帰宅
「はぁ……」
奏太の説明を聞いた浩輝は、呆れて溜息をつく。
「すみません……」
「いや、構わない。どうせいつかは森崎百合花にもバレると思っていたからな。それに、ルーシーが対策をしてくれたのなら大丈夫だろう」
「……」
浩輝は奏太をフォローする。そしてその頭をポンと叩く。
「大丈夫だ。お前は何も気にしなくていい」
「浩輝さん……」
奏太は頬を染めて呟く。浩輝の容姿は中性的であるため、奏太は美少女に慰められたかのような錯覚をしていた。だが、幸か不幸か、浩輝はそれには気づかない。会話が終了したと判断した浩輝は、部屋の外に出て遥を呼びに行く。
「姉さん、終わったよ」
「ああ、そう? それじゃあそろそろ寝る時間かしら」
「そうだね」
今は午後10時。浩輝にとって、床に就くには少し早い時間だったが、特にやることもないので布団を敷き、灯りを消して、遥、浩輝、奏太という並び方で川の字になって就寝した。いち早く眠った浩輝の顔を見ながら、奏太は必死に理性を保つことに努めた。
☆
一方、セントと倉島の部屋。
「大和、ちょっと出かけてくるよ」
「どこ行くんだ?」
「まあ、色々あるんだよ」
セントは声を震わせながら倉島に言う。
「ふーん、別に良いけどな。さっき花梨さんになんか言われてたのと関係あんのか?」
「うん、まあね。それじゃ」
曖昧な事を言いながらセントは部屋を出る。そして彼は、森崎花梨に指示された場所へ向かう。
(いや、多分僕を百合花ちゃんと二人きりにしたかったんだろうけど、それなら他に良いところがあったんじゃないかな? というか、百合花ちゃんの母親として、それで良いの?)
彼が向かった場所、そこは混浴露天風呂である。この旅館の混浴風呂は例外的にタオル着用が認められているが、そういう問題ではないだろうとセントは考える。しかし、断る暇も与えられなかったため、仕方なくここに来た。混浴風呂を示すのれんをくぐった後、男性用脱衣所で服を脱ぎ、腰にしっかりとタオルを巻いて、セントは躊躇いながら未知の領域へと足を運ぶ。
「流石に、景色は綺麗だな……」
他に誰もいないことを確認し、セントは感嘆する。夜空の星によって照らされた夜景は、幻想的な印象を彼に与えた。湯につかると、セントは緊張がほぐれて行くのを感じた。
「ふぅ……」
セントは力を抜く。彼は改めて、自分が疲れていたことを自覚する。ぼんやりとしていると、まるで温泉と一体になったかのような錯覚を覚えた。それ故に、彼は自分の元に何者かが来ていることに気づかなかった。
「やっぱり……」
突然の声にセントが振り向くと、そこには全身にバスタオルを巻いた森崎百合花が立っていた。
「ゆ、百合花ちゃん!? これは……」
「良いのよ、セント君。お母さんに来るように言われたんでしょ?」
慌てるセントに、百合花は笑って言う。だが、その表情は暗いようにセントには思えた。
(そうだ、花梨さんは、僕に百合花ちゃんを励まして欲しくて僕をここに導いたんだ)
内心で自分の目的を再確認し、セントは口を開く。
「百合花ちゃん、奏太からは聞いたよ。君が彼ルーシーさんに言われたことについて」
「……」
百合花の表情は更に曇る。
「もしも他の人に君が聞いたことを話したら、僕の事を世間に公開するって言われたんだよね。でも、気にしなくて良いんだよ。僕はどうなったって良いんだから」
「嫌よ! そんなことしたらセント君がみんなから嫌われちゃうじゃない! そんなのは嫌よ!」
星空の下に百合花の声が響く。
「でも、それじゃあ百合花ちゃんが辛いじゃないか」
「私は、セント君が傷つくのを見るほうがもっと辛いのよ! それに……」
百合花は一度言葉を区切る。
「それに、私が話しちゃったら日元君もルーシーさんも、それにきっと黒月君も、みんな辛くなっちゃうじゃない! よく考えたら、きっとみんなファントムに利用されてるのよ。そうだとしたら、私は余計な事なんて出来ない。私は決めたわ。私はファントムと戦って、みんなを救うわ!」
その言葉にセントは衝撃を受ける。百合花は、敵である彼らのためにそんなことが出来ることに、セントは目の前の少女の器の大きさを思い知った。そこまで考えてから、セントは内心で自分の間違いを正す。
(いや、元々敵だなんて思っていないんだ。百合花ちゃんにとっての敵はファントムだけど、奏太やルーシーさんや浩輝は、敵じゃ無いんだ)
セントは百合花の優しさを尊敬する。だが同時に彼は知っている。奏太や彼海については知らないが、少なくとも浩輝は、利用されてるのではなく、自分の意思でファントムに所属していることを。彼の内心を知る由も無く、百合花は続ける。
「私は、禁忌獣と仲良くなりたいし、ファントムのせいで苦しんでる人達も全員救いたい。でも、私だけじゃそんなことは出来ない。だからセント君。私と一緒に戦って」
百合花はセントを背中から抱き締める。彼女の心臓の鼓動をセントは感じる。それに自分の心臓も高鳴るのを感じながら、答える。
「当然だよ。僕は何があっても百合花ちゃんの味方だからね」
その後二人は、言葉もなく、ただ寄り添っていた。
☆
しばらくして、百合花とセントはそれぞれの部屋に帰った。修治には露天風呂に行くとだけ告げていた為、何が有ったのかは知らない。したがって、百合花の顔を見た花梨が親指を立てるのを見ても、何の事だか分からなかった。一方で、倉島はセントの姿を見ても何一つ詮索しなかった。そんな親友に、セントは内心で感謝する。
やがて夜が明け、彼らは旅館の朝食を食べた後、もう一度露天風呂を堪能してから、帰りのバスに乗った。バスの座り方は行きの時と同様だった。バスにはファントムやレーベの人間も相変わらずいて、浩輝はげんなりとした。
その後は特に何が起こる事もなく、途中、立ち寄ったサービスエリアで昼食をとり、無事に駅に着いた。彼らはトランクから各々の荷物を取る。そして、彼らは解散する。
「……さようなら、浩輝君」
「ああ、じゃあな。ルーシー。……それと、話は奏太から聞いた。済まなかったな」
「……ううん、私は当然の事をしただけ。それじゃあ」
「ああ」
浩輝と彼海は短く話す。そして浩輝は遥と共に家路につく。彼海も母と共に歩いて帰って行く。奏太は、家の者が自動車で迎えに来ていたので、それに乗って帰った。
「すっげー高そうな車。流石、日元電機の御曹司」
奏太が乗った自動車を見て、倉島が呟く。それに修治が答える。
「ああ、そうだな。そう言えば、日元電機がファントムと関わりが有るんじゃないかと言われてた事が有ったな。今も調査自体は続いてるんだったか? セント」
修治の言葉に、セントは内心でドキリとする。彼も日元電機の調査を命令されていて、日元電機がファントムと密接な関係を結んでいる事は分かっているが、それを報告したら結果的に百合花を悲しませる事になるため、特に関係は無いと報告している。セントはそれを後ろめたく思う。
「はい。僕は任務から外されていますが、数名は今も調査を続けているそうです」
因みに、現在日元電機を調査している事になっているのは三名。その内二人は、ファントムに所属している前田朱里と橋本誠治。そしてもう一人は、浩輝によって無力化された青木孝である。すなわち、調査を行っている者は存在しない。セントは前田と橋本の事を知らないが。
「それじゃあ、俺も帰ります」
倉島が別れを告げると、森崎家の面々はそれに答えた。倉島はその言葉を背中に受けながら、手を挙げ、歩いて行く。それを見送った修治は言う。
「では、俺達も帰るか」
その言葉に全員が頷く。彼らは駅まで自動車で来ていたので、駐車場に向かう。修治が運転席、花梨が助手席、百合花とセントが後部座席に座ると、自動車は発進する。運転しながら、修治は百合花に話し掛ける。
「なあ、百合花。楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ!」
百合花は笑顔で答える。その答えに、修治は安心する。
「それにしても、驚いたな。百合花の知り合いが一緒だったなんてな」
「ええ、そうね」
花梨が相槌を打つ。
「特に黒月浩輝君。俺は彼が気に入った」
「あら、浮気?」
花梨の予想外の言葉に修治は声を上げる。
「何故そうなる!?」
「だって、あの子可愛かったじゃない? あなたのタイプでしょ?」
「そんなことは無い! 単に人間として良いと思っただけだ」
「うふふっ、冗談よ。私は藤宮彼海さんが気になったわね。名前も含めてちょっと変わってる所が有ったけど、面白い子だと思ったわ」
彼らの会話を聞いていたセントは複雑な心境だった。彼らが話題にした浩輝も彼海も、世界に仇なす秘密結社ファントムの人間なのだ。もしもそれを彼らが知ったとき、どれ程悲しむのか、セントには分からなかった。
「……」
そんなセントの手を、百合花が触れる。彼女は何を言わなかったが、「大丈夫だよ」と内心で言っている事をセントは分かった。
(まったく、なんでこっちが慰められてるんだろう)
内心で苦笑しながら、セントは彼女の手を握り返した。ふと後ろを向いてその様子を見た花梨は微笑ましげに笑った。
☆
家にたどり着いた修治は、留守番電話が有るのに気付いた。電話の主は彼の上官である篠原茂准将だった。折り返し電話をかけて欲しいとの内容だった為、彼はその通りにする。すると、相手はすぐに電話に出た。
「ああ、森崎中佐か。どうだ? 楽しんで来たかね?」
「はい、お陰さまで。百合花も元気になった様です。それで、用件は?」
修治が尋ねると、篠原は口調を重くしながら話す。内容は昨日の銀海島での件だ。ファントムと関係がある可能性があるという情報を受け、ゼピュロスと10機の霧雨を派遣したこと。その後、中国の飛青龍が増援に来たこと。銀海島はファントムとは別の組織の施設であり、その施設を贈られたこと。そして、今回の作戦で9人が命を落としたことを話した。最後まで話を聞いた修治は怒りを露にする。
「何故私がいない状況でそんな作戦を!」
「上からの指示だ」
「しかし、せめて早くそれを私に言ってくれれば……。私も携帯電話くらい持っているんですよ!」
「それは、森崎少尉の為だ。お前にそんな話をしたら、お前はすぐにこちらに来ようとしただろう。そして、少尉もお前を心配する」
「それも、上からの指示ですか?」
「そうだ」
修治は怒りに任せて怒鳴りたい気持ちになるのを抑える。篠原も同じ様に悔しい事を知っているからだ。彼が沈黙を続けていると、篠原は言う。
「とにかく、そういうことだ。では、明日直接会って話したいことがある」
「分かりました」
電話は切れる。修治は篠原が話題にしたいことについて考える。
(篠原准将が上に対する不信感を持っているのは分かった。だとすると、明日話したい事とは……)
しかし、どうせ明日には分かると判断し、思考を止めた。そして、亡くなった部下達の顔を思い浮かべては、心の中で彼らに謝っていた。




