英才教育
自由に書きます、異世界冒険ファンタジー。
ゆるっと付き合ってくれたら嬉しいです。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴ってから数分後の事だった。
気だるげに入室してきた教師の姿を見て、生徒達は囃し立てるように大声を上げる。
「先生、教室間違ってんじゃないの?」
「この時間は音楽じゃないんだけど!」
「また寝ぼけてんじゃね?」
「うーるせぇ、音楽は、音楽室でやるんだ。誰が間違えるかっての」
手にしていた古びた教科書を教卓に放り投げ、教師はくたびれたように笑った。
まだ、子供たちはからかうように教師を見ている。お行儀良く座ってはいるものの、これから使う教科書を机の上に出している真面目な生徒は数えるくらいしかいない。
教師の暗澹たる心境に、子供たちは気付かない。
「みんな知っての通り、この時間は音楽の授業じゃない。間違ってないぞ?初等科五年生は毎週この時間、この授業を受けなきゃならない。うちの学校では俺が、担当だ」
「先生字ぃきたねぇじゃん、大丈夫なのかよ」
「何のために、お前らに教科書を配ってると思ってるんだよ」
彼が主に受け持つ音楽の授業では、子供たちにいつもこう言っている。音楽は音符ばかり書いて文字なんてそう多く使わないから、俺は音楽教師なんだ。
文字を書くのはいつだって苦手だ。
教科書を出せ、とぼさぼさの黒髪をさらに掻き乱しながら指示を出す。
「これから、魔法史の授業を始める」
「知ってる人も多いだろう、俺らの未来を左右する重大な力……操術の歴史について学んでもらう。非常に大切だ」
「でもせんせ、ソウジュツなんて使えないだろ」
「いかにも」
教師は両手を広げ、指先までしっかり見えるように腕を捲る。
「この通り、俺は操者ではない。分かるか、操者って」
お世辞にも整っているとは言えない字で、教師は黒板に大きくその二文字を記した。
「ソウシャって、わたし、知ってます!」
「そりゃ賢い。魔法みたいな力を使える人間の総称だな。犠牲にしなくていいものを犠牲にした人間の総称でもある」
まだ幼い子供たちは、微妙な顔をして誰も声を上げなかった。分からなくていい、と思う。
本当は、ずっと。
「操者が魔法史を教えなきゃいけないというのは偏見だ。この授業はな、お前らに歴史を教えて、平等な立場で知識をつけてもらう為にある。一生かけて悩めるように教えるのが俺の仕事」
教科書の1ページを開いてくれ。
そこにあったのは美しい絵だった。青を基調に描かれたそれは、氷に閉ざされた北限の村と、そこに降臨した神、神託を受ける1人の男性を表している。
「この絵くらいは見たことがあるかもしれないな。王都を出て北へ北へ進むと、その果てに、切り立った険しい山に抱き抱えられるようにして村がある。100年前、当時新興宗教だったエアタ教はそこで発足した」
今でこそ国教にまでなったその宗教がここまで信仰を集めたのには、はっきりとした理由があった。
「1つ目は、当時最も信頼されていた国お抱えの歴史家であり伝記作家、ノーマン氏が教祖として神の降臨を本にして出版したのが、エアタ教の始まりだったから」
国の歴史を忠実に伝えてきたイェル・ノーマンほど優秀な伝記作家はいないと、そう思われてきた。
その彼が、各地の寂れた村を巡る旅の最中で、神の降臨を告げる本を出版したのだ。その反響はあまりに大きかったと言える。
「神様がいるか、なんて、正直ノーマン以外の人間は知らないだろう。俺はこの授業で、本当にそいつがいるのかどうなのかを議論するつもりは無い。本当のところは分からないんだ。ただ、恐ろしいことがあったことだけは、歴史に刻まれている」
そして。
「2つ目は、神の恩恵が本当にあったことだった」
その時、後の世に名を残すことになる青年は絶体絶命の危機に曝されていた。長い戦争は、とうとう彼の国を滅ぼそうと牙を見せていた。
一介の平兵士であった彼は、まだ息をしている。隣に倒れている仲間は、恐らく息をしていない。代わりにどくどくと流れ出す血が、地面を濡らしていた。
もう終わりだ、と思った。国の未来を憂うより、まだ長いはずの自分の人生を憂いた。
その日はある意味これからの戦局を決める大切な大切な戦いで、国一番の大軍を両国が用意し、それは太陽が影を隠す頃に開戦し、そして、最早勝敗は決定されていた。青年の属する軍は大敗したのだ。
青年の腹には、深々と矢が突き刺さっている。そこだけが熱くて、手足は凍えるほど冷たい。
寒い。
青年は、死ぬ。
もう生きている仲間はほとんどいないだろうということが、周囲を満たす死の匂いで分かるのだ。それを震える喉で深く吸い込んだ時、少し前に世を乱したある事件が思い出された。青年が愛していた伝記作家、ノーマンの処刑事件だ。国お抱えの作家であった分、荒唐無稽な新興宗教じみた本の出版は重罪と捉えられ、彼は殺された。青年にとってそれは大きなショックだったのだ。
ふと思い出す。神なんて信じちゃいなかった。でも、ノーマンは好きだった。彼を信じていた。
ノーマンは言った。神は我々に力を与えたと。
己の意思で、己の手で、己の一部を切り落として捧げよ、と。
誰もがその野蛮な神を嘘だと一蹴した。真実を伝えてきた高名な作家を狂人として片付けた。
そうだと、今でも思ってる。
でも、でも、どうせここで死ぬのなら。
青年は、今回敵ひとり殺せなかった手で、自分の血に濡れた剣を引き抜き、震える身体を起こした。
おい、生きてるぞ、と遠くで声がする。自分はまた殺されるのだ。
その前に。
青年は自分の左手首に、剣を振り下ろした。
「かの戦争の結末は、みんなでも知ってるよな。我が国は負けるはずだった。1人の兵士がそれをひっくり返したなんて、敵国の捕虜が証言しなけりゃ誰も信じなかっただろう。その兵士は、我が国が新たに作った特殊軍である特別技能軍ツェストの創設者として今も多くの尊敬を集めてる。そして、国教となったエアタ教の正式な第一代目教祖様でもあったわけだ」
教師はひとつ、小さなため息をつく。
「それが皮切りになって、ここ百年間、我が国は操術という特殊技能について法整備やら何やら、忙しく頑張ってきたわけだ。ここで俺がお前らに魔法史を教えているのもその努力のおかげだ。ノーマンの本は国民みんなに知られていたからなぁ、事実、その魔法みたいなもんで戦争に勝ってしまったんじゃ、隠せるわけもないしなぁ」
やってくれたよなぁ、とぼやく。
「でも先生、なんで魔法史なわけ?ソウジュツ史だろ」
「いい質問だ」
あまり嬉しくなさそうに教師は笑う。
「お前らが中等科に進んだら操術史も勉強させられるから安心しろよ。魔法史っつうのは、ノーマンがいきなり語り出した魔法みたいなわけわかんないものを、国がどうやって操術という『わかるもの』にしたかっていう、そこに至るまでの歴史のことだ。操術史っつうのは、魔法が操術と呼ばれるようになってからどういう法律ができ、今の社会にどう生かされてるのかを学ぶ……って、ちょっと難しいかな」
案の定、子供たちの反応は芳しくない。寝てる子も多い。少し話しすぎてしまったかもしれないと彼はそっと反省した。
つまらない授業だよ、これは。
「……まあ、まだ国がわけ分かんねーよって混乱してた頃の名残だよ、魔法なんて呼び方はさ。御伽噺みたいだろ」
今だって御伽噺みたいなもんだと思うけれど。でも、教師としては、これを魔法として扱うわけにはいかないのだ。
「そんな感じで、我が国で一体どんな奴がどう頑張って来たのかを、これから詳しく学ぶわけだ。2年間かけて、細かーくな。今日は別にいいけど、来週からはちゃんとメモ取れよ。大事なところは言うからさ」
はーい、とぱらぱらと返事が返ってくる。良かった、全員が眠りこけてるわけではないらしい。
教師は生徒達の眠そうな目を見つめて、また暗澹たる気持ちになる。未だに納得していないのだ。
自分の身体の一部を自ら捧げるだなんて、どうかしてる。そんな血腥い話をしたくない。
でも、しなくちゃならない。
「これからお前らに沢山学んで理解を深めてもらうのは、いつか選択をしっかり出来るようにだ。どこの学校に進むとか、どんな仕事をするとか、そういう人生の中で大切な選択の一つを、神様とやらは増やしてくれた」
操術を使うか否か。
その選択は一人ひとりに委ねられている。何かを失って何かを得るのはどちらを選んでも同じだと、国は教えている。
「先生は操者じゃないけど、多分一生悩むよ。お前らも一生悩むんだ。その為に、勉強すんだよ」
だから0点とか取るなよ、と笑った。
「じゃあちょっと早いけど今日の授業は終わり。なんか質問あるなら手を挙げてくれ」
真っ先に教科書を閉じて呼びかけると、ぴん、と教室の奥で手が挙がった。ひとりの女子生徒が真っ直ぐに教師を見つめている。
ああ、またお前か。
「なんだ、エドナ」
ずば抜けて頭のいい生徒で、家柄も良かった。教師はよく、彼女の親に雇われて彼女にピアノを教えていた。
「はい、先生。先生はどうして操術を使わないんですか」
大人びた口調で放たれた質問に、教師は頭が痛くなる。
「俺は教師だし、公平な立場でお前らに教えたい。個人的な質問なら後ででいいだろ」
「でも先生、授業はもう終わりました。それに、いつか私達は自分で決めますが、色んな人の意見をきくのも、大事だと思います」
「分かった、分かったよもう……」
エドナのことは好きだが、こういう時の彼女は本当に容赦がない。
一番言いたくないことなのに。
教師はため息をついて、ぼさぼさの黒髪を掻き乱して、目を閉じた。
「俺は操者じゃない」
「操者になれば便利なことが、沢山ある。でもメリットだけじゃない。色んなことを失ってしまうよ。それは勿論、切り落とした指とかそんなもんよりもっと大きなことだ」
どっちがいいとか、そんなこと、言えないけれど。
「生き物が自分の一部を切り落とすなんて、なーんか変だと思うんだよなあ。トカゲのしっぽじゃねぇんだし」