1.略奪した女
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あの人が欲しい、と思った。あの人の名は石寺 庸一。
5歳年上の会社の先輩。身長は170センチなくて丸目の体、四角すぎる顔で細い目と格好良いとは言い難いけれど。 でも、話題は豊富で会話が楽しい。
『日中の名前、香織っていうのかぁ。可愛い名前だな』
そうあたしに笑って言ってくれたのが、好きになったきっかけだったと思う。
地主の長男で自由になるお金をもっていて、自営業が実家のあたしと金銭的価値観が一緒だった。あたしが欲しいものを口にすると、その週には買ってきてくれるし飲み会でも楽しい場を作って盛り上げてくれる。
年上で優しくて楽しくて頼りになる先輩なのだ。
でも彼には同棲している彼女がいる。高校時代から付き合いはじめて9年。3年前から同棲しているらしい。
この間、その彼女と結納を交わしたと話していた。
でも、本当に彼女で良いの?
いつも愚痴をこぼしていたじゃない。
彼女は別会社で仕事をしていて、どちらかというと自立タイプの女性。彼の言うことに疑問があれば、すぐ口に出してくるから煩わしいって。
同棲してると、あいつ…真波は着飾ることがないんだよ。って。
『女って華やかな方がいいよな』ってよくあたしを見て言ってたじゃない。
一般的な会社員の家庭で育った彼女と、時々お金の使い方でもめるとも言ってたじゃない。
ねえ、本当に彼女と結婚して大丈夫なの?
ある飲み会の日、お酒を彼に注ぎまくって酔わせて、介抱がてらホテルに行って一晩を共にした。
お互い裸でベッドの上にいたから、目覚めた時彼は驚いていたけど。
そんなあなたに、あたしはあなたが好きだと。彼女と結婚しても愚痴が増えるだけじゃないか、と言いまくった。泣きながら訴えた。彼女よりも、あたしの方が貴方のことを好きなのだと訴え続けた。
だって彼女は仕事が好きなんでしょ? だったら仕事の忙しさできっとあなたのことなんてすぐに忘れるよっ!
それから数か月後。
「婚約解消してきた。だから、結婚前提に付き合ってほしい」
彼はそう言ってあたしのもとにやって来た。
素直に嬉しかった。あたしの思いが通じた。
あたしは選ばれたのだ。
彼の妻になるのは、彼女ではなくあたしなのだ!
その後は全てトントン拍子に進んだ。婚約して、式を挙げた。
あたしたちは話しあって、1年は『新婚』でいたいから二人で暮らそう、と決めた。
念願の二人だけの新婚生活が始まった。
外食したり買い物に行ったり楽しい毎日。
あたしと彼女は違う。一緒に住んでても、日々着飾って彼を楽しませている。
ただ、気になることはある。
「お帰りなさい」
酔っぱらった庸一さんが友人に支えられて帰ってきた。
今日は高校時代の友人たちと飲んでくると言っていた。庸一さんを支えているのは坂本さんだ。
「おい、上がってけよ」
「いや、タクシー待たせてるし。それに奥さんにワルいから帰るよ」
そう言って坂本さんはすぐに帰って行った。
坂本さんは披露宴にも来てくれた彼の友人だ。
なのに、あたしを見る目はいつも、なんとなく冷めている気がする。あたしとの会話も素っ気ないことが多いと思う、けど。
それって気のせいなのかな?
あっという間に楽しい1年が過ぎ、約束通り彼の実家に入ることになった。
「早く跡取り息子、見たいよね」
よく実家に帰ってくるお義姉さんが、お義母さんと一緒にあたしに言ってくる。
でも、妊娠する気配がない。毎月、順調に生理もあるのに。
「不妊外来行かない?」
そう庸一さんに言ってみたけれど
「まだ早いだろ」
その一言で終わり。彼は子供ができなくても焦る様子も見せない。
「子供はまだなのかしら」
お義姉さんとお義母さんの言葉が呪文のように纏わりつく。
そんなこと言われても、あたしにはどうもできないのに。あたしだって早く欲しいのに!
だから二人の顔を見るたびにイライラしてしまう。子供を急かされるたびに『なんて心無い人なんだ』と腹を立ててしまう。
でも、引きつりながらも笑ってあたしは
「こればかりは、授かり物ですから」
そう答えていた。
でも、もう限界。
あの女、彼の元彼女が来週結婚するのだと坂本さんが言っていた。
彼女のほうがもし先に子供を産んだら。それをお義母さんやお義姉さんが知ったら?
「やっぱり元彼女の方がよかった」
と言われてしまうかもしれない!
だからあたしは策を講ずる。万全なものを。
そして考えた方法は本当は嫌だけど。でも、子供ができなければ、あたしの嫁としての立場がなくなる。あの女に負けてしまう!
だから。
庸一さんとどこか似ている、彼と同じ血液型の『見知らぬ男』とベッドを共にした。
あの時は本当にどうかしていた。妊娠したくてとにかく焦っていたのだとふとした瞬間に何度も後悔の念が湧き上がった。
でも妊娠検査薬で調べた結果を見た瞬間、そんなことはどうでもよくなった。
「え、妊娠!?」
今日わかった結果を帰ってきた庸一さんに伝えたら、酷く驚かれた。
二回も検査薬で調べたから間違いない。あたしは妊娠している。
「うん。明日病院に行って確認するつもりだけど」
「―――そう…」
「嬉しくないの?」
なんだか考え込んでいる彼。
あたしがしたことがばれているのかと一瞬考えたけど、『あの日』の前日と翌日は彼と寝たから、日数的な問題で疑われるはずはないはず。
それに彼の態度も今まで何ら変わりはなかったし…
「嬉しいよ。ただ、俺は子供がいる生活ってやつ、想像もしてなかったから」
苦笑してそう話す庸一さん。
「そっか、妊娠したかぁ」
言いながらあたしのお腹をやさしく撫でてくれた。
あれから5年。
あたしたち家族はうまくやっている。
生まれた子供は男の子。期待の跡継ぎも生まれ、お義母さんもお義姉さんもご機嫌だ。
子供は4歳になった。庸一さんに何となく似ているあたしの子供。
この子があの男の子供なのか、彼の子供なのかそれはあたしにもわからない。
でもあたしはこの子が彼の子供だと信じている。調べる気は毛頭ない。
―――ただ。
時々彼があの子を淀んだ目で見る時がある。
彼に疑われることはないはずなのに、それが気になってしようがない。
今も彼はそんな瞳であの子を見ている。
「ねえ、どうしたの?」
「―――いや、元気でなによりだと思って」
「当たり前でしょ。あなたの子ですもの」
「そうだよな。俺の子、だもんな」
頷いて、彼は目を細めてあの子を見た。
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