騒乱
バスに乗りながら、黒月遥は現在の状況について考える。彼女は、左側の窓際の席に座った倉島の右に座っている。その前には藤宮母娘、その前にはセントと百合花、その更に前には森崎夫妻が座っていて、遥達の後ろに奏太と浩輝が座っている。本来なら遥は浩輝の隣に座る予定だったが、初対面の倉島と奏太を隣に座らせるのもどうかと思い、この様な席順になった。一方で、このバスの中にいる彼女の知る人物は他にもいた。
(リードがウィルシオンパイロットと福音軍のエースを集めたって事で『レーベ』の人間が派遣されてるけど……何をするつもりなのかしら? あの女狐)
遥は浩輝に誘われる前から、彼女が所属する組織『レーベ』――表向きには『常空新聞』という名前で活動している――のボスである『ケーニヒ』と名乗った男からリードこと高橋が『何かをしようとしている』という事は伝えられていた。それに伴い、遥を含めた数十名の『レーベ』の人間が派遣されている。
(禁忌獣と戦うのはこーくんも望んでることだから文句は言わないけどね)
内心でそんな事を呟きながら遥は周囲を見回す。中には彼女も知らない人物もいたが、浩輝や彼海の視線からファントムの人間だと判断する。また、奏太はファントムの人間の顔を覚えていないのではないかという疑惑も彼女の中に持ち合がる。
(正直ウィルシオンが無ければ、こーくんも他の子もただの子供。つまり、大した事は出来ない。でも、向こうで極秘に新型機を開発しているとしたら……そしてそこに禁忌獣が発生するとしたら……)
物騒な思考が遥の頭を駆け巡る。ファントムは敵がいない時はウィルシオンを戦闘させない。だからこそ、とある方法で禁忌獣を強引に呼んだり、あらかじめ宣戦布告をして福音軍に準備をさせた上でウィルシオンを出撃させる。それを遥はケーニヒから聞いている。ファントムは悪の組織だ。だがその目的は、悪を働く事ではなく、人々からの悪の象徴として恐れられることである。人々からの恐怖や敵意といった感情が、彼らの運用する巨大人型兵器『ウィルシオン』を強くする。それ故にファントムは『悪の組織』になる必要がある。
(うーん。もしファントムが新型機を造ってるとして、福音軍の百合花ちゃんとかセント君を連れてくるのは何故かしら。特に百合花ちゃんは心に傷を負っている。つまりファントムに対抗するパイロットとしては使い物にならない。今回は百合花ちゃんの心のケアっていう名目だけど、あの女がそんな事をするとは思えないし……)
遥の高橋という人物に対する評価は低い。だがこれは彼女を知るほとんどの者の見解と共通するだろう。
遥の席の前では森崎家の面々が楽しそうに話し、セントや花子や倉島がそこに加わっている。遥も思考を続けながら、時折会話に入る。先ほどまでは暗い表情だった百合花も、その会話に加わっている。まだ心の傷が癒えたとは言えないが、バスを待っている時の彼海や浩輝との絡み以降、少し元気が出たように遥には思えた。そんな彼海や浩輝、そして彼の隣にいる奏太は大人しくしている。
(ちょっとルーシーちゃんと話してみようかしら)
遥は以前から、浩輝を『神』として崇めつつも『友達』として親しくする彼海に興味をもっていた。
「ねぇねぇ、ルーシーちゃん」
「……何ですか?」
彼海は問う。言葉だけみれば無愛想に思えるかも知れないが、彼女にそのようなつもりはない。
「ルーシーちゃんって何時こーくんと知り合ったの?」
遥もその経緯は知っているが、あえて聞く。彼海は『こーくん』が浩輝の事である事を察し、答える。
「……実は、以前私がクラスメイト達に、その、荷物運びのような事をやらされてた事が有ったんです。そこに助けに来たのが……」
「こーくんなのね?」
「……いえ、百合花様です。あの時の百合花様の表情はとても凛々しかった……。この世で何よりも美しく感じた……。ああ、百合花は私の女神なのです……!」
「あははは、ルーシーちゃーん? 私はこーくんの話を聞いてるんだけどなー?」
突然興奮しだした彼海に、遥は笑う。しかしその奥にはイラつきがあった。今もまだ悶える彼海の代わりか、百合花が説明を続ける。
「えっと、私は思わず助けに行ったんですけど何も出来なかったんです。そこに助けに来たのがセント君と黒月君だったんです。セント君は、殴られそうになった私を庇って殴られてしまって……」
「いや、僕だって何もしてません。浩輝は実はルーシーさんが荷物を持たせてた様子や僕が殴られた様子をスマートフォンで録画してて、それをインターネットの動画サイトに投稿するといって脅したんです。それがルーシーさんを助ける決定打になったんです」
百合花の話をセントが引き継いで説明する。遥は感心した様に表情を作る。
「へぇ、なるほどね。確かに結果的には良かったけど、性格は悪いわね……。誰に似たのかしら?」
「姉さんじゃないかな」
浩輝が口を挟む。遥には、浩輝が同級生から虐めを受けたとき、陰湿な嫌がらせで仕返しをし、浩輝を守ってきたという過去がある。その影響を受けて浩輝は陰湿な人間になった。
「うふふっ、そうね。こーくんは私が大好きなんだもんねー」
「ちょっ、姉さんその言い方は」
遥は後ろに手を伸ばし、浩輝の頭をワシャワシャと撫でる。浩輝はそれを振り払おうとする。すると浩輝は隣の奏太の物欲しそうな顔を見る。
「奏太。なんだ、その目は」
「い、いや……」
奏太は気まずげに目をそらす。そこに遥が意地の悪い顔をする。
「あら、奏太君もワシャワシャされたい?」
聞くと同時に遥は実行する。奏太はまるで天にも昇るかの様な表情をする。
「あっ、ああっ……」
「お前、人の姉に欲情するなよ」
「まあ、良いじゃねーか。遥ちゃんってなんか雰囲気がエロいしそういう気分になるのも仕方ねえ」
浩輝にたしなめられる奏太を、後ろを振り向いた倉島がフォローする。わたわたと慌てながら「ぼ、僕はそんなことは……」と言う奏太を無視して浩輝は言う。
「姉さんに手を出したら許しませんよ、変態大魔王」
「おーっと、怒っちゃったか? シスコン中二」
浩輝と倉島との間に、激しい火花を遥は幻視した。彼女が右手の動きを加速させると、奏太は更に昇天するような気持ちになっていく。
「奏太だっけか? いくら気持ち良いからって、出すなよ?」
ニヤニヤと笑って言う倉島に、奏太は顔を赤らめる。浩輝は露骨に軽蔑するような視線を倉島に向ける。
「ねえ、出すなよって何の事? セント君、分かる?」
純粋に疑問を抱いた百合花が聞く。セントは困惑したように言う。
「あはは、僕も分からないなー」
「そうなの? じゃあ大和さん……」
「百合花、それはお前が知る必要は無い。大体倉島、お前は下品過ぎる。今からバスを出るまで喋るな。遥さん、浩輝君、すまなかったな。こんな身内で」
百合花の問いを修治が中断する。百合花は不満そうな表情をするが、修治はそれを無視する。
「いえいえ、面白い方ですね大和さんは。うふふっ」
「ただの変態だと思いますけどね」
「こらっ、こーくん! 失礼よ」
「ごめんなさい、姉さん」
「違うでしょ、謝るのは私にじゃなくて大和さん」
「……すみませんでした、大和さん」
「ああ、いや、こっちも悪かったな」
とりあえず謝る浩輝に、倉島も謝罪する。彼に話すことを禁じた修治も、流石に何も言わない。
「まーまー、せっかくなんだからみんなアゲてこうぜ!」
「そうね、楽しい所に行くんだからみんな仲良く!」
明るく言った花子に、花梨が同意する。
「そうよね。私達も仲良くしましょ、奏太君」
遥はなおも奏太の頭をワシャワシャと撫でた。顔を紅潮させる奏太に浩輝が非難の眼差しを向ける。
「まったく、こーくんはヤキモチ焼きね」
「ちが、そうじゃなくてコイツの反応が……」
「まあまあ、こーくんも素直に言ってくれればいいのに」
そういって遥は空いている左手で浩輝の頭を撫でる。浩輝はそれを振り払う動作をするが、遥はやめない。その様子を見て倉島が呟く。
「やっぱりシスコンじゃねーか」
「違う、これは姉さんが勝手に……!」
「あら、喧嘩はダメよ二人とも」
弁明する浩輝と倉島の間に再び火花を幻視した遥は二人をたしなめた。その手は既に浩輝と奏太の頭から離している。浩輝は内心でやれやれとため息をついた。




