猛進
福音軍基地日本支部。森崎百合花はひたすら、己の鍛練に務めていた。彼女は訓練用のフィールドを走り続ける。かれこれ二時間は走り続けた彼女の体力はほぼ限界だった。
「ハァ……ハァ…………、まだまだぁっ!」
それでも百合花は走り続ける。強くなる為だけに。父を死に追いやった存在に復讐する為に。
「百合花ちゃん、そろそろ休んだ方が良いよ」
百合花に声をかけたのはセントだった。彼はスポーツドリンクが入ったペットボトルを百合花に渡す。百合花は蓋を開けて中身を一口だけ飲んで言う。
「大丈夫よ……。まだ、走れるんだから」
「そうやって無茶をして何回倒れた?」
再び走り続けようとする百合花に、セントは語気を強めて言う。しかし百合花は聞く耳も持たない。
「私だって、少しは強くなったんだから……、まだ走れる」
「ダメだよ……うわあああぁ!」
セントは無茶を続ける百合花を止めようとする。しかし、フラフラだった百合花はいとも簡単に体勢を崩し、結果としてセントは百合花を押し倒した。
「おお、セント。随分と強引だな」
そこに現れたのは倉島大和。彼はセントが百合花の上に乗っている状況を見て冷やかしの声をかける。
「ちちち違うんだ大和、これは……」
「ま、そんなに力は入れてないはずのセントに、簡単に押し倒されちまうんだ。これ以上走り続けたら、セントに何されるかわかんねぇぞ?」
からかいながらも、大和は心配する言葉をかける。慌てて立ち上がったセントは抗議する。
「僕はなにもしないよ!」
「ま、冗談だ。だけどよ百合花ちゃん、休憩するのは悪いことじゃねーぜ?」
大和の態度はあくまで軽い。だが、その言葉は本気だった。そんな彼に、百合花は起き上がろうと失敗しながら言う。
「でも、私達が……私が呑気に熱海になんか行ってる間に、銀海島でいっぱい死んじゃったじゃないですか!」
「それは……」
「私は誰も死なせたくない! ファントムだかレーベだか知らないけれど、そんな人達に誰かが殺されちゃうのはもう嫌なの! だから私は強くなる! あんな人達を倒すために強くなるのよ!」
百合花は涙を流して叫ぶ。セントはそんな彼女を見て、寂しげに呟く。
「百合花ちゃん、変わっちゃったんだね」
「えっ?」
セントの呟きの意味を尋ねようとした瞬間、百合花は気を失った。大和は呟く。
「やっぱ、もう限界だったか」
「そうだね」
相槌をうつセントの表情は寂しげなままだ。
「なあ、セント。お前も相当無茶をしてんのは知ってるぞ。まぁ、お前は自分の限界を見極めた上でやってんだろうけどさ」
森崎修治の死に衝撃を受けたのは百合花だけではない。セントや大和を含めた福音軍日本支部の人間の多くは彼の死を悲しんでいる。誰からも頼られる男だった修治は、日本支部の人間にとって心の支えだった。そんな彼が亡くなった事で戦意喪失した者も少なくない。また、その直前の銀海島での戦闘でも、優秀なパイロットが何人も亡くなった。だからこそ、残されたパイロットの負担は大きくなる。
「当然だよ。そもそも、ここ最近の悲劇は僕達、ヴァルハラ星人が地球に来たことが原因なんだから」
「またそう言うことを言う。お前は何にもしてねーだろ。悪いのはリードと、後はケーニヒとか言う奴だ。大体、百合花ちゃんが自分を責めてるってのにお前も同じことをすんな。フォローするこっちの立場にもなってみろ」
言葉の最後に大和はニコリと笑う。彼に励まされ、セントも小さく笑う。
「うん。それじゃあ今から一時間くらい休もう」
「いいや、俺は今から射撃訓練してくる」
「そっか。じゃあ僕は百合花ちゃんを医務室に運んでから休んでるよ」
「おう」
セントは百合花を背負う。華奢で幼い印象があるセントは、その見た目とは裏腹に体はかなり鍛えられている。従って、同年代の少女に比べて筋肉がかなりついている百合花も普通に背負うことが出来る。
「よい、しょっと……それじゃあ大和」
「おう、また後でな…… あ、そうだ、ちょっと待て」
大和はセントを呼び止める。
「何かな?」
「常空一高で『アイツ』は浩輝に接触したそうだ」
一ヶ月前、福音軍日本支部は上層部から「常空第一高校に入学予定の黒月浩輝がファントムに在籍している可能性がある。だから彼の監視をしろ」との命令を受けた。日本支部代表の篠原茂は、その命令を怪訝に思いつつもセントに、常空一高に潜入するように命令した。しかしセントは百合花の側にいてあげたいとの希望を口にし、結果として別の者がその命令を受けた。その者は、先日の銀海島での戦闘で隊長を務めた男の子供であり、父の死を受けて福音軍に所属することを決めた。坂口才磨が開発した新型機のパイロットでもある。
「そうか。あの人の事はよく知らないけれど、大丈夫かな?」
「大丈夫ってのは?」
「浩輝を目の前にしたら、怒りに我を忘れたりしないかな? 『しばらくは騒ぎを起こすな』っていう命令を無視して」
百合花は浩輝達の正体が世間に発覚して、彼がこの世界から居場所を無くすことを危惧していた。今の百合花は浩輝を敵視しているが、実際に危惧している事が起きたらショックを受けるかもしれない。セントはそう考えている。
「まあ、大丈夫だろ。アイツには事情も話してあるし」
「でも、心配だな……。ああ見えて正義感が強いみたいだし、悪と認定した浩輝に何をするのか……」
大和の言葉を受けてもセントは浮かない顔だ。
「でもよセント。もう、そんな甘ぇこと言ってる場合じゃねーのかも知れねぇぜ? 浩輝も百合花ちゃんも、甘いことなんか言ってられない立場なんだ。それだけは覚えておけよ」
大和は真剣な表情で告げる。セントはハッとしたような顔になる。
「そうだね。僕から見たらこの星の人達はみんな年下で、つい子供扱いしちゃうけど、みんな歳を重ねているんだよね」
年齢を地球の基準で数えると百歳を越えているセントの言葉に、大和は苦笑する。
「そういやお前、俺より年上だったんたよな」
「そうだよ。なのに僕は大和に頼ってばっかりだよね……」
そう言ったセントの頭を大和は拳で叩く。
「痛っ……」
「バーカ。年上とか年下とか関係ねーよ。こういう時はお互い様だ」
セントは笑顔になる。
「そうだね。それじゃあ大和も遠慮なく僕を頼ってよ」
「おう!」
大和は射撃訓練所に向かう。セントは百合花を背負って医務室を目指す。彼はふと思う。
(百合花ちゃん、君に復讐は似合わないよ)
彼の心の声は、当然ながら誰にも届かなかった。




