密会
森崎修治死亡のニュースが流れて三か月が経った頃、中学三年生に進級した黒月浩輝は学校から帰宅する途中、突然背後から声をかけられた。
「こんにちは、黒月浩輝君」
声の主は、浩輝にとって見知らぬ老人だった。浩輝は思わす身構える。すると老人は苦笑する。
「そう固くなることは無い。私は……ケーニヒと言えば分かるかな?」
聞き覚えの有る名前に浩輝は眼を見開く。
(完全に日本人っぽい見た目だったから油断した! ……そう言えば、リードも日本人っぽい見た目だよな。セントはヨーロッパ人っぽいけど)
関係の無い事を考える浩輝。その後、周囲を見渡して誰もいないことを確認してから答える。
「はい。以前はお世話になりました」
浩輝は以前、ケーニヒと会った事がある。もっとも、お互いに機体の中にいたため、顔を合わせたのは今回が初めてである。
「あの時は私の言葉の意図をくみ取ってくれたみたいだな。……本題に入ろう。黒月浩輝君、私に協力しないかね?」
ケーニヒの予想外の提案に、浩輝はしばらく考えてから慎重に答える。
「協力とは、一体何をすればよろしいでしょうか?」
「君がリード――いや、高橋翠だったか? 彼女を出し抜きたい事は知っている。そして、私もあの女が気に食わない。だから、私達で協力してあの女を懲らしめてみないか、と思ったのだよ」
怪しい。ケーニヒの言葉を聞いた浩輝は率直にそう思った。そもそも浩輝は今の時点でリードをどうにかしようとは思っていない。しばらくは利用して、利用価値が無くなればそれなりの対応をとる。それが浩輝の予定だった。
「懲らしめる……とは具体的に言うと?」
「単純な話さ。絶望を与えて永遠に苦痛を与え続ける。君の得意分野だろう」
「なるほど……」
呟きながらも、浩輝はケーニヒの意図を考える。
(目的が分からない。何となくだが、コイツは人に悪意を持たなそうな雰囲気がある。人がどうなろうと関係無く、チェス盤を見るみたいに人を高いところから見下ろして、その状況を楽しむ感じの……まさにあの女――リードと同じ様に)
浩輝はケーニヒの表情を見る。そこにはニコニコとした笑みが浮かんでおり、浩輝には内心を読み取れなかった。
「ん? どうした、私の顔に何か付いてるかね?」
「……」
ケーニヒの言葉を無視して、浩輝は思考を続ける。
(リードはヤバい生き物だ。俺なんかには手も届かない様な不気味さがある。だが、コイツはそれ以上に底が見えない。コイツに関わるのは危険だ。しかし、もう遅い)
不意に、逃げようという考えが浩輝の頭をよぎる。だが、目の前の男の雰囲気がそれを許さなかった。そこで浩輝は気付く。これは提案ではなく、命令なのだと。
「分かりました。従いましょう」
「理解が早いようで助かる。君には報酬を用意している。渡すのはまだまだ先になるだろうがな」
「報酬……?」
浩輝は呟く。
「ああ、君はご両親を殺した禁忌獣を、そして禁忌獣が地球に来るきっかけを作った我々ヴァルハラ星人を敵視しているな?」
「……その通りです」
当然のように自分の内心を見抜いているケーニヒに、浩輝は少し悔しさを感じながら答える。
「君の復讐を果たす為には、実際にヴァルハラに行く必要がある。そうだろう?」
「……まさか、連れていってくれるとでも言うのですか? あなたの故郷に僕を連れていって、僕に復讐をさせるのですか?」
その問いにケーニヒは答えない。依然として、ニコニコと笑っている。気味が悪いと浩輝は思った。
「……とにかく、僕はあなたに従います。ただ、これだけは言っておきます」
「ほう? 何かな」
ケーニヒは興味深げに聞く。
「僕は今年受験生なので、お手柔らかにお願いします」
予想外の浩輝の答えに、ケーニヒは大笑いする。
「ハハハハハ、そう来たか! 世界に仇なす秘密結社ファントムのゲファレナーが受験勉強か。面白い。君はやはり面白い!」
「僕には復讐という目的が有ります。その一方で、姉に楽をさせたいと思っていますから、いい学校に行き、いい企業に入社する必要があります」
「なるほど。これがシスターコンプレックスという奴か」
「違います。ただの姉思いな弟です」
ケーニヒのシスコン認定を浩輝は否定する。ケーニヒは笑い続けながら言う。
「分かった。その辺りは考えておこう」
「ご配慮、感謝します」
浩輝は頭を下げる。
「しかし、君は就職後も戦い続けるのでは無いか? ファントムを続けるのなら、それほど良い会社に入って働くことは難しいと思うのだが」
「先のことなんて分かりませんよ。ただ、選択肢は多い方が良いでしょう。その為に出来る限りの事をやるだけです」
「そうか。指示は追々出す。楽しみにしてくれたまえ」
ケーニヒは浩輝に背中を向け、右手を軽く挙げながら去っていった。浩輝はその背中をしばらく見送ってから自宅を目指した。
☆
ケーニヒに初めて会った時の事を浩輝は思い出していた。県立常空第一高校の入学式を終えた浩輝は帰路についていた。そして彼が現在いる所こそが、実際にケーニヒと話した場所だ。彼はふと、帰宅途中の小学生達の方に視線を向ける。
「やーい、田中のバーカ!」
「おい、コイツに触ったら田中菌が付くぞ」
「マジかよ! オレ、触っちまった。田中菌タッチ!」
「おいバカやめろ! タッチだ」
「バリアしてるから効かねーし」
「ズルいぞ!」
身に覚えがあるやり取りに浩輝は何とも言えない気分になる。
(うう……ナチュラルに人の心を抉りやがって)
彼の視線の先では田中と呼ばれた少年が俯いている。浩輝は彼に感情移入しながら、そのやり取りを見続ける。すると、田中は力強く前を向く。
「な、何だよ?」
「うるさい! お前達は卑怯だ! お前達なんかファントムだ!」
田中の気迫に圧されたように、二人の少年は気が萎えたような素振りを見せながらその場を去っていった。浩輝は内心で田中を称賛する。
(面倒くさがって相手にしなかった俺と違って、正面から立ち向かったか。どっちが利口だかは知らないがな)
浩輝が考えていると、田中も自宅を目指して歩き出した。
(アイツもアイツで心を抉りやがって)
感情移入していた対象に自分の存在を真っ向から否定されて、浩輝は軽く落ち込んだ。とはいえ、これも当然である。禁忌獣が日本に来てファントムが表舞台に現れてから、一年半が経った。当初は『謎多きテロリスト』として応援する者もそれなりに存在したが、実際に福音軍の兵士が何人も殺された事が報道されるにつれ、支持者は激減した。
(人にどう思われようと、どうでも良いと思ってたんだけどな……)
一方で、ひねくれ者は存在する。誰が死のうと他人事で、ファントムの全てを肯定する『信者』がいる。 彼らはこの世界を憎み、破滅を望んでいる。
(でも、奴らは邪魔だ。俺でクロセルと戦う以上、俺に好意的な感情を持つと言うことは俺の力を奪うことを意味している。皮肉なものだな)
浩輝を応援する事は、負の感情を受けるほどに増えるIVを減少させる。ファントム信者は応援サイト等も作り、次はこうして欲しい、ああして欲しいという願望を次々と投降している。
(そろそろ、信者共を黙らせる必要があるな)
そう決意しながら、浩輝は自宅のアパートを目指す。




