手駒
黒月浩輝達がバスで熱海に向かっている頃、ファントム基地・ゴエティアのとある部屋で高橋翠が妖しく笑う。
「うふふっ、私が気付いていないとでも思った?」
彼女の右足の下には、うつ伏せに倒れるファントムのスタッフの男がいた。
「ぐううっ……」
「さあ、話して貰おうかしら。あなたが本来所属している組織、そして、その組織のトップについて」
高橋は右足を上げ、男を解放する。男は荒い呼吸をするが、何かを言う気配は無い。
「あら、踏むのはご褒美にしかならなかったかしら?」
高橋は男を仰向けに倒そうとする。しかし男はそれには負けず、逆に高橋の動きを封じようとする。先程踏まれていたのは高橋を油断させる為だった。高橋は意外そうに言う。
「あらあら、あなたは機械工学の勉強ばっかりしてたインテリ君じゃなかったかしら?」
「……」
男は何を言うことも無い。それだけ彼には余裕が無かった。
「うふふっ、私が女だからって手加減する必要は無いのよ。私の祖先は禁忌獣の脅威と戦ってきた。それ故に、体の作りはあなた達地球人よりも進化しているの」
男もそれは承知している。だからこそ、手加減などしていない。自分の身体能力に自信が有った彼は、まったく本気を出していない高橋に遊ばれている事に憤りを感じる。
「分かったかしら? あなたには私に勝てない」
「クソッ」
男は悔しいと思いながらもその場から逃走する。目の前の女に勝てないことを悟ったからだ。しかし、高橋の顔から余裕は消えない。
「言ったわよね。私の体はあなた達よりも進化しているって」
全速力で逃げる男を、ニコニコと笑いながら高橋は追いかける。それは安いホラー映画の様な光景だった。
「うふふふふっ……」
「うわあああああ!」
やがて高橋は男を捕まえる。そして満面の笑みを浮かべて告げる。
「さあ、拷問の時間よ。ちょっと部屋までついてきてくれる?」
男に選択肢は無かった。
☆
「何だか外が騒がしい様だね」
ゴエティアの自室で霧山隆介は部下である橋本誠治に言った。橋本は答える。
「裏切り者がいたとか言う話だそうですよ。まあ、裏切ったというよりかは、元々敵だった、という言い方の方が正しいでしょうか」
「ふーん、僕にはどうでも良い事だけどね」
本気で興味が無さそうに霧山は呟く。
「しかし霧山先生、先生の技術が盗まれてるとしたらそれは許せません」
「そうだねぇ、この前現れた黒い機体。アレには僕の技術が使われてるねぇ」
何でもない様に言う霧山に橋本は驚愕する。尊敬する恩師の技術を無断で盗む輩がいるのなら、彼にはそれを許す事など出来ない。
「そんな……! どうしてそんな大事な事を!」
「まあまあ橋本君、落ち着きたまえ。僕は強敵がいればいるほど燃えるって事は君も知っているだろう?」
「それはそうですが……」
「それに、僕の技術を完全に理解出来る人なんていると思うかい?」
得意気に言う霧山に橋本は呆気に取られる。橋本は分かっていないが、客観的に見れば彼も天才に分類される人間である。しかし、霧山は格が違う。普段霧山の研究を手伝っている彼ですら、霧山が考える事を完全に理解することは不可能である。橋本は納得したように問う。
「つまり、アレは不完全な模倣品という事ですか?」
「うーん、そうとも言えないなぁ。確かにアレは僕の技術を活かしきれているとは言えない。でも、アレには僕の知らない何かが有る。高橋君の機体にも使われていない何かがね」
橋本は思わず黙る。彼の同僚と言うことになっていた男の悲鳴が部屋に響く。橋本はそれに何の感想を持つことも無く、霧山に尋ねる。
「先生は、今ギャーギャー喚いてるアイツの組織に興味はお有りですか?」
「うーん、確かに興味は無いことも無いけどね……。どうしてそんなことを聞くんだい?」
「自分は何が有っても先生についていきます。先生が謎の組織とやらに行くのなら俺も共に行きます」
真剣な眼差しで言う橋本。それに思わず霧山は笑う。
「ハッハッハ、心配しないで良いよ。ここは元々僕の研究所だ。僕がここを出る事は無い。そして、例の組織のあの機体に勝てるような機体を造るのが、僕の今の目標さ」
「しかし……、問題なのは機体性能よりもパイロットの腕前では? あの宇宙人曰く、奴の星で最強のパイロットらしいですし」
「そうだねぇ、でも、最強のロボットさえ造ることが出来ればパイロットの差なんて無視出来る。パイロットの差が戦力の決定的差ではないということを教えてみせるさ」
その顔を見て、橋本は自分がついていく人物が正しかったと確信する。
「霧山先生、自分は先生の研究にどれだけ役に立てるか分かりませんが、最強のロボットを造るのに協力します」
「うん、頼りにしているよ。ところで、黒月君達は熱海に行っているけど君も行きたかったかい?」
「いえ、興味有りませんよ。前田は行きたかった様ですが」
「あっはっは、仕方無いねぇ。君も前田君も、福音軍の子に顔が知られているからねぇ」
橋本は同僚――前田朱里の悔しそうな表情を思い出す。熱海に向かった前田と仲の良い女性スタッフが土産物を買うという約束をしたことで取り合えず納得した。
「ところで、結局熱海に行った目的って何なんですか?」
「さぁねぇ、それは高橋博士本人に聞いてみないと分からないね」
部屋の外からの悲鳴は何時しか止んでいた。恐らく今は素直に情報を引き出されているのだろう、と橋本は適当に考える。
「まったく、あの女は何を考えてんだか」
☆
「ありがとね、取り合えず今日はもう用は無いわ」
高橋翠の足下には、生気を失った男が倒れていた。高橋の言葉にも全く反応する気配が無い。
「今の情報は正しいのか、それともミスリードか……」
実は高橋は数日前から他の、ファントムに潜入している『レーベ』の人間から男女平等に情報を引き出していた。今回引き出した情報は他の人間から引き出した情報と一致する。しかしそれを高橋は簡単には信じない。
「さて、駒を使って調べさせてみるとしましょうか」
高橋は白衣のポケットからスマートフォンとボイスチェンジャーを取り出す。ボイスチェンジャーで低い男声を作り、通話する。
「ミスター・エリントン。頼みたい事が有るのだが」
通話先は福音軍元帥・マシュー=エリントンだった。高橋は彼に、ある命令を出した。
☆
「で、アタシは今から働かなきゃいけないワケ? 日本のパイロットが遊んでるってのに」
突然の命令に、アメリカから遥々日本へと来たイズミ・ドレイパー大尉が愚痴を言う。
「その点については本当に申し訳無い。しかし、彼女は心に大きな傷を負っているんだ。甘いと思うかも知れないが、分かって貰いたい」
申し訳無さそうに謝るのは、福音軍日本支部のトップである篠原茂准将である。イズミの英語に合わせる様に篠原も英語で話す。
「ふーん、確か中国のパイロットもメンタルがヤられたって話だけどソッチの心のケアとやらは無いの?」
「すまないが、私もその辺りは把握していない。それに、貴官には関係の無いことだ」
不機嫌を隠そうともしないイズミに、篠原は告げる。確かに申し訳無いという気持ちは有るが、彼はこの場における最高権力者だ。大尉であるイズミの我が儘を聞く必要は無い。そもそもこれは福音軍のトップであるマシュー=エリントンからの命令である。彼には命令を実行させる義務が有る。そしてそれは、イズミも理解している。
「まー、命令だしアタシに拒否権がねーってのも分かってる。でもよー、今からアタシ一人でファントムの基地を攻撃しろってのも無茶じゃねーのか?」
「正確にはファントムの基地が存在する可能性があるから調査しろという命令だ。危険だと判断したらすぐに撤退してくれて構わない。それに今回の作戦に参加するのは貴官だけでは無い。他に霧雨を五機ほど派遣する」
「だけどよー、敵のウィルシオン? とかいうロボットには霧雨は役に立たないんじゃねーの? 足手まといはゴメンだぜ」
「これは命令だ。大尉」
イズミの言葉は不満というよりは不安から来るものだ。篠原もそれを察しつつも、あえて冷たく言い放つ。しかし、篠原の顔にうっすらと現れた不本意な想いをイズミは読み取り、敬礼する。
「了解」




