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夢幻菌機ウィルシオン  作者: 八房 冥
4章 騒乱の休息
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楽園

「見て見て修治さん、富士山よ!」

「おお、久しぶりに見たな」


 バスの窓から見える風景に、森崎花梨がはしゃぐ。彼女の夫である森崎修治も景色を楽しむ。すると、彼らの愛娘である森崎百合花と、彼らの家に居候しているセントも会話に加わる。


「私、富士山を見るのは初めて! すごーい!」

「うわあ、綺麗だね」


 彼らの話し声を後ろの席から聞いていた黒月浩輝にとって、森崎家は『理想の家族』の在り方その物の様に思えた。次に浩輝は耳を彼らの後ろの席に傾ける。


「うう……気持ち悪い」

「アンタ……バカじゃないの?」


 そこにいたのは藤宮彼海とその母、藤宮花子。乗り物に弱いのにも関わらず、バスの発車時に興奮していた彼海は吐き気と闘っていた。その背中を呆れながら、花子がさする。そんな様子に、浩輝は内心で苦笑する。すると、彼海達の後ろ、つまり浩輝の目の前の席に座っていた黒月遥が彼に向かって話しかけてきた。


「こーくん、富士山綺麗だねー」

「うん、そうだね」


 遥の天使のような笑顔に、浩輝も笑顔で返す。その表情は遥にとってとても愛らしく、つい抱き締めたくなり、身悶えさせる。そんな姉の内心を知る由も無く、浩輝は隣の日元奏太に目を向ける。彼は遥の笑顔に火照っていた。


「……奏太?」

「なっ、何も考えてませんよ! 遥さんが天使だなんて全く思ってません!」

「つまり、そう思っているんだな? 姉さんが天使だって」

「……はい」

「別にそれは構わないんだ。何を人が何を考えようとそれは他人がとやかく言う事じゃない。天使だろうが女神だろうが、好きに妄想すれば良いさ。だが……妄想だけに留めておけよ?」


 奏太には、上司である高橋翠に誘われたとは言え、彼女を押し倒したという過去が有り、浩輝も訳有ってそれを目撃している。故に、奏太を浩輝は警戒している。その目には殺意が宿っている様に奏太には思えた。


「ひ、ひいっ……!」


 浩輝の気迫に戦慄する奏太。彼が情けない声を漏らしたのを確認した浩輝は、表情をにこやかに変える。


「冗談だ。折角の旅行なんだ。仲良くしようじゃないか」

「はっ、ははっ……そ、そうですね……」


 奏太はひきつった笑顔になる。それを見て内心で浩輝が満足していると、バスが静止する。目的地の旅館にたどり着いたのを確認した花子が声を上げる。


「おー、着いたかー!」


 その旅館は古びていたが、とても大きかった。浩輝達はバスから出て、トランクから各の荷物を取り出す。彼らは旅館に入ると、人の良い笑顔をした女将が迎えた。浩輝達はチェックインし、それぞれの部屋に荷物を置く。部屋割りは、浩輝と遥、修治と花梨と百合花、彼海と花子、セントと倉島と奏太、という具合である。百合花はセントも同じ部屋を使うことを希望したが、修治が猛反対した結果、別の部屋を使うことになった。そんなセント達の部屋。


「……」


 奏太は押し潰されそうな気分だった。彼のルームメートは、彼にとっては敵の組織に所属する人間である。そんな彼に、倉島が声をかける。


「なあ、奏太」


 奏太はビクリと震える。心臓を鷲掴みにでもされたような苦痛が彼を襲う。その様子に倉島は苦笑する。


「まあ、そう固くなるな。俺達はここで喧嘩をするつもりはねぇよ。たとえお前が、ファントムの『ベヒモス』だろうとな」

「……ッ!」


 奏太と、彼の乗機である『ウィルシオン三号機・ザガン』は世間から、ベヒモスという呼び名が与えられた。自分の事が知られているとは思わなかった奏太は思わず驚く。


「俺達は浩輝とルーシーちゃんが『ゲファレナー』と『ガルーダ』って事を知ってる。そんなアイツらと一緒にお前も来た。そこから導き出される結論は、お前もファントムの一員っつー可能性が有るって事だ。それに、あんなソワソワした態度してたら嫌でも分かる」

「君達がここで何をするつもりかは分からない。でもね、もし百合花ちゃんに何かをするのなら、僕は絶対に許さない」


 笑顔で言う倉島とは対照的に、セントの表情は厳しい。その気迫に、奏太は息を飲む。


「おいおい、セント。俺達は戦うつもりは無いんだ。お前もそんな態度を取るな」

「……そうだね、大和の言う通りだ。奏太、今日は一緒に楽しもう!」


 倉島に説得され、セントは邪気の無い笑顔を浮かべる。奏太は優しく接してくる彼らに親しみを覚える。


「は……はい!」

「良い返事だ。……という訳でセント、奏太。お前らに聞きたい。ここは露天風呂も有る温泉旅館だ。ここで俺達が男として、やらなきゃいけないこと、とは何だ?」


 倉島が突然、目をキラキラに輝かせて質問する。セントは怪訝に思いながら答える。


「えーっと、露天風呂に入るんじゃないの?」

「大間違いだ。セント、お前は何も分かっていないな……」


 倉島は呆れるようにやれやれと溜め息をつく。セントとしては意味が分からない。


「じゃあ、なんなのさ?」

「良いか? ここには楽園シャングリ・ラが有る。行ってみたいと思わないか?」


 倉島の端整な顔は凛々しく引き締まっていた。その顔には誰もを惹き付ける魅力が有った。


「はい、僕も行きます。楽園シャングリ・ラに!」


 奏太は力強く言う。しかし、セントには何となく嫌な予感が有った。


「でも、今露天風呂に入るのを止めてまで行く価値が有るの? その、楽園シャングリ・ラって奴は」


 彼ら三人を除いた一行は、現在この旅館の露天風呂に向かっている。セント達もそれに誘われたのだが、倉島は拒否した。勝手にセントと奏太を巻き込んで。


「ああ、素晴らしい所だ。そこには美しい女神達がいる。さあ、野郎共、行くぞ!」

「おー!」


 倉島の号令に、奏太が力強く応える。彼らは仲良く部屋の外に出る。セントも、気が進まないまま、取り合えず部屋を出る。


「やっぱりダメだよ。僕は楽園なんて行きたくない!」


 セントは走る。自分の正義を貫く為に。


「ありゃ、裏切りやがったな」

「どうするんです?」

「仕方無い。俺達二人だけで行こう。楽園シャングリ・ラへ!」


 彼らは欲望を抑えきれずに楽園を目指した。


 ☆



「あっ、ここで別れるのね」


 露天風呂に入るべく歩いていた、黒月家、森崎家、藤宮家の面々は、男湯と女湯と混浴に別れている事を示す看板を見付ける。彼ら全員を代表するように森崎花梨が呟く。


「じゃあ、後でな。ここにまた集合する事にしよう。その後、メシに行こう」


 そして彼らは別れる。男湯には修治、女湯には百合花、花梨、彼海、花子、混浴には浩輝と遥が向かう。


「ちょっと待てぇぇぇぇ!」


 修治が突然叫ぶ。その視線の先には浩輝と遥がいた。


「えっ?」

「えっ? じゃない! ここは男湯と女湯に別れる所だろ!」


 不思議そうな顔をしながら声を揃える黒月姉弟に、修治は吼える。


「でも、私達が一緒に入ることに何か問題でも有りますか? 女将さんは、私達以外に今日この旅館を使う人はいないと言っていましたし……。それに、ここの混浴風呂の景色は絶景だそうですし」

「へー、じゃああたしも混浴に行こーかな」


 遥の言葉を聞いて、花子が意思を表明する。


「……それじゃあ私も」

「私も混浴に行こうかしら。百合花ちゃんはどうする?」


 花子に続くように、彼海と花梨も混浴風呂に行くことを決める。突然の問い掛けに百合花は困惑する。しかし彼女以上に内心が穏やかではないのが修治だった。


「花梨……お前……!」

「あら、修治さんも一緒に入る?」


 ニコニコと笑って花梨は言う。その隣では花子がニヤニヤと笑っていた。


「俺はいかないぞ! おい、浩輝君……!」

「いや、僕もやめておきます……」


 顔を赤らめて言う修治が浩輝を見ると、浩輝は当初の予定を撤回した。姉だけなら混浴に入っても良かったのだが、他の女性も一緒だと言うのなら話は別だ。


「えー。一緒に入ろうよー、こーくん」

「そうそう、別に悪い事じゃないんだし、いーじゃんいーじゃん」

「いやいやいやいや、やめておきます。森崎さんも、俺に遠慮しないで皆さんと一緒にどうぞ」


 残念そうな遥とからかう花子をやり過ごし、百合花に混浴風呂を勧める。


「ええ、でも……」


 百合花は気の進まない顔をする。その視線の先には、何かを期待しているような彼海がいた。


「うふ、ふふふふふふふ……」

「自重しろバカ」


 花子が壊れている娘の頭をぺチンとはたく。


「痛……」

「ゴメンなゆーりん、ウチのバカはちゃんと見ておくから一緒に入ろうぜ」


 痛みに頭を押さえる彼海を尻目に、花子は笑顔で百合花に言う。


「えっと、じゃあ私も混浴に入ります。その、黒月君……ゴメンね、なんだか追い出す形になっちゃって……」

「構いませんよ。楽しんできてください」

「うん、本当にありがとう」


 百合花が言うと、女性陣は混浴風呂のある方へと向かう。残された浩輝達がその姿を見送っていると、そこに必死の形相のセントが走ってきた。


「ハァ、ハァ……」

「ど、どうしたセント? お前は入らないんじゃなかったのか?」


 ただ事ではないセントの様子に修治は訝しむ。


「ハァ……、僕は止められなかった……僕は……僕は!」

「とりあえず落ち着け。なんだ? ここに大和さんと奏太がいないことに関係が有るのか?」


 自分を責めるセントに浩輝が聞いてみる。セントは2、3回深呼吸をしてから口を開く。


「大変なんだよ! 大和と奏太が……百合花ちゃんが……」

「何を言いたいのかよく分からないが、森崎さんに何かが有るのなら、本人に直接警告すれば良いだろう」

「浩輝まで何を考えているんだよ! 百合花ちゃんは今から露天風呂に入るんだよ? そんな事、出来るはず無いじゃないか!」

「問題ない。森崎さん、というか女性陣はみんな、混浴の風呂に向かっている。さあ、お前も行って来い」


 慌てるセントとは対照的に浩輝は淡々と告げる。


「そんなの行ける訳……って、ちょっと待って、みんなは混浴の方に行っているの?」

「ああ、なんだかんだでそういう事になった」

「そ、そうなの?」

「ああ」


 暗かったセントの表情が晴れやかに変わる。


「そうか、それなら良いんだ。ああ、良かった! 楽園シャングリ・ラなんて無かったんだ!」

「な、何を言ってる?」

「ははははははは、なんでもないよ! 修治さん、浩輝、僕達もお風呂に行こう!」


 上機嫌になったセントはスキップをしながら男湯を目指す。それを浩輝は歩いて追いかけるが、背後から修治が声をかける。


「なあ、浩輝君。君は倉島達がのぞきをすると考えた結果、百合花たちを混浴に入れるように仕向けたのか?」


 浩輝は小さく笑う。


「考え過ぎですよ。大和さん達から姉さんたちを守れたのは偶然です」

「それは本当、という事にしておこうか。だが、俺にはちょっと疑問が有るんだが……」

「何です?」

「いや、なんでもない。俺達もさっさと風呂に入ろう」


 そう言って修治はスタスタと歩く。立ち止まっていた浩輝もそれを追うように脱衣所へと向かった。



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