疑惑
「あー、良いお湯だったわね」
露天風呂から出て、服を着ながら森崎花梨が満足げに言った。
「そーね。でもなんか物足りねーな」
「また夜にでも入りましょうよ」
名残惜しく呟く藤宮花子に、黒月遥が宥める様に言う。花子はそれに取り合えず納得する。やがて全員が服を着終え、脱衣場を出ると、黒月浩輝、森崎修治、セントの三人が待っていた。
「おーい、こーくん。こっちは良い湯だったよー」
「あ、姉さん。こっちの景色は最高だったよ」
手を振りながら感想を言う遥に、浩輝も感想を言う。そんな彼の後ろで、修治が青い顔をしていた。
「あら、修治さん? どうしてお風呂に入ったのにそんな顔をしているの?」
「そ、そんなことは無い。ハハハハハ……」
見るからに普通ではない修治。
「だから修治さん。まだ決まった事では無いじゃないですか。修治さんの人を見る目は素晴らしいです」
セントが修治を慰める。その様子に、遥は何となく状況を察する。しかし、他の女性陣には何が何だか分からない。森崎百合花が質問をしようとしたところ、彼らのもとに一つの人影が近付く。
「結局、楽園なんて幻想だったんだ……」
人影の正体は日元奏太だった。彼は虚ろな目をしていて、その表情はこの世の全てに絶望をしている様に思えた浩輝は聞く。
「どうした、奏太?」
「ああ……、浩輝さん。僕は騙されました……。僕が楽園だと信じて向かった場所。そこには何も無かったんですよ……」
「楽園? なんの事だ」
浩輝の更なる問いに奏太は答えない。ただ、絶望して崩れ落ちていた。それを見て修治も崩れ落ちる。
「結局俺にも、人を見る目なんて無かったんだな……。倉島はただの変態大魔王だったんだ……」
「ん? 俺がどうしました?」
そこには倉島大和がいた。セントが軽蔑するように彼に言う。
「大和、君は本当に最低だよ」
「ああ? 何で?」
倉島は意味が分からないとでも言うような顔をする。浩輝が冷たい口調で言う。
「惚けるなよ。お前達は今どこに行っていた?」
浩輝の様子に、話を傍から聞いていた百合花すら恐怖を感じた。しかし言われた当人である倉島は飄々としている。
「ん? ああ、ちょっとな」
言いながら倉島は鞄からメモ帳を取り出す。そこには周辺の観光地やレストラン等について、簡単にであるが、書かれていた。
「大和さん、これは?」
「この辺の人に、熱海に来たら行くべき場所についてちょっと聞き回ってたんだよ。まあ、時間があまり無かったからこんなもんしか出来なかったけどな」
驚いた顔で聞く百合花に、倉島はやや自慢げに言う。それに浩輝が疑いの目を向けながら問う。
「それで、楽園って言うのは結局何だったんですか?」
「お前は何だと思ったんだよ」
「うっ……」
倉島の返しに浩輝は一瞬言葉が詰まる。それを見て倉島はニヤリと笑ってからかう。
「あれ? もしかして女湯の事かと思ったか? お前は楽園って聞いて女湯を想像したのか?」
「ち、違います! そもそもセントがあんなに慌ててたのが悪い!」
「な、何で僕なんだよ!」
「お前が森崎さんが大変だーとかなんとか言ってたじゃないか」
「そ、それは……」
セントが口ごもる。それに百合花が不思議そうな顔をするが、それに応える者はいない。
「そうか……そうだったのか……!」
「ど、どうしたんすか中佐」
修治が目を煌めかせて倉島の肩に両手を乗せる。倉島は戸惑う。
「俺は……お前を一瞬でも疑った自分が恥ずかしい! そうだ、おまえはそういう事をするような奴では無いよな?」
「何を言いたいのか分かりませんが、俺は当然のことをしたまでです。頭を上げてください」
「ああ、そうだな。すまない」
そんな光景から目線を外し、浩輝は奏太を見る。
「それで大和さん、奏太はなぜあんなに落ち込んでいるんですか?」
「さあな。でもアイツも頑張ってたぜ。俺と違って話すのが苦手っぽいのに、俺の言うとおり、地元の人にどこに行くべきかを聞いてな」
「はぁ、もう一度聞きますけど結局、楽園って何なんですか?」
「そらもう女の子達のたくさんの笑顔が有る場所に決まってんだろ! 俺はそれを見る為にほんの少し頑張っただけだ。そう言ったら奏太は死に物狂いで手伝ってくれたぜ」
笑顔で言う倉島の言葉を聞きながら、浩輝はもう一度奏太の方を見る。
(何を期待してたんだか)
浩輝の内心の侮蔑は遥以外の誰にも気づかれない。倉島の話を聞いた百合花が奏太の目の前に近づく。
「ねえ、奏太君。あなたも頑張ったのね」
「えっ、いや、ぼ、僕は……」
「お疲れ様、ありかとう」
「そそそそんな、僕は何も…………」
百合花の笑顔に奏太はどもる。そしてそれ以上は何も言えなくなる。一方ですっかり元気になった修治が張り切って言う。
「よし、じゃあメシに行くぞ! 倉島、奏太君、どんなところが有るんだ?」
「ああ、俺が聞いた限りではこの……」
倉島はいくつか候補を上げ、多数決によって行き先を決めた。
☆
一方その頃。福音軍基地日本支部の格納庫にて「ファントムの基地が有るかもしれないから調査してこい」という命令を受けたイズミ・ドレイパー大尉は、彼女の親友であり、福音軍の技術士官であるレイラ・プロバートの話をげんなりと聞いていた。
「――だから坂口大尉は凄いのよ! 『ウィンド』の問題点であった耐久性を改善するために……って聞いてる?」
「あー、聞いてるよ。なに言ってるかわかんねーけど」
「もう! とにかく、ウィンドはパワーアップしたのよ。運動性を維持したまま装甲を強化して、武器も敵の『ウィルシオン』に対抗するために、作り替えて貰ったし、それに新機能だって……」
「あー、分かった分かった。アタシも実際にウィンドを動かしてみたけど、強くなったっていうのは分かった」
熱のこもったレイラの言葉に、イズミは適当に答える。レイラは訝しげに言う。
「本当?」
「あー、本当だよ」
「ま、別に良いけど。イズミだし」
「おい! どういう意味だよそれは!」
バカにされたイズミはレイラの頭をペチンと叩く。レイラは頬を赤く染めながら自分の頭をさする。
「それと、坂口大尉の提案で、あの子の名前は『ウィンド』から『ゼピュロス』に変わったわ」
「ふーん、レイラが良いんならそれで良いけど。正直『ウィンド』ってちょっとダサいと思ってたし」
「言ったわね、このー」
自分のネーミングセンスを否定されたレイラはイズミの脇に手を入れ、くすぐる。
「ちょっ、バカ! 何すん、アハハハ……やめ、ハハハ」
「うふふっ、許さないんだから……こちょこちょこちょこちょ」
そんな二人の少女の様子を側で見ていた、坂口才磨大尉は呟く。
「へー、これがアメリカ人のコミュニケーションなのか」
「違います。恐らくはこの二人が特別な関係なだけでしょう」
坂口の隣にいた笹原真里が否定する。彼女は福音軍の中尉で、坂口の部下である傍ら、レーベと名乗る組織にも所属している黒月遥の同僚である。
「まあな、アタシ達は特別な関係だぜ」
イズミとレイラは幼い頃から同じ孤児院で過ごしてきた幼馴染みである。故にイズミは、どんな時も一緒にいたレイラを唯一無二の親友、つまり特別な関係だと思っている。
「わ、私達が特別な関係だなんてそんな」
一方で、レイラもイズミを特別だと思っている。しかし、その意味合いはイズミのそれとは少し違う。レイラほ彼女に恋心を抱いている事を認めている。そんな彼女は、『特別な関係』という言葉にわたわたとする。イズミはそんな親友の様子を怪訝に思いつつも、深く気にする事はない。
「ほう、見事な物だな」
いつの間にか格納庫に入ってきていた、日本支部の代表である篠原茂准将が改良された『ゼピュロス』を見て呟く。
「ありがとう、篠原准将」
「ああ。よく頑張ったな坂口大尉。ところで、このデザインはプロバート大尉の趣味かな?」
タメ口で話す坂口にも気分を害することなく、篠原はレイラに問う。ゼピュロスの忍者の様な姿は篠原に興味を抱かせた。
「はい。ただ、元々日本が好きだったドレイパー大尉の影響です」
「ほう、そうか。それは日本人として嬉しいな」
「光栄です」
「まあ、それは良いとして。そろそろ出撃の準備をする時間だ、ドレイパー大尉」
「りょーかい」
「イズミ、無理はしないでね?」
「わかってるよ」
イズミはどこか気の抜けた返事をする。そしてゼピュロスのコクピットに向かう。
「あの、篠原准将」
「何かな? プロバート大尉」
レイラがおずおずと篠原に聞く。
「何故わざわざこのタイミングで、ファントムの基地などという危険な所に行かせたのでしょうか?」
「そういう命令だからだ。それ以上でもそれ以下でもない」
きっぱりと答える篠原。レイラはそれを理解しつつも納得はできない。しかし、彼女が何を言おうとも無駄である事は理解している。だからこそ、更に質問する。
「では、この福音軍という組織は信用して良い組織なのでしょうか?」
その言葉に、篠原は一瞬固まるも、何も返さずに、格納庫を出て行った。




