マイルームダンジョン④
一本道とやらを進み始めて、1時間は経過しただろう。ようやく、単調な洞窟に変化の兆しが見えた。前方に光が見えたのだ。
ちなみに、ここに至るまでに多数のゴキに遭遇した。討伐数はちょうど10体になったし、レベルも2へ上がった。ゴキの討伐ボーナスが明らかになったのだけれど、こいつが見過ごせない効果だった。『虫系モンスターへの追加ダメージ2%付与』だそうだ。恐らくはパッシブ効果だろう。
こんな序盤のザコ丸出しのゴキが、これほど有用な討伐ボーナスをもたらしてくれるのだから、相手が多少グロくとも、討伐ボーナスは解放していった方が良いと言う事か。頭が痛い限りだ。
レベルアップの方は、これまた見過ごせない効果があった。主人公補正アビリティの恩恵だ。このダンジョンでは、レベルアップで直接的にステータスが上昇するのでは無く、ボーナスポイントを獲得して、それを能力値がアビリティに振り分ける方式らしいのだけれど、今回のレベルアップで獲得したボーナスポイントは、4(+2)だ。
つまり、本来得られるボーナスポイントが2ポイントで、主人公補正の恩恵で2ポイント。チート性能もここまで来ると清々しいものがある。まだボーナスポイントの振り分けはしていないが、後でじっくりと考えて配分していくつもりだ。
とは言え、入学式まで一週間。このダンジョンの規模は分からないが、じっくり攻略している暇は無い。俺はこんな理不尽空間で生涯を終えるつもりは無いんだよ。
俺は足早に前方に見える光へと歩を進める。罠感知アビリティを取得している俺が、何も感じないと言う事は少なくとも、光が見える辺りまでは安全に進めると言う事だろう。今のところ魔物の気配も感じない。となれば、全力疾走だろう。
「うおおおおおおおおおお!!」
俺は暗い洞窟を駆け抜け、一気に光に照らされた空間へと足を踏み入れた。
「どわぁ!?」
驚いた。いや、確かに俺も驚いたのだけれど、声をあげて驚いたのは俺じゃない。たった今、やや恥ずかしいテンションで走ってきた青年を見て、思わず声をあげてしまったらしいのは、目の前に居るオッサンだ。そのオッサンの姿を目撃した青年である所の俺も、またオッサンの姿に驚いている。なんで普通に人間が住んでるんだよ! 俺の部屋のクローゼットの中の洞窟だぞ! おかしいだろ!
「驚いたよ。あんた、外の世界から来たんだね?」
いやいや、コッチが驚いたよ。俺からすれば、コッチが外の世界だっつーの。
「外の世界から人が来たのは、何年振りかなぁ」
「何ィ? 俺の前にも人が来た事があるってのかよ?」
「あるとも。私が幼い頃から数えると、10人以上は来てるんじゃないかなぁ」
まず、オッサンが何歳なのか気になる所ではあるが、大事なのはそんな事じゃない。
「それで、その人達はここに来て、どうなったんだ?」
「詳しくは知らないけどねぇ。この村は田舎だから。長居せず出て行ってしまったよ」
「村ァ? 人の部屋のクローゼットの中の洞窟の奥に村だとォ?」
周囲を見渡せば、そこには確かに村があった。どこから調達したのか問い詰めたくなるが、木造の建物が30軒程度と言った所か。牧草地のような場所に動物が見え、畑のような場所もある。ファンタジー世界にありがちな、大したイベントも無い序盤の農村みたいだ。
それにしても、さっきまで通ってきた洞窟が嘘だったかのように明るい。俺は光源が気になり、天井を見上げた。その天井には大穴が空いており、そこから太陽の光が差し込んでいた。
おかしいだろ! 俺の部屋のクローゼットの中の扉の向こうの洞窟を進んだ場所にある村の上空に穴が空いていて、そこから太陽の光が差し込んでいるとかおかしいだろ!
いまさら、こんなトンデモ空間に説明を求めるつもりは無いが、やっぱりココは異世界か何かなのだろう。それにしても、MMOチックなノリを感じるのでVRMMOの世界がイメージしやすいか。
「あぁ、そういえば一人居るか。外の世界の人が」
「マジで!? どこに居るのよ!?」
「この村の村長がそうらしいよ。私が生まれる前の話だから、本当かどうかは知らないけどね」
ちょっと待て。そいつ、間違い無く帰るのを諦めたタイプだよな? な、何があったんだってばよ!
「とにかく、その村長さんの家を教えてくれ」
「村長の家なら……」
オッサンは少し高い場所に建っている民家を指差して言う。
「あそこの赤い家がそうだべ」
「急に田舎者になるなよ。とにかく、ありがとう!」
俺は急いで村長の家に向かう。
建物が並んでいる辺りを通ると、複数の村人とすれ違った。老若男女が普通に生活している様子だ。こんな小さな村でもそれなりに人が住んでいるらしい。全力疾走する俺を、みんな驚いた様子で見送っている。それは、俺が外の世界から来た人間だと理解しているからなのだろうか。コッチは全く状況を把握できていないと言うのに。
狭い村をあっという間に横断し、村長の家らしい建物の前に到着した。
一応、扉をノックしてみる事にする。
『コンッコンッ』と、木造家屋に似つかわしい軽快な音がする。
「入ってま~す」
と、中から返事が来た。
「アッハイ、すいません……」
俺は丁重に謝罪をして……
「って、トイレじゃねーんだよ!!」
渾身の突っ込みと共に、思いっ切り扉を開けた。
「やはり、外の世界から来た者か」
そこには、どこからどう見ても日本人である、老人の姿があった。古代ローマ人が見たら、平たい顔一族と命名したであろう、典型的日本人顔の老人だ。
「やはりって、どういう事だよ?」
「いちいち扉をノックするような習慣はここには無いからのう。外の世界から来た人間しか居ないじゃろ」
外の世界と、この世界の習慣を比べての事か。やはりこの老人は、外の世界から来た日本人だと言う事か。
「村長さん、あなたも外の世界から来たと聞いたが、それは本当の事ですか」
「本当だとも。日本の群馬県からここに飛ばされて来た」
「ぐ、グンマー!? それはおかしい。俺がここへの扉を見つけたのは、千葉県だぞ」
「何もおかしくは無いじゃろ。こんな世界に常識なんぞ通用せん。ワシがお前の言う扉を見つけたのは、群馬のダム建設現場じゃよ」
「へ、部屋ですら無いの!?」
「それも、仮設トイレの中で見つけた」
酷い。色々と酷い話である。あのオッサンが生まれる前の話と言う事は、数十年前の群馬県内のダム建設現場に設置された仮設トイレに例の扉が出現し、運悪く扉をくぐってしまった馬鹿がこのオッサンの姿だと言うのか。それであれば、最初のトイレの下りも納得できる。いや、それは別問題か。
「と、とにかく村長さん。俺は元の世界へ戻りたいんだ。このダンジョンをクリアすれば元の世界へ戻れるって本当か?」
「さぁ。ワシはクリアを諦めた人間じゃからのう。本当かどうかは知らん」
「何で諦めたんだ? それほど困難だと言う事か?」
俺の言葉を聞いた村長は、目を鋭くさせる。
「分かっとらんのう。小僧」
その異様な迫力に、俺は言葉を詰まらせる。
「ワシがクリアを諦めた理由。それは」
「そ、それは……?」
「女に決まっとろうが」
んんん!? いきなり何を言い出してるのこの人。
「この村に辿り着いたワシは、あの忌々しいゴキどもに襲われてボロボロでな」
コイツ弱すぎるだろ。ボーナスポイントを何に使ったのかが気になるわ。
「その時、この村で世話になってのう。その時、ワシに付きっきりで看病してくれた女子が居てのう」
「つまり、その子に惚れてここへの永住を決めたと言う事か?」
「その通りじゃ。それからワシは、この村の住人になったんでな。何も知らんのじゃよ」
なるほど。時間の無駄だったぜ。どうやら、ここに居るのは真正のクソジジイらしい。
「そ、そうか。それじゃあ俺は先に進む事にしようかな」
長居無用と判断した俺は、早々に村を出る事にした。
「まぁ待て。同郷のお前にプレゼントをやろう」
驚いた事に、村長はタブレットを取り出して普通に操作している。この世界では数十年も前からタブレットが存在したと言うのだろうか。今でこそ当たり前にあるモノだが、この老人がこの世界へ来た時は、それこそタイムスリップを疑ったのではなかろうか。
「わっしょい!」
村長が謎の掛け声と共に、インベントリからアイテムを取り出した。
「これを持って行け」
そう言いながら、差し出されたソレは、ボロボロになったノートだった。
「ワシがこの世界について調べた事が書かれている。少しでも役に立つ事を願っとるよ」
なんだかんだ言って、やはり元の世界へ戻ろうとしたのだろうか。一刻も早く元の世界へ戻りたい俺としては、情報が最も必要と言える。俺は前言を撤回しようと思う。この人は真正のクソジジイなんかでは無い。結果的にこの世界に永住する事にはなったが、偉大な先人だ。
「ありがとうございます。有効活用させてもらいます」
俺は深々と頭を下げると、村長の家を出た。
受け取ったノートに目を落とし、表紙をめくってみる。なるほど。冒頭に書かれている情報とやらが『この世界の女子は胸が大きい』か。前言を撤回しようと思う。アイツは真正のクソジジイだ。