龍虎
高橋翠は注意深く、薄暗い通路を探索する。トラップや隠し扉などの類は今のところ見つからない。
(ここはレーベとやらの本拠地なのか、それとも何も無いダミーか……。あの男は恐らく、私がここに来ている事を分かってる。その上でこの状況を楽しんでいる。本当に腹立たしい)
自分の事を棚に上げて、高橋は思う。そんな彼女の元に、遠くから大きな音が断続的に届く。
(ロボットの戦闘中かしら。距離的には、イズミ・ドレイパーのゼピュロスじゃなくて関滄波の青龍が何者かと戦ってる、ってところかしら。ちょっと見てみたいけど、今は自分の仕事に集中しないとね)
高橋は歩き続ける。福音軍仕様のパイロットスーツは、ファントムの物に比べて若干歩きづらい事を認識しながらも彼女は止まらない。彼女を動かすのは執念である。
(あの男……必ず私に跪かせる。プライドなんかボロボロになるまで打ち砕く)
彼女は怒りに満ちた目をしていて、メンタルの弱い人間なら気絶してもおかしくないほどにおぞましい顔を無意識に作っていた。ただ、彼女のそばでそれを見ている人間はいないため、誰からもそれを指摘されることは無い。もっとも、実際に見られていたところで指摘する者がいるのかは不明だが。
やがて高橋は前方に二つの扉を見付ける。手掛かりが無い以上どちらに入っても同じだと判断し、彼女は右の扉を開ける。そこは真っ暗な部屋だったが、扉の正面に青く光輝くものを見付ける。高橋が警戒しながらそれに近付くと、光の正体は透明な円筒状の容器を満たす液体だった。そして、容器は複数有り、容器ひとつにつき、一人の赤ん坊が眠っていた。
(試験管ベビーね。奏太君とはお友達になれるかしら)
それ以上の感想を持つことなく、高橋はその部屋を歩き回る。すると、部屋の隅に、下へと続く隠し階段を発見する。
(この下に行くか、戻ってさっき入らなかった方の部屋に入るか……)
高橋は一瞬悩むが、考えるだけムダだと考え、下に進む事を決めた。相変わらず薄暗く狭い階段を延々と歩く。常人なら気が狂う事もありうるその行為を、高橋は冷静に、周りに注意しながら続ける。
(よくもまあ、こんな小さな島にこんな所を造ったわね。何年かかったのかしら)
高橋は関心する。彼女が地球に来たのは10年前だが、この建物はそれ以上の年月をかけて造られたのだろうと予想する。彼女がこの階段を歩いて一時間半が経ち、下に光が見えた。その先に見えた物に、高橋は軽く驚く。
「へぇ……」
思わず声が出る。そこはガラス張りの部屋になっており、ガラスの外には海が広がっていた。そしてそこには、無数の禁忌獣が漂っていた。禁忌獣が泳いでいる姿を見るのは、高橋にとって初めての体験であり、彼女を感動させていた。この彼女の姿を黒月浩輝が見れば、本気で驚愕しただろう。
「お気に召したかな? 緑井さくら少尉」
高橋の福音軍のパイロットとしての名前を呼ぶのは、先程地上で彼女が聞いた物と同じだった。
「やはり見ていたのね。確か、ケーニヒと言ったかしら」
「急に冷たくなったな。先程までの君は可愛らしかったぞ?」
高橋は、最も見られたくない人物が見ているのにも関わらず、思わず気を抜いてしまった自分を恥じる。
「それで、わざわざこのタイミングで話し掛けてきた理由は何かしら」
「スピーカーが有るのはこの部屋だった。ただそれだけの事さ」
「疑わしいわね」
高橋の態度は冷たい。そして部屋の天井にあるカメラを見付け、睨み付ける。
「君は少しくらい、私を信用してくれても良いんじゃないかな?」
「出来るわけが無いでしょう?」
「やれやれ、本当に君は相変わらずだな。リード」
ケーニヒはここで初めて、高橋を本名で呼んだ。しかし、彼女はそれを無視して問う。
「それで、プレゼントを私達にくれるという約束だったはずだけど」
「ああ、私は福音軍にこの施設をプレゼントしようと思っている。禁忌獣を養殖しているこの施設をね」
「随分と気前が良いのね」
「私はこれまで、ファントムと福音軍の戦いを見てきた。そして、その全てでファントムが勝ってきた。でも、それはちょっとつまらない。そこで私は、福音軍に力を与えようと思った訳だよ」
「あなたは私がどこに所属しているか知ってるわよね?」
「だが、君も同じだろう? ファントムが勝ちっぱなしなのはつまらないと思っているんじゃない無いのかい?」
考えを見透かされた高橋は内心で歯噛みする。
「分かったわ。これは報告しておくわ」
「命令、では無いのかね? ミハエル=クリストファー=ボールドウィン」
彼女が福音軍の影の実力者として使用している名前をケーニヒは言うが、彼女はそれを無視する。
「では、この施設を頂くとして、上にいた試験管ベビーはどうするのかしら? 福音軍は正義の味方よ」
「そうだな。アレは君の好きにすれば良い」
「分かったわ」
高橋は試験管ベビーが作られた目的を尋ねようと思ったが、それをケーニヒに聞くのは彼女のプライドが許さなかった。試験管ベビーは彼女自身が調べる。彼に何かを与えられたという事実も彼女のプライドを傷付けたが、利用できるものは利用するというのが彼女のポリシーである。
「では、これからも調査を続けるのだろう? 君が、君の役に立つものを見付けられる事を祈っているよ」
高橋はその声に答えず、この部屋から出るべく階段を上り始めた。
☆
「ハァ……ハァ……」
関滄波は息を荒げていた。その原因は、彼の目の前にいる白虎を思わせる機体にある。
「どうした? お前は最強なんだろう?」
その声は白虎ではなく、滄波の後ろで倒れているレオンから発せられている。白虎から声が聞こえるということは一切無い。滄波の飛青龍は青龍偃月刀を巧みに操り、攻める。しかし、白虎はそれを華麗にかわす。そして、反撃してくる白虎を滄波はいなす。これ自体は滄波にとって難しい事では無いのだが、決定的となる攻撃をすることが出来ず、戦いは長引くだけとなっている。
「こんッの野郎!」
滄波の一撃は、白虎の拳の鋭い爪に止められる。
「ならっ!」
飛青龍は右足で蹴りを入れる。白虎は後ろに跳び、その衝撃を殺す。
「ええい! 鬱陶しい」
飛青龍は前に跳び、追撃する。白虎は機体を前に倒し、両手を地につける。跳んでくる飛青龍を迎え撃つ様に、白虎は頭突きをする。飛青龍の機体は吹き飛ぶ。飛青龍が落ちたところの床にヒビが入る。
「ぐううっ」
衝撃に、滄波は呻く。飛青龍に傷はほとんど無いが、中の滄波は暴力的な衝撃に体を揺らしていた。
「おいおい、さっきまでの威勢はどこに行った? コイツをブッ壊すんだろ?」
「うる……さい!」
煽りの声に対し、苛立ちを表しながら機体を立たせる滄波。しかし、そこに白虎が襲い掛かる。仰向けに倒れている飛青龍の腹部――コクピットがある部分――に爪を突き刺した。鉄壁の装甲に穴が開く。
「くっ」
飛青龍は右手にある青龍偃月刀で、敵の左脇腹を突く。白虎は飛青龍から離れ、その隙に飛青龍は立ち上がる。
「いい加減……目障りなんだよぉぉぉぉッ!」
滄波は吼え、高く跳躍した飛青龍は青龍偃月刀を力の限り振り下ろす。白虎はそれを受け流し、カウンターとして右手を突きだし、飛青龍の左肩を破壊する。
「なっ!」
左腕を失った飛青龍はよろけるが、右手の青龍偃月刀を杖代わりに立つ。そこに白虎は容赦なく飛び掛かる。飛青龍はそれを右に倒れるように回避する。
「ハァ……ハァ……」
滄波は疲弊している。しかし敵は休む暇など与えてくれない。白虎は倒れた飛青龍に追撃を加えるが、飛青龍は転がることでそれを回避する。
「いい加減飽きた。さっさと勝つか負けるかしろ」
外野の声は滄波の苛立ちを加速させる。
(つええ……。機体性能も操縦技術も半端じゃない。一瞬でも気を抜けば、必ず死ぬ。クソッ、こんな奴、どうやって倒せば……)
滄波は己の手が震えるのを確認し、舌打ちをする。彼は今、恐怖している。それほどまでに、敵の威圧感は滄波にとってかなりの物だった。飛青龍に白虎が跳び蹴りを食らわせ、衝撃はまたも滄波を襲う。
(ああ、やっぱ俺は最強になれないんだな。この虎野郎に負けて、俺は死ぬんだな)
彼の脳裏に、幼き日の出来事がよみがえる。親に棄てられ、ひもじい暮らしをして、周りからはゴミの様に見下され、彼の幼少期は恵まれない物だった。
(そうだな。俺なんかに価値は無い。周りのヤツらより腕っぷしがちょっと強かっただけの、ただのクズだ。俺は、ここで死ねば良い)
白虎が自分にとどめを刺そうとしてくるのを滄波は見る。しかし、もう気力が起きない。彼は死を受け入れる。その瞬間……。
「こんっの、バッカ野郎がああああああ!」
そんな叫びと共に赤い忍者が現れる。イズミ・ドレイパーが操るゼピュロスだった。ゼピュロスは飛青龍に飛びかかろうとしていた白虎に飛び蹴りを食らわせる。
「何しに来た! 邪魔をするな」
「うるせえ! アタシはそうやって簡単に生きる事を諦める奴が嫌いなんだよ! やる気が無いんだったらシッポ巻いて逃げればいいんだよ!」
イズミは叫ぶ。彼女は先程話していた人物に滄波が苦戦していると言われ、様子を見に来ていた。そして、戦いを諦めた滄波の情けない姿に、あまりの怒りに思わず体が動いていた。
「お前には関係ねーだろうが」
「うぜーんだよ! テメエは命をなんだと思ってんだ! このヘタレ野郎が。大体さっきから見てれば、情けない戦闘しやがって。何にビビッてんだよテメエは」
「……」
滄波は黙る。図星だった。ゲファレナーに敗北して以来、彼は戦いを心の奥底で恐れていた。それ故に、回避を優先した戦闘となり、攻めきれなかったという事を滄波は自覚していた。
白虎はゼピュロスに標的を代える。イズミはゼピュロスの忍者刀を両手で持ち、応戦する。
「コイツはアタシが倒す。テメエはどうすんだよ」
「俺は……」
滄波は言葉を区切り、そして改めて宣言する。
「俺はコイツを倒す。お前はすっこんでろ!」
「アンタに出来んのか? ヘタレ野郎」
イズミは確認する。
「ああ、俺は俺が最強だって事を世界中に証明する。こんな奴に負けてる場合じゃねぇ」
「でも、それは無理な相談だな。何故なら、アンタなんかよりアタシの方が強ぇからだ」
「フッ、言ってくれるな。ならば俺はコイツを倒した後でお前を倒す」
「楽しみにしてんよ」
イズミは小さく笑い、そしてその場から撤退する。白虎はそれを追い打ちしようとするが、その背後から飛青龍の右手の青龍偃月刀は斬り込む。
「ここからは本気で行くぞ」
その声に、レオンの残骸からの声は笑う。
「ハハハ、女の言葉でやる気を出したか。単純な奴だな」
無惨な姿であるレオンから声が出る事など想像していなかったイズミは驚く。そしてその言葉に反論しようとするが、それを遮る様に滄波が言う。
「ソイツは戦士だ。男だとか女だとかは関係無い」
その言葉と同時に、飛青龍は跳躍して敵を斬る。白虎は負けじと鋭い爪を突き刺す。それは飛青龍の右胸に穴を空けるが、滄波はそんなものを気にしない。
「俺に出来んのは破壊だけだ! 逃げることも守る事もしない! 俺は最強の破壊神になる! 食らえ…………、龍月斬!」
飛青龍の青龍偃月刀『冷艶鋸』は、三日月を描く様に振られる。その間にも白虎の爪は飛青龍を襲うが、滄波は決して止まらない。そして白虎の機体はバラバラになり、当然ながら戦闘不能となる。
「見事だな。お前もそこそこやる事は分かった」
レオンからは賛辞の声が響く。そこにイズミは疑問を口にする。
「それで、アンタは何なのよ? 中に人がいるとは思えねぇし、そんな状態で通信が使えるとも思えねぇ」
「ああ、そうだな。簡潔に言えば、俺はこの機体の中にいる」
その言葉を受け、イズミは質問を続ける。
「つまり、テメエは人工知能なのか?」
「そうだな。確かに俺は作られた存在であるが、人工知能とは少し違う。取り合えず今はここまでしておこうか。話すと色々と面倒だ。お前達も、その内知ることになるだろう。だがそ……れは、今、ではな…………い……………………」
突然声が途切れる。
「おい、アンタどうしたんだ?」
「あ……すま…………ない……。ど…………やら……、限界のよ……だ…………」
やかてレオンからは声が一切消えた。イズミも滄波も、それぞれの機体の中で呆然とする。
「おい、どうしたんだよ!」
「ソイツはさっき、自分が人間なのか違うのかが分からない、みたいなことを言っていた。よく分からないが、奴の体の限界が来たのだろう」
言いながら、滄波は内心で考える。
(あの白虎の動き……、心なしか、アイツのレオンの動きに似てる気がした。そして、あのデザインは……)
彼がとある予感を胸に秘めながらぼんやりとしていると、彼らの元に一機の霧雨が近付き、そのパイロットは自分以外の者が殺されたことと、このレーベと名乗る組織のプレゼントについて告げた。この場では最も位が高い大尉であるイズミは、一度撤退し、後日改めてここに来る事に決めた。




