美人の執念は水で洗って
次の日
「でさ、こんなことがあった訳なんだよね。」
テストの点数で僕を負かせ、罰ゲームを執行させた友達、狗飼雅人に教室で昨日の話をする。
雅人は運動神経はそこまでなものの、頭は良く僕と同じく歴史好きの友達だ。
「そんなのどうせ夢だったんじゃないの?」
「あれは絶対夢じゃない!」
「うーん、本当にそれが夢じゃないなら気になるけど...だって秦河勝のお面だろ?」
「だーかーら、それはもう妖怪なったんだって!」
「秦河勝のお面の妖怪?」
「あれっ?話してなかった?」
「妖怪になったことは今初めて聞いたけど 秦河勝のお面の妖怪なら心あたりがあるよ。その妖怪恐らく“面霊気”でしょ?」
「なんで知ってんの?」
僕は驚きを隠さず質問する。
「だってそれは江戸時代に創作された妖怪だから。有名じゃん、“鳥山石燕”の“百器徒然袋”」
って鳥山?何処かで聞いたような、
「あっ!そういえばその店の店主、名字が鳥山だった。下の名前はたしか、キョウセキ?」
「多分漢字で書けば蛩に筆なはず。石燕の一作目画図百鬼夜行の序文を引用したんだと思うよ」
「てっきり、本名だと思ってた。」
「じゃあオレも行ってみようかな、そのお店」
「じゃあ今日僕と一緒に行こうよ」
「別にいいよ。暇だし。どんなのを扱っているんだっけ?」
「八橋検校の箏とか、小野小町の角盥とか」
「確かに嘘っぽいね」
雅人はひきつった笑顔で言う。
「まあね」
放課後
「ここがそのお店?」
「うん、店主もいるはず」
店内を覗くとまた店主と目が合う。
僕がドアを開けようとしたら鍵が閉まってたことに店主が気付き、こちらまで来て鍵を開けてくれる。
「いらっしゃい、また来てくれたんだね。友達まで連れてきて」
「初めまして、オレもこいつと一緒で歴史が好きなので話を聞いて興味が湧き、来てみました。」
「ありがとう、さあ早速中へどうぞ」
店の机には、まるで僕達がここに訪れることを知っていたかのように、日本茶が2つ、御饅頭が2つ用意されている。
「少しゆっくりしてから商品を見てくださいな。」
「ありがとうございます。」
僕と雅人は店の椅子に座り日本茶と御饅頭を頂く。一瞬何か毒でも無いかと考えたが美味しそうな誘惑に負けどんどん食べる。
やはり、毒など入っておらず、雅人に限っては御饅頭をもう1つ貰い食べていた。
「ご馳走さまです。」
食べ終わると直ぐに店内を回る。
雅人は小声で僕に話し掛ける。
「実際見るとより胡散臭いね。」
「だろ、雅人は何か気になる?」
「これは?小野小町の角盥。多分草紙洗いに使われたものだけど」
「草紙洗いって能の?」
「そうそう七小町の1つ」
いつの間にか僕も雅人も声が大きくなっていた。
店のカウンターから声がする
「君達ホントに詳しいね。じゃあそれ体験する?」
「はい」
雅人が答える。勿論雅人も疑っていた。
「その角盥の中を覗いてみな」
いつの間にか周りの景色は何処か別の場所に移っていた。
「あの人が小野小町かな?」
そこには後ろ姿だけでも美しいということが分かる人がいた。
「多分...」
宮中での御歌合せの会が行われることになった。お題は「水辺の草」。私の相手となったのは大伴黒主だ。
もう歌合わせは明日に近づいていたので、歌を考え早くに寝ることにした。
その晩
小町は一人明日のための歌を考え、ぶつぶつ呟いていた。
「まかなくにどれを、どれが、何を種とて浮草の 波のうねうね生ひ茂るらん、これだ」
「まかなくに何を種とて浮草の
波のうねうね生ひ茂るらん」
そして和歌を短冊に書き留めた。
ガダッ
小町の後ろで物音がした。足音にも聞こえる謎の物音の正体はわからない。だが、一つわかることは、
其処には音の鳴るようなものはない。むしろあるのは窓一つだけだ
「外に誰かいるの?もののけの類いかしら、怖いわ」
歌も考えることが出来たので、もののけに見つかる前に急いで寝床に向かった。
「何がもののけだ、小野小町は明日恥をかくこととなるぞ。勝つのはこの俺だ。」
小さな声でそう言うとフフッと静かに、面白いように笑うのは大伴黒主だ。
明日小町と競うこととなっていたので勝ち目が見えず、今上の帝の御前で陥れようと考えたのだ。片手には万葉集を持っている。
小町の歌を聴いた黒主は万葉集に歌を書き出した。
ガダッ
「おおっ危ない足音をたててしまった。」
こうして黒主はバレることなく自分の家へ帰っていった。
歌合わせ当日
清涼殿の御会には、歌聖と呼ばれる柿本人麿と山辺赤人の影像を用意した。今上の帝をはじめ紀貫之、河内躬恒、壬生忠岑、大伴黒主ら有名な歌人が一堂に集まり歌合わせが始まった。
貫之はまず柿本人麿の歌を詠む
「ほのぼのと、明石の浦乃、朝霧に、島がくれ行く、舟をしぞ思ふ」
今上の帝が合図を出し、紀貫之が「水辺の草」と題した小町の歌を詠み上げた。
「この歌に勝てる歌は他と無いだろう。」
今上の帝が小町の歌をとても絶賛している。そこである男が声をあげた。
「ちょっとまて、その歌は万葉集にも載る昔から伝わる歌だぞ。」
大伴黒主だ。
「そんなはずありませんわ。だってこの歌は昨日考えたのです。それに何より私の記憶にそんな歌が載っていることは無いですわ。じゃあもしそれが本当なら作者はどなた?」
「万葉集には詠み人知らずの歌が多い、それもまたこれの一つだ。もうこの歌の作者を知るものはいない。」
小町は万葉集に出てくる約七千首を全て覚えているので記憶違いは無いと思った。そこで一つの考えが浮かぶ
もしや異本があるのかと
「ほれっ、反論も出来まい。そこまで勝ちたいのならば、もっと有名でない和歌を探すべきだったな。このインチキめが」
「私は決してそんなことありません。貴方が嘘をおっしゃっいるのです。それより現物もないのに自分が虚言を言っている確認はしないのです?」
黒主は立ち上がり一冊の書物を今上の帝に見せるように出す。
黒主は或ページを開くと
「この通り、どうだ小町」
前もって黒主が加筆しておいた万葉集。そこにはきちんと先ほどの小町の和歌が載っている。
「どういう意味?!」
帝の御前で辱められ、小町は悔しがる。とても無念な気持ちだ。
小町は万葉集に一つ不可解な点を見つける
「少しその万葉集をお貸し下さい。」
万葉集を手にとりその詠み人知らず和歌を見る。
「やっぱり」
その詠み人知らずの和歌だけ墨の色がどうやら違うのだ。
誰かが書き加えたのかしら。そう心の中で思い、今上の帝に訊く
「この万葉集、どうやら“私の”詠み人知らずの歌は後から書き加えられたものらしいのです。ここだけ墨の色が違います。そこでこの万葉集を私の角盥で洗ってみてもよろしいでしょうか?」
「ああ、良かろう。万葉集は幾つも写本がある。」
「では遠慮なく洗わさせてもらいますね、黒主」
黒主は奥歯を噛み締める。
小町の銀の角盥に御溝水を汲み、歌合わせの参加者一同の前で万葉集を洗ってみせた。
そうしたら
小町の和歌だけが消えうせた。つい最近書かれた字らしい。加筆のものなので一字も残らず消えてしまった。
「これはどういうこと?黒主?」
「まさかこんなことには。」
黒主が顔を真っ赤にする中、周りからは今上の帝も含め小町の行動に歓声があがる。
黒主はあまりの恥ずかしさに自害をしようとする。
「時に黒主、歌人の熱心な心にこのようなことも起こる。そこでだ、小野小町が許せば今回の件は無かったことにしよう。」
「私は全然良いですわ。私もお恥ずかしい姿を御見せ致しました。このような痴話喧嘩しないようにお互いしましょう、黒主。」
黒主は小町に薄衣、風折烏帽子を着せ笏拍子を打って、その情熱と和歌の徳をたたえ祝言の舞を舞い、何事もなく歌合わせは終わった。
河勝の時のように目の前の景色がシャットアウトされる。
うっすらと僕は目を開ける。
「目を覚ました?」
雅人も丁度起きた。雅人は興奮気味に
「本当にこゆなことあるんだ!」
「びっくりしたでしょう、お客さん」
「だけど草紙洗いの逸話は実話ではないんじゃ?歌合わせにいた人達皆時代がバラバラだったよ」
「さあ?君達がその目で見たなら実話なんじゃない」
素っ気ない返事がかえってくる。
「お面のときみたいに角盥が消えてる!」
「ほらっここに妖怪が戻った。」
そこには着物を着た鬼のような角盥の妖怪が描かれている。
「では、良ければまたのご利用お待ちしております。」
店主は丁寧にお辞儀をする。
「蛩筆さんは石燕の子孫かなんかなんですか?」
「うーん秘密。ではまた今度」
その日は諦め僕達は家に帰った
「今日のことに関してはまた明日考えよう。もう僕疲れたし。じゃーね!」
僕達は店を出てすぐに別々の道で帰った。