一矢
浩輝が『エンプーサシステム』によって見せた幻覚は滄波を発狂させている。だが、この幻覚を見ているのは滄波だけでは無い。
(我ながら悪趣味だな……)
エンプーサシステムの欠点として、相手に幻覚を見せる前に、それをパイロット自身の脳内に送られてしまうという点がある。浩輝は最初に禁忌獣に使った時と滄波に使った時の二回、この幻覚を見ている。
(まあ、幻覚である事を認識できている分マシか)
浩輝は既に覚醒している。未だ幻覚に悶えている滄波の青龍は倒れている。
「幻想の氷刃」
浩輝はか呟くと、クロセルの図上の輪は回転し、そこから光の粒子がクロセルの右手に流れ込み、一本の剣を形成する。それはまるで、氷の様だった。クロセルは両手でその剣を掴み、青龍の両腕と両脚を斬り落とす。そして、滄波と同じ様に幻覚によって苦しんでいる禁忌獣を解放する。幻覚から覚めても、禁忌獣達からは恐怖の感情は消えていない。そんな彼らに浩輝は語りかける。
(さて、生意気なゴミクズ共。お前達には俺の奴隷になってもらう)
大半の禁忌獣は恐怖に怯えているのだが、中には勇敢な者もいた。それはクロセルに向かって全力でエネルギーの塊を吐く。
(無駄だ)
エネルギーの塊はクロセルに直撃する。しかし、クロセルには傷ひとつ無い。クロセルは『幻想の氷刃』で、勇気ある禁忌獣を一刀両断にする。その上で浩輝は告げる。
(お前達の攻撃は俺には通じない。俺はお前達を一瞬で殺せる。どうするのが利口か。お前達にも分かるよな?)
今殺された禁忌獣は、彼らの中でも一目置かれている存在だった。そんな存在があっさりと消されて、残りの禁忌獣を絶望が襲う。彼らは察する。目の前の黒い天使に従う以外に自分達が助かる道は無いのだと。禁忌獣約95体。彼らは全て、黒月浩輝の奴隷になった。
(――ワ、カリマシタ……)
禁忌獣の一体が浩輝に言う。浩輝はそれを不快に思いながらも、それは表に出さずに内心で告げる。
(賢明な判断に感謝する。では、お前達に命ずる。俺は今から常空市に向かう。お前達は俺に着いて来い。俺から離れても俺の位置は分かるな?)
禁忌獣は遠く離れた相手とも念波によって会話をし、互いの位置を特定する事が出来る。その特性はウィルシオンにも使われている為、ウィルシオンが『ワルキューレシステム』もしくは『ヴァルキュリヤシステム』を起動している場合、禁忌獣はウィルシオンの位置を特定する事が可能である。
(――ワ、カリマス)
一体の禁忌獣が答える。浩輝はそれを無視して、すぐに常空市に帰還する。クロセルは高く飛び上がり、空を翔る。浩輝は一足先にゴエティアに着いた藤宮彼海のアメリカでの先頭の様子を映像で観る。
☆
アメリカ合衆国、サンフランシスコ。藤宮彼海はハルファスを操り、禁忌獣を次々と屠っていった。
「やめろ、やめろおおおおおおおおお!」
叫ぶのはイズミ・ドレイパー。福音軍に所属する大尉である。両親を禁忌獣に殺され、復讐を誓っていた彼女は自分の手で全ての禁忌獣を殺す事を決意していた。
「イズミ……」
呟くのはレイラ・プロバート。現在両腕を失っている人型兵器、ウィンドの開発者で、イズミの専属オペレータである。
「やめろっつってんだろおおおおおお!」
「イズミ、話を聞きなさい!」
ただひたすらに叫ぶイズミをレイラはたしなめる。
「なんだよレイラ! アタシには何も出来ねえ。どうすりゃ良いんだよ!」
「落ち着いてイズミ。私のウィンドはたかが腕二本を失った程度で戦えなくなるようなポンコツじゃないわ。忘れたの?」
イズミは思い出す。ウィンドにはまだ隠し玉があった。
「でもよお、レイラ。今更ノコノコ近付いたって返り討ちになるんじゃ……」
「イズミ、ウィンドは駆動音を出来るだけ抑えた、隠密性に特化した機体よ。大丈夫、あなたなら出来るわ」
「そう、だったな。ウィンドはニンジャだ。レイラが造った最高の機体だ。あんな奴に、負けない」
イズミは弱気を吹き飛ばす。そして、出来るだけ静かに、しかし迅速に、現在禁忌獣を次々と殺しているハルファスに狙いをつける。ハルファスはかなりのスピードだが、自機のスピードや敵の次の行動を予測し、的確な一撃を決めるべく、近づいて行く。
「はあっ!」
イズミは気合いの声をあげる。瞬間、ウィンドの背中から二本の腕が現れる。本来ウィンドには四本の腕が備わっているが、四本同時に操作する事にイズミは慣れていない。しかし、元々の腕を失っているのなら話は別だ。ウィンドは大地を力の限り踏み込み、新たな右手で、ハルファスを殴る。
「なっ」
予想外の衝撃に彼海は声をあげる。スピードに特化した機体であるハルファスは衝撃に弱く、吹き飛ぶ。だが、その隙をイズミは見逃さない。バラバラに砕け散った右手を無視してすぐさま前方に突進し、新たな左手にクナイを持ち、それをハルファスの胸に打ち込む。
「いっけえええええええ!」
「あああんっ!」
彼海も呆然としているだけでは無い。危機を察して後方に飛ぶ。しかし表面にヒビが入る。彼海は悲鳴をあげる。彼海の声は機械によって加工された声だが、イズミは敵のパイロットが女性であることを確信する。
「うふふ、あなた、やはり、良い! ですが……私は帰ります」
彼海は敵を認める。だが、ハルファスはこれ以上ダメージを受ける訳にはいかない。相手がどんな隠し玉を持っているのかも定かではない。禁忌獣はまだ少し残っているが、これ以上戦闘を続けるのは得策ではないと判断する。
(ゴメンね……浩輝君)
彼海は友人であり、崇拝する相手に謝罪する。彼の代わりにここにいるのに、その役目を果たせず、ノコノコと帰るしかない自分を恥じる。だが、敵の捕虜になり、敵に情報を与えることになるのは避けたい。それこそ、浩輝に迷惑をかけることになると考える。ハルファスはかなりの速度で離陸する。
「待ちやがれ!」
イズミは叫ぶ。だが、そんな場合ではないと考える。周りには、イズミの強い敵意に反応している禁忌獣がいた。数がかなり減っている彼らを、左手のクナイで全滅させる。イズミはそう考えた。だが、彼女の口から出た言葉は違う。
「お前らも、もう帰ってくれねえか」
予想外の言葉にレイラは息を飲む。イズミはこの戦場で、ずっと禁忌獣の声を聞き続けていた。裏切られたような声。仲間を失っている悲しむ声。そして、死ぬほどの痛みを受けて苦しむ声。そんな声を聞き続けて、イズミの中に迷いが生じた。この戦いに意味があるのか。そんな疑問が生じた。
(――ワ、カッタヨ)
イズミの中にそんな声が届く。仲間を失い、数も少なくなった禁忌獣達は海に進み、サンフランシスコから去っていった。それを無感情に見送るイズミに声が聞こえる。
(――アリガトウ)
イズミはただ、涙を流した。
☆
やがて隊長から帰還命令が出る。イズミは数少なくなった他の福音軍の兵士と共にサンフランシスコの福音軍の施設に帰還する。イズミそこで隊長に今回の事について報告し、与えられている部屋に入る。今日は殆どの者が疲労状態に有るためサンフランシスコで一泊し、翌日ニューヨークの本部に帰還する事になった。イズミの部屋はレイラと共同である。レイラは、消耗しているイズミに労いの言葉をかける。
「お疲れ様、イズミ」
「なあ、レイラ……」
レイラは、どこか弱気な親友の声を聞く。普段のイズミはレイラの前ですらその様な姿を見せないが、今回は無理も無いと思う。今回戦った敵はかなりの強敵だった。
「何?」
「私はパパとママを殺した禁忌獣を許さない。禁忌獣は私の手で全て殺す。邪魔する奴は消す。そう思ってたんだ……」
「……」
レイラから見てイズミの顔は泣きそうだった。だが、それには触れず、イズミの話を聞く。
「でもアタシ、アレに乗ってて分かったんだ。禁忌獣は確かにパパとママを殺した。でも、今日アタシが殺した奴らは殺してない。ただ、何かに呼ばれてここに来た。そんな感じだった」
「それって……」
禁忌獣は何かに呼ばれた。その言葉にレイラは少し驚くが、それよりもイズミの話を優先する。
「レイラ。アタシの戦いって何だったのかな……。あの禁忌獣は多分、生まれてそんなに経ってない子供なんだ……。そんなのを、殺して良いのかな……?」
禁忌獣は実際に被害を出しているし、今回戦死した人も沢山いる。その中にはレイラやイズミと親しかった者もいる。レイラの脳裏にはそんな言葉が浮かんだ。だが、目の前の泣きそうな親友に言う言葉ではないと判断する。レイラはただ、イズミを抱き締める。
「……!」
「イズミ、あなたは頑張ったのね。苦しんだのね」
「レイラ……」
「戦場にいなかった私には偉そうな事なんて言う資格は無い。でもねイズミ、あなたみたいな優しい子は福音軍なんかやめて、普通の女の子になる。それも良いんじゃないかしら」
レイラの突然の提案にイズミは驚く。
「そんな! じゃあレイラは……?」
「ダメよ、私にはウィンドを開発したという責任がある。やめるわけにはいかないわ」
レイラはイズミの復讐に付き合うという理由で米軍に入り、結果的に福音軍に所属している。つまりイズミには、レイラを巻き込んだという負い目がある。
「それを言うならアタシだって、簡単にやめられる立場じゃない! そもそも、福音軍って簡単にやめられるもんなのか?」
「その時は私が上を説得してみるわ。ただ私はやめてと言っている訳じゃない。そういう事も視野に入れておいてって言ってるの」
「……」
イズミは考える。だが、すぐに反論する。
「アタシはやめねえ。たとえ禁忌獣が敵でなくなるとしても、福音軍としてやれることをこれからも続ける」
イズミは真っ直ぐな眼でレイラを見据えて言う。レイラは思わず笑う。
「ふふふっ、やっばイズミは真っ直ぐね」
「な、何で笑うんだよ!」
「ふふっ、何でもないわ。そうね、それこそがイズミね」
レイラはイズミがいつもの様に元気になったのを見て安心した。




