自由
福音軍基地日本支部。ここにはどんよりと暗い空気が漂っている。先程帰還したばかりの森崎百合花はそう感じた。そして彼女自身、かなり落ち込んでいた。守りたいものを守ることが出来なかった。その後悔で頭が一杯だった。
「森崎少尉、お疲れ様でした」
百合花にそう声をかけたのは黒月遥。福音軍では春川瑠奈として所属している。
「春川さん……私は、何も……」
「確かに少尉はゲファレナーには敗北しました。しかし、あなたは禁忌獣と会話をし、そして分かり合えた。これは大きな進歩です」
慰めの言葉をかける遥だが、内心では怒りを覚えていた。禁忌獣は彼女の両親を殺し、自分と弟の浩輝を絶望させた存在だ。彼女はそんなものと分かり合う気は無いが、彼女の福音軍での仕事は百合花をサポートすることである。だからこそ、出来る限りのフォローをする。
「でも……私は…………」
しかし百合花は簡単に立ち直れない。どうしたものかと途方にくれる遥のスマートフォンが鳴る。
「失礼、少々席を外します」
遥が告げると、百合花は軽く頭を下げる。遥は部屋を立ち去る。その後、セントや倉島大和が彼女の代わりに百合花を励まそうとするが、百合花の心の傷は容易には癒えなかった。
遥は周りに誰もいないことを確認し、電話に出る。
「もしもし、ボス」
「おお春川君。私の活躍は見てくれたかな?」
遥にボスと呼ばれた男――ケーニヒは飄々と言う。
「ボスは何かしましたっけ? ファントムの機体を一機止めて、後は何もせず、ただあそこにいただけでは?」
「とんでもない。彼には『助言』を送ったよ。そして彼は私の意図を読み取ってくれた。それ故、彼はあの攻撃を防げた」
「成程。ありがとうございます」
遥は心から礼を言う。ケーニヒが浩輝の命の恩人で有ることは遥にも分かっている。
「礼には及ばんよ。私も彼には興味がある。こんな所でいなくなって貰っては困る」
「それは良いことなのか、悪い事なのか分かりませんね」
遥は心から弟を心配しながら言う。
「フフフ、とにかく今日は楽しかったよ。それじゃあ」
ケーニヒは意味深に言い、電話を切る。遥はスマートフォンの画面をしばらく見つめ、ポケットに収める。。そして周りに誰もいないことを改めて確認し、小さく呟く。
「こーくん、無事で良かった」
☆
ファントム基地、ゴエティア。その建物の目の前に黒月浩輝とサイラが到着した。サイラが運んだザガンの中にいる奏太は今も気を失っている。
(それにしても、律儀な物だな)
(仕方無いでしょう。あなたは何をするか分かりませんから)
(それもそうか)
浩輝は適当にサイラと話す。すると彼が乗るクロセルに通信が入る。声の主は高橋翠だった。
「お疲れ様、浩輝君」
「予定した物とは違う物を持ってくることになりましたが大丈夫でしょうか?」
「むしろ大歓迎よ。小型禁忌獣50匹よりも大型禁忌獣1匹の方が価値は高いわ」
「そうですか。では『解体』は……?」
「そうね、今からヤっちゃおうかしら。ちょっとショッキングというかグロテスクな光景を見ることになるけど、見る?」
高橋の提案に浩輝は一瞬だけ考え込み、そして答える。
「はい。楽しみにしています」
「じゃあ、すぐにそっちに向かうわ。準備するからちょっと待っててくれる?」
「了解です」
通信が切れる。浩輝はサイラに話し掛ける。
(さあ、お前は生まれ変わる。生物としての姿を棄て、最終的に機械の体を手に入れるだろう。その体でお前の同胞達を苦しめる事になるのだろうな)
(……本当に、悪趣味ですね。あなたは)
(褒め言葉として受け取っておこう)
浩輝は笑う。しばらくすると、『ウィルシオン零号機・ルシファー』に乗った高橋が現れた。ルシファーは何か巨大な容器の様なものを持っている。
「お待たせー」
「では、早速お願いします。ところで、拘束は必要ですか?」
「必要ないわ」
高橋はそれだけ答えると、ルシファーに容器を捨てさせ、代わりにレイピアを構えさせる。そして、サイラ目掛けて走る。
(この気迫……凄まじい! 私が、私が恐怖するなんて…………!)
サイラは思わず固まる。ルシファーは飛翔し、一瞬でサイラの首を落とす。そのまま空中に留まり、体を左右対称に斬り分ける。そしてかなりの速度でレイピアを何度も振る。サイラの体の様々な器官がはみ出し、様々な体液が流れ出る。禁忌獣死骸を見たことのある浩輝でさえ吐き気を覚えそうになるが、必死で堪える。
(機体の機能に頼らず、自分自身の気迫だけで奴を恐怖に陥れただと? 圧倒的すぎる。俺とは格が違いすぎる。これは一年二年で身に付く様なものじゃ無いぞ)
戦慄する浩輝には目もくれず、高橋はズタズタとサイラの死骸を斬り続ける。そして、黒色のグニョグニョした物体を次々と取り出し、持参した容器に入れる。容器の中は特殊な液体で満たされていた。
「これが脳ミソね……。そっちはIV器官。で、こっちがAIV器官ね」
「そう言えば気になってた事が有るのですが……」
「なぁに?」
おずおずと尋ねる浩輝に、高橋は用件を聞く。
「何故ウィルシオンにはIV器官しか組み込まないのでしょうか。AIV器官の方も組み込めば例えパイロットのIV値が下がっても運用出来ると思うのですが……」
「そうね。簡単に言えばIVとAIVはエネルギーに変換する上でのプロセスが違うのよ。それ故に、IV器官とAIV器官を両方組み込んでしまうと、内部の構造が複雑になってしまい、それを守る為の機体はかなりの巨体を必要とする。だからこそ、IV器官とAIV器官を同時に組み込むのは霧山博士でも難しいわ。それに、私達は悪の組織。信者と呼ばれる存在がいるとは言え、私達は世界中の敵よ。AIV器官は組み込むだけ無駄なのよ」
「それなら、AIV器官は廃棄しないのですか?」
「このサイズのAIV器官は貴重なのよ。棄てるなんてもったいないわ」
「そうですか。ところで、残った死骸はどうするのです?」
高橋は容器を密閉しながら浩輝の問いに答える。
「施設に持っていって後で焼いておくわ。その為に細かく斬り刻んだしね」
「確かに、アレをそのまま入れられるような建物は無いでしょうしね」
「ええ」
高橋は脳などを入れた物とは別の容器に死骸を入れる。浩輝もそれを手伝う。しばらく経つと、奏太が意識を取り戻した。
「うわあああああ! ……あれ?」
「気が付いた? ここはゴエティアよ」
奏太に高橋が声をかける。
「……そうだ、僕は負けたんだ。僕は……捨てられる?」
「いや、アイツの強さは規格外だ。ですよね、高橋さん」
「……ええ。アイツは私が知る限り最強よ。奏太君にもルーシーさんにも浩輝君にも、そして私にも倒せない」
高橋がケーニヒを『アイツ』と呼んだことに浩輝は違和感を覚えるが、特に気にしない事にする。彼女の過去に首を突っ込むのは懲り懲りである。彼は話題を微妙にそらす。
「しかし、日元社長はどの様に判断するのか……。今回のことが社長のお気に召さなければ処分される可能性も有るぞ」
「処分……」
奏太は顔を青くして呟く。ウィルシオンに乗って戦うことしか取り柄がない自分が戦いに負けた。それは自分の存在意義を否定された様に感じた。高橋が口を開く。
「そうね、もし社長が奏太君を処分するのなら、私が説得してみるわ」
「ですが、今回許されたとしても、二度と失敗は許されない。確かに日元、お前の戦闘は凄まじい物が有ったが、今後どんな敵と戦うか分からない」
「そんな……」
「日元、お前はこれからもウィルシオンに乗りたいか? たった一度の失敗も許されない茨の道を行く覚悟は有るか?」
浩輝の問いに、奏太は考え込む。そして叫ぶ。
「でも、僕には戦うしか道が無いんでしょ! なら、乗るしか無いじゃないか!」
「そうだな。このままではそれしか無い。だが、それは誰がいるからだ?」
「それは……」
奏太の脳裏には父親の顔が浮かぶ。戦うためだけに自分を作り出し、自分が失敗作なら処分すると言った父親。
「それは……お父さんです」
「そう、日元社長だ。なら、彼さえいなくなればお前に自由が与えられる。何が言いたいか分かるか?」
浩輝の言葉に奏太は声を震わせ、その答えを言う。浩輝は満足げに笑った。
☆
ゴエティアのとある部屋。霧山隆介と日元奏助は今回の戦闘の映像を見返していた。
「ふむ、このケーニヒとやらは何者なのかな? 霧山」
「さてね、高橋博士なら知っているかも知れないけどね」
「あの女か。何を考えているか分からない奴は好かないな。ましてや宇宙人など」
「君の息子は負けてしまった様だけど、どうするんだい?」
「失敗作は処分する。そして、新しく作るさ。当然じゃないか」
「でも、あのケーニヒとやらの実力は半端では無いよ。機体性能も悪くない。恐らく地球の技術も使われているね。奏太君が彼に負けたのは、機体性能も関係していると思うけどね。それに、彼以外には圧倒的な戦闘をしていたじゃないか」
「ほう、庇うのか?」
「僕としては処分するのは短絡的じゃないかと思うだけだ。今の奏太君を作るのにかなり苦労したんだろう? もったいないじゃないか」
「ふむ、それもそうだな。今回は様子見だ」
「さて、奏太君達が帰ってきた様だ。出迎えに行こうじゃないか」
部下からの報告を受けた霧山は提案する。奏助はそれに応じ、室外に出る。そこは格納庫であり、それぞれの機体から降りた浩輝、高橋、奏太がいた。また、禁忌獣サイラの死骸が収められた容器もそこにあった。霧山達の姿を見つけた高橋が口を開く。
「禁忌獣の脳と、その他諸々の器官は回収しました。霧山博士」
「ご苦労様、高橋博士。黒月君も日元君も頑張った様だね」
「奏太、よく頑張ったな」
奏助は息子に労いの言葉をかける。思わぬ言葉に奏太は呆気に取られる。
「えっ……」
「確かにお前は謎の敵に負けた。だが、あれは仕方無い事だ。お前は十分に結果を残した。これからも期待しているぞ」
「は、はい! お父さん」
奏太は父親の態度に、笑顔を見せる。しかし、先程自分が父にしようと思っていた事を思い出し、顔を曇らせる。奏助はそれに気付く。
「奏太、どうかしたのか?」
「う、うん、何でもないよ」
奏太は誤魔化す。しかしそこで浩輝が口を開く。
「まったく、都合の良い人ですね」
浩輝の表情は冷たい。奏助はひきつりそうになった顔に小さく笑みを浮かべる。
「それは私に言っているのかな? 黒月浩輝君」
「他に誰がいると思いますか?」
浩輝はシニカルに笑いながら問いかけ、そしてすぐに奏太に顔を向ける。
「それに日元奏太。お前もお前で人を簡単に信じすぎだ。コイツが昨日お前に言ったことを忘れたか?」
その浩輝の態度に、奏助は怒りを露にする。
「良いのか? 私は世界に影響を与える権力者だ。私を敵に回すことの恐ろしさは君も分かっていると思っていたのだがな」
「ならばあなたが消えれば良い事です。そうすれば僕は姉を守る事が出来ますし、日元奏太は解放される」
「ハッハッハ、何を言っているのかね? 世界に影響を与える私の死は隠すことなど出来ない。日元電機は怪しまれ、ファントムとの関係が明るみになれば、君や君の姉はこの世界から居場所を失うのだぞ? それに、私は君のようなひ弱な子供に殺されはしない」
「勘違いしている様ですが……僕はあなたを殺すつもりは有りません」
浩輝が告げると、彼らがいた格納庫の扉のひとつが開く。そこには藤宮彼海と日元奏助がいた。彼らは驚く日元奏助の所へと歩いて行く。
「な、なんだこれは……。私が……私がどうしてッ!」
「悪いねぇ。いざという時の為に君のクローンを作っておいたんだよ。彼には君の代わりに日元電機の社長になってもらう」
「仰せのままに。ドクター・キリヤマ」
クローン奏助は霧山にひざまずく。彼海は上から彼の頭を、よしよしと言いながら撫でる。そんな情けない自分の姿に、オリジナル奏助は怒りを覚える。
「やめろ! こんな奴にそんな態度を取るんじゃない!」
しかしクローン奏助は聞く耳を持たない。それどころか霧山の靴を舐め始めた。
「や、やめろおおおおおおお!」
あまりの屈辱にオリジナル奏助は咆哮し、霧山に殴りかかる。しかし、彼の前にクローン奏助が立ち塞がる。オリジナル奏助はクローン奏助の顔面を殴ることになるのだが、そこには硬い感触があった。彼は右手に激痛を覚え、踞る。
「ぐああああ!」
「おっと失礼。先程はクローンと言ったが、実は彼はウィルシオンに用いている技術を応用したサイボーグでもあるんだ。彼は僕のボディーガードにもなってもらうよ」
ニヤニヤと笑いながら霧山は言い捨てる。オリジナル奏助は絶望に泣きわめく。
「無様なものですね。これが人の命を弄んだ者の末路ですか」
浩輝は無表情で言い捨てる。
「ふざけるな。私を敵に回して……」
「回したらどうなるのです? あなたの代わりはそこにいるのですよ。今のあなたなど、恐れるに足りません」
「このおおお!」
不意に浩輝の顔面が殴られる。その拳の主は奏太だった。
「……日元奏太、何故……」
「まあ待て、ルーシー」
彼海は声を荒げるが、浩輝は頬をさすりながら彼女を制する。
「なんで皆お父さんを虐めるんだよ! こんな酷いことをして!」
吠える奏太の眼には涙があった。浩輝は尋ねる。
「その男を許すのか? お前を玩具としか思っていないその男を」
「でも、こんな状況見てられない! 何が有ってもこんな酷いことはやっちゃいけないんだ!」
奏太の説教を聞きながら浩輝は内心で思う。
(馬鹿か。さっきのソイツの態度を見て天秤が揺れたか。単純な奴だな)
そして言う。
「コイツがいる限り、お前は今後もウィルシオンに乗って戦うことになる。馬鹿なお前でも忘れた訳では無いだろう」
「忘れてなんか無い! 僕にはやっぱりウィルシオンしか無いんだ。僕はこれからも戦い続ける!」
「そんなことは無いさ。お前だって頑張ればなんだって出来る。無限の可能性を秘めている。だが、あの男がいる限り、それが開花することは無い」
その言葉に奏太の心は揺さぶられる。
「そんな……僕はただの役立たずだよ……」
「違う。お前には何かの才能が有る。それが何なのかは俺にも分からないが、必ず有る。俺を信じろ」
真剣な目で言う浩輝に、奏太は涙を流す。
「そんな……僕にも、何かが出来るのでしょうか」
「ああ、出来るさ。だが急いで見つけなくても良い。ゆっくりとお前の道を探して行けば良い。俺も手伝うぞ、日元。いや、奏太」
「……なら私も手伝うわ、奏太君」
浩輝は奏太をファーストネームで呼ぶ。彼海も浩輝に便乗する。今まで同世代の人間にファーストネームで呼ばれたことが無かった奏太は、嬉しさに涙を流す。
「ありがとうございます、黒月さん、藤宮さん」
「俺の事は浩輝と呼んでくれて構わない」
「……私の事もルーシーって呼んで。私達は友達だから」
「分かりました。浩輝さん、ルーシーさん」
「奏太、お前が自由を手に入れる為に必要な事は分かるな?」
「分かっています。浩輝さんにさっき言われた通り……」
奏太が呟くと、彼の掌には虚空から光の粒が現れ、剣を形成する。まるで、クロセルの様に。
「お父さんを、僕が殺します」
「まて、奏太。それは一体……いや、それはどうでも良い。私を殺してどうするつもりだ……?」
予想外の展開に奏助は声を震わせる。
「僕は、自由を手に入れる」
「そ、奏太、よく聞け。お前はそいつらに騙されている……。お前は……」
「クズの言うことに耳を貸す必要は無い」
命乞いをする奏助を浩輝が妨害する。奏太はやがて奏助の目の前に立つ。剣を振り上げる。
「よくも、僕の命を弄んでくれたなッ……!」
「まて、私はお前の父親だぞ。お前は親を殺すのか!?
」
「今さら、綺麗事を言うな!」
「お前はただ、利用されてい……がはっ」
奏太は奏助の右肩から斜め下に斬る。その剣筋に迷いは無い。奏助は吐血する。
「ハハ、ハハハハハハ! やったぞ! 僕は自由を手に入れたんだ!」
奏太の狂った笑いが格納庫に木霊する。




