入る、片腕のない悪者だ。分かりやすいだろう。当たり前だ、ぼくが決めた話なのだから」
認識なのだから。
「何のつもりだ、坊や」
「みんなぼくが言えば信じる。ぼくは、ぼくは村の仲間だから。お前らは余所者だ。悪者だ。そういう認識なんだよ」
「何のつもりだと聞いているんだ」
ルフトが僅かに声を荒らげると、青年は目を大きく見開いて囁いた。
「お前たち、鍵は見つけたか」
鍵。探すよう頼まれた、純金の小さな鍵だ。ルフトはそれが、おそらく隠し物だろうと言っていた。
「いいや、流石に情報が少なすぎて探せなかったさ、当たり前だろう?そういえば、坊やは鍵を失ったのに呪われないんだね。やっぱり風習なんてそんなもんなのかなあ」
「ぼくは鍵を見つけろと言ったぞ、一週間でだ。なのにお前たちは見つけていない。見つけろと言ったんだ、ぼくは」
ダン、とへレイの手がテーブルを激しく叩く。
「見つけろ。現状はヒントだ」
現状が、ヒント?
イルファは何のことか分からなくて、混乱してルフトの顔を見上げた。彼は相変わらず病んだ青年を注視しながら表情を変えない。
「僕らに不利な状況にして、それでもまだ僕らが協力すると思ってるのかな。脅してるんならちょっとやり口が下手すぎる。メリットがない。いいかい、坊やの言う通り僕らは余所者だが、それ故いつだってここを出て行けるんだよ」
ルフトの言う通りだった。
しかし青年は笑って、何も問題は無いと言うように首を振る。
「あの鍵が何を開くためにあるのか、分かるか? ピアノだよ。お前が探している、珍しいピアノの鍵だ」
ルフトの表情に初めて変化が現れる。
一週間と少し前、ルフトは滞在する宿屋の一室で、文机に資料を広げていた。
ピアノの絵が描かれた資料を。