失態
熱海の旅館。日元奏太は楽園を夢見ていた。倉島大和の言う楽園は、彼にとっての楽園とは違う物だった。こっそりと風呂を出て旅館の浴衣に着替えた彼は、どうすれば良いのかを考えておらず、取り合えずロビーに行った。するとそこには、コーヒー牛乳を飲みながら、森崎百合花がソファで休んでいた。彼女は奏太を見付けるなり、声をかける。
「あっ、日元君。お父さん達は?」
「えっ、あっ、まだお風呂に入ってます」
突然声をかけられた奏太は、やましい事を考えていた事もあって狼狽えた。気まずい思いをしながら、彼は百合花から少し距離をとってソファに座る。
「……」
「……」
彼らは何を話す事もなく座っていた。奏太が百合花の顔を見ると、彼女は浮かない表情をしているように、彼には思えた。彼の内心に気付いた百合花は、照れる様に笑いながら、話を切り出す。
「えっと、日元君。今日は楽しかった?」
予想外の質問に、奏太は少し驚く。
「は、はい、楽しかったです」
「そう、私も楽しかった。家族でちょっと遠くに出掛けるのも久し振りだったし、セント君や大和さんも一緒だったし。でも、日元君達も一緒だったらもっと楽しかったのになー」
「えっと、ぼ、僕も残念です」
百合花の天使のような笑顔に、奏太は思わず舞い上がる。
「また、一緒にどこかに行ける機会があったら良いね」
「そう、ですね」
百合花ははにかみ、それに奏太は答える。しかしそこで、今度は彼の方から話題を切り出す。
「その、えっと……」
「何? 日元君」
たどたどしく言う奏太に、百合花は首を傾ける。
「僕は、どうすれば良いんでしょうか?」
「えっ……?」
彼の問いの意味が分からず、百合花は聞く。
「僕には何の取り柄も無いんです。勉強も、運動も、それ以外の事も……何をやっても上手く行かなくて。でも、そんな僕にたった一つだけ、やれる事が有ったんです。ウィルシオンで戦うっていう事が」
「それって、どういう……」
思わぬところで出てきた言葉に、百合花は耳を疑う。奏太は勘違いしていた。セントや倉島が自分の事について知っているのなら、彼女も知っているのだと思っていたのだ。百合花の態度に気付く事なく、奏太は続ける。
「僕はあの時初めて、自分が認められたのを感じたんです。ザガンに乗って、沢山の敵を倒して……ああ、僕にもやれる事が有ったんだなって」
「何を……言ってるの?」
百合花は震える。彼女は目の前の少年に恐怖を覚えていた。そして、奏太は、彼女の異変に気付かぬまま、言葉を紡ぐ。
「ねぇ、森崎さん。僕はどうすれば良いんですかね……。僕にはアレに乗ることしか取り柄が無い。でも、僕はあの時恐い思いをした。僕は……僕は……」
怯えながらも百合花は気付く。目の前の少年も自分と同じ様に怯えているのだと。彼が何に乗って、何をしたのかは百合花には分からないが、今なら引き返せると。そして彼女なりに、奏太にアドバイスをしようと考える。するとそこに、藤宮彼海が近付いてきた。彼女は、百合花の困惑するような表情を見て、質問する。
「ねぇ、奏太君。百合花様に何を言ったの?」
無表情な彼海の質問に、百合花も奏太も黙る。奏太は、自分の失言に今更ながら気付き、百合花としても奏太の秘密は簡単に口に出来る物ではない。だからこそ百合花は言った。
「別に何も無いのよ。心配しないで良いわ。ルーシーさん」
その言葉から、彼海は百合花が何かを隠している事を悟った。本来なら百合花の秘密を詮索などしたくは無いが、彼女が何を知ったかによっては、対処しないといけない。そう考えた彼海はカマをかける。
「……ファントム」
百合花は目を見開く。そして、奏太と彼海の顔を交互に見る。
「……なるほど。奏太君、あなたの事についてどこまで言ったの?」
百合花の反応を見た彼海は、表情を変えずに聞く。奏太は戸惑いながら答える。
「えっと……僕がウィルシオンに乗り続けるかどうか迷っているという事だけ……です」
「……本当なのね? 例えば、私が世間では『ガルーダ』と呼ばれていることも言っていないのね?」
「は、はい」
彼海は百合花を見ながら確認する。百合花の表情には動揺の色があった。
「ど、どういう事なの? ルーシーさんがファントムだなんて、しかもガルーダだったなんて……。何かの間違いじゃ……」
「……残念ながら本当よ。私はあなたが『セラフィオン零型・ウリエル』と言うロボットに乗って戦っているのも、セント君が本当はどこから来たのかも知っている」
「そんな……!」
「……そして、私がこんなことを話しているのにも理由が有るの。今あなたが知ったことは全て、誰にも言わないで欲しい」
そう告げる彼海の顔は真顔だった。百合花はそれを不気味に思いながら反論する。
「い、いや。私は言うわ! あなた達の目的が何だか知らないけれど、私はファントムを許さない!」
「うふふっ、流石は私が愛するお方。勇敢ね。でもね、私はそれ以上にゲファレナー様を崇拝しているの。あのお方の邪魔になる物は全て私が排除する。もしもあなたが私達の秘密を誰かに話したら、私はセント君の事を世界に公開するわ。彼が宇宙人で、禁忌獣は彼が地球に連れてきたと」
「そんな……セント君はそんなこと!」
「……事実がどうであろうと関係無い。とにかく、余計なことはしない方が身の為よ……いや、セント君の為よ」
彼海はあくまで冷たく言う。その目に狂喜を百合花は見た。そして、彼女にはある予感が浮かぶ。確証は無いが尋ねる。
「もしかして……黒月君もファントムなの?」
その言葉に、今度は彼海が目を見開いた。
「……参考までに、そう考えた理由は?」
「何となく、ルーシーさんと黒月君の間に特別な関係が有る気がしたのよ。ただの友達とは違う何かが」
「……そう。とにかく、セント君の為にも協力して」
動揺からすぐに立ち直った彼海が言うと、件のセントや浩輝、そして倉島と修治がロビーに来た。
「ルーシー、姉さんは?」
「……まだ入ってる」
そう答えた彼海の表情を見て、何か気掛かりな事が有る様に浩輝は思った。しかし、あえて追求しない。
「百合花ちゃん、何だか疲れてない?」
「気のせいよ。むしろお風呂に入って元気ハツラツなんだから!」
セントの気遣いに、百合花は笑顔で、心配は無用だという態度を示す。だが、強がっているのはセントからしてみれば一目瞭然だった。
「本当?」
「うん、本当よ。何にも心配するような事なんて無いわ」
釈然としないセントは追求を続ける。しかし百合花はそれを受け流す。やがて黒月遥、森崎花梨、藤宮花子といった面々もロビーに来て、彼らは各々の部屋へと解散する事になった。セントは当然ながら、倉島、奏太と同じ部屋に入ろうとするが、その前に花梨に呼び止められ、耳打ちされる。その内容に、セントは驚愕するも、花梨は聞く耳も持たずに去って行く。
「おーいセント、何言われたんだ?」
「な、何も言われてないよ!」
倉島の質問にセントは誤魔化す。そして部屋の扉を閉め、彼は奏太に話し掛ける。
「ねぇ、奏太。さっき百合花ちゃんやルーシーさんと何を話してたの?」
奏太はそれにビクリと震える。
「……」
「あの時、百合花ちゃんに何があったかを聞いているんだよ」
何も言わない奏太に、セントは語気を強めた。それを倉島はなだめる。
「まあまあ、少しは冷静になれ」
「でも…………」
セントは納得がいかない。
「なあ、奏太。俺は別にお前が何も言いたくねえのならそれでも良い。だがな、俺は女を悲しませる奴は何があっても許さねぇぞ。男女差別だと言われようが、これが俺のポリシーだ」
倉島の口調は穏やかだが、そこには強い意志があった。最初は黙っておこうと思っていた奏太だが、彼の雰囲気に蹴落とされ、ロビーでの会話について話す。
「そっか、ついに百合花ちゃんも知っちまったか。そんで、なんでお前は百合花ちゃんに自分の事をバラしちゃったのよ」
倉島の感想に、奏太は恥ずかしがりながら答える。
「えっと、その……。なんとなく、森崎先輩に相談したい。そう思ったんです。何故かはわからないんですけど……、浩輝さんやルーシーさんよりも」
「ああ、まあ確かにそうだろうけどな。お前バカすぎだろ。お前が言った事全部本当なんだろうな?」
「ほ、本当ですよ」
呆れる倉島に、奏太はどもりながら言う。
「まあ、そういう事にしとくか。セント、お前はどう思う?」
「うん。奏太は多分嘘なんかつけそうに無いし、本当なんじゃないかな。ねえ奏太。百合花ちゃんは君たちとの戦いで傷ついて、その傷を癒すために僕たちはここに来たんだ。それなのに君は、百合花ちゃんを更に傷つけた。許さないよ、僕は絶対に。君も、浩輝も、ルーシーさんも。僕は絶対に許さない!」
セントは拳を握りしめながら、それを振り上げる。だが、その手を倉島が押さえる。
「セント、今はやめておけ。お前が百合花ちゃんを思ってコイツを殴ってケガでもさせたら、それこそ百合花ちゃんが傷つく」
「……そうだね」
説得され、セントは手を開く。倉島はその手を離す。
「まあ、今は平和に行こうぜ。平和が一番だ。奏太だって悪気があったわけじゃないんだろ?」
「……」
この場に居辛くなった奏太は、部屋を出て行った。
「あちゃー、まあ仕方ねぇか。このアウェーな状態じゃ」
「大和、僕も言い過ぎたかな」
倉島の言葉に、セントは申し訳なく思いながら言う。
「しゃーねーよ。お前は百合花ちゃんの為に必死だったんだ」
「でも、奏太の話が本当なら、彼も色々と悩んでいるんだ。僕も相談に乗ることくらい出来たかもしれないのに」
自分を責めるセントの頭を、倉島はコツンと叩く。
「いっ……」
「バーカ。お前は百合花ちゃんだけ心配してりゃ良いんだよ」
倉島は笑う。セントはそれに励まされたように言う。
「そう……だね」
ほぼ本能的に部屋を出た奏太はどこに行けば良いのか分からず、部屋の前の廊下を行ったり来たりしていた。すると、一つの扉が開く。その奥には浩輝と遥がいた。
「奏太。何をしている?」
「え、いや……何でもありません」
浩輝の訝しげな視線から奏太は目を逸らす。
「もしかして、お前の部屋にいられないような事情でも有るのか?」
「…………はい」
図星だった奏太はそれを認めた。
「そうか。なら俺達の部屋に来るか? 構わないよね、姉さん」
「うん。遠慮しなくていいわよ。奏太君」
「えっと、じゃあ、よろしくお願いします」
奏太は浩輝の提案を受け入れる。
「ああ。それで、何があったんだ?」
「えっと、まあ……」
奏太は遥の顔を気まずげに見る。その視線に気づいた浩輝は言う。
「ちょっと姉さん。悪いんだけど少しどこかに行ってて欲しいんだ。男同士の話って奴がしたいんだよ」
遥は不満を顔に表しながらいう。
「えー。まあいいわ」
「ゴメンね」
「いいのよ」
申し訳なさそうに言う浩輝に、遥は笑いながら退室する。それを確認した浩輝は顔を真顔に戻し、奏太に聞く。
「さあ、話してもらおうか。さっきのロビーでの件についてな」




