正義
鳥のような雰囲気を持つ人型ロボット『ウィルシオン四号機・ハルファス』――世間での通称は『ガルーダ』――が現れてから一週間が経つ。森崎百合花がセントと学校に向かっていると、百合花の肩がすれ違った通行人の女性の肩とぶつかる。
「あっ、すみません」
百合花が思わず謝ると、ぶつかった女性は「こちらこそゴメンね」と頭を下げる。そして、百合花に紙切れを渡す。
「えっ」
百合花は怪訝に思い、呟く。すると女性は自分の唇に人差し指を当て、去って行く。
「百合花ちゃん、それは何?」
セントは聞く。彼はいつしか、「百合花さん」ではなく「百合花ちゃん」と呼ぶようになっていた。百合花は笑って答える。
「ううん、何でもないわ。ただのイタズラみたい」
「そっか」
百合花が受け取った紙には次のように書いてあった。
『森崎百合花さんへ。もしもファントムと戦う覚悟が有るのなら、誰にも内緒で僕の所まで来て欲しいな。坂口才磨より』
そこには住所の他に、いつ、どこに車を待機させているかという情報が記されていた。
(確かに普通に考えたらイタズラだけど、でも私だってファントムと戦いたい。坂口さんも変わってる所は有るけれど悪い人では無いし、私は行く。ゲファレナーはお父さんを馬鹿にした。絶対に許さない)
その様な事を考えながら、百合花はセントと教室に入る。
☆
現在は昼休み。教室での話題は、突然学校を早退していった百合花の事と、ある日を境に突然調子が悪そうになった青木孝についての事、そして、今日ファントムが現れるらしいという事についてが主だった。
「ねえ浩輝」
「ん?」
セントは隣に座る浩輝に声を掛ける。
「青木先生、どうしたんだろうね」
「さあな。慣れない仕事をして気疲れでもしてるんじゃないか? 前田先生も橋本先生も疲れたって愚痴を言ってたし」
心配そうなセントに浩輝は表情も変えずに答える。
「でも、疲れたんだったら休めば良いのに。心配だよ」
「まあ、赴任して来たばかりという立場上、休みたいとも言えないんじゃないか?」
「でも、あの疲れ方は異常じゃないかな」
「仕事なんてその内慣れるだろ。ただ、疲れた原因が教師としての仕事とは別に有るとしたら……」
二人は沈黙する。セントは青木の疲労の原因がファントムに有ることには気付いている。そして、セントがそれに気付いている事には浩輝も気付いている。
「まあ、それは良いよ。ところで、今日はルーシーさんは来るの?」
「その予定だ。ただ、あの人も高校生だから来るのは学校が終わってからだろうな。ところで、森崎さんが早退した理由、分かるか?」
セントの遠回しな質問に浩輝も遠回しに答え、質問を返す。
「本人には教えてもらってないけど、何となくは分かってるよ。浩輝は知ってたの?」
「知らなかったさ。お前は止めなかったのか?」
「本人が隠してることに首を突っ込む趣味は無いよ」
「そうか。それで、お前はそこに行くのか?」
「そうだね、僕も早退して行くよ。浩輝は?」
「俺は学校が終わってから行くつもりだ」
そんな会話をしていると、やがて授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
☆
本日の授業も終わり、浩輝はあらかじめ指定された場所に行く。そこには橋本と前田がいた。橋本が文句を言う。
「おせーよ」
「これでも急いで来たんですけどね……」
「重要なのは過程じゃねえ、結果だ」
「技術者的には過程も重要じゃないんですか?」
「御託は良いからさっさと行くぞ」
橋本が運転席、前田が助手席、浩輝が後部座席に乗った自動車がファントム基地、ゴエティアを目指す。
(それにしても、ゴエティアの位置ってバレないものなのか? 今の技術なら簡単に特定できそうだが。まあ、ファントムの謎技術でどうにか隠蔽してるんだろうか)
ゴエティアは工業団地に有り、表向きには日元電機の施設ということになっている。やがて三人はゴエティアに到着する。彼らは今すぐ『ハルファス』に乗ろうとしている藤宮彼海と、それを見ている高橋翠に会う。
「来たわね、黒月君。えーっと……前田さんに橋本さんだったかしら」
三人を迎えた高橋の言葉に浩輝は頭を下げ、橋本と前田は不機嫌そうな顔をする。すると彼海が浩輝のちかくにくる。彼海は既にパイロットスーツを着ていた。そのパイロットスーツは彼海の大きな胸を強調していた。
「……浩輝君」
「あ、ああ」
浩輝は彼海から目をそらす。その様子を高橋、前田、橋本がニヤニヤと見ている。
「……私、初めて戦う。すごく楽しみ」
「期待している。ルーシーが危なくなったら俺も加勢することになる」
「……浩輝君の手は煩わせない」
「そうか、頑張れよ。それと、もし俺が出撃するとしたら、俺はルーシーを「ハルファス」と呼ぶ。だからルーシーも俺を「クロセル」と呼んでくれ。敵に名前は知られたくないからな」
「……分かった」
「ところでルーシー、世界を壊すというのはどう言う事だ?」
「……えっ?」
「世界中の人々を殺したいのか、それとも支配したいのか。具体的に何をしたい?」
「……分からない。私が何をしたいのか。でも『ハルファス』に乗って入ればいつか見つかる。そんな気がする」
「そうか」
浩輝と彼海の会話が終わると、高橋が口を開く。
「それじゃあ藤宮さん、そろそろ出撃よ。黒月君もいつでも出撃出来るように準備しておいて」
「……了解です」
「分かりました」
彼海はハルファスに乗り込み、浩輝は彼に与えられている彼専用の個室に行ってパイロットスーツに着替える。
「ウィルシオン四号機・ハルファス、藤宮彼海。出撃」
彼海はハルファスを発進させる。ハルファスはかなりの高速で空を翔ける。
「今日は酔い止め、飲んでるのに……気持ち悪い」
ハルファスに掛かる衝撃が彼海を襲う。吐き気に耐えながら彼海は操縦する。
「……見付けた」
彼海は福音軍基地日本支部を発見する。そこには20体の人型ロボット『レオン』がいた。自分の体の震えを武者震いだと思いながら、目標に近付く。
「うう、気持ち悪い……。 誰かッ! 私をッ! 気持ちよくしてえええええッ!!」
ハルファスは急降下し、背中から二丁の散弾銃・『狂気の嵐』を取り出して、引き金を引く。
「私をッ、気持ちよくしてみろおおおおォォォッ!」
ハルファスのIVによって加速された恐るべき速度を持つ弾丸の雨は三体の『レオン』を蜂の巣にする。そのコクピットにいるパイロットも含めて。
「何!?」
「そんな、いきなり……?」
「嘘だろ……!?」
「うわあああああ!」
仲間を殺された福音軍兵士がそれぞれ言う。しかし、そうしている間にも彼海は敵を屠る。
「ああああああ! 全然気持ち悪いイイッ!」
数体の『レオン』がマシンガンを撃つ。しかし、『ハルファス』は恐るべきスピードで戦場を飛び回るため銃弾はほとんど当たらない。中には当たる弾もあったが、『ハルファス』の装甲には傷ひとつ付かない。
「うわあああ! 何で効かないんだよ!」
「ええい! アメリカから援軍を呼べ! ……うわあああ!」
「新型機とやらはまだか!」
「クソ……、ガルーダめ」
彼海はたちまち全ての『レオン』を撃破する。
「気持ち悪い……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! 気持ち、悪いいいいいんだよおおおおおおお!」
☆
浩輝はクロセルのコクピットの中でハルファスの戦闘の様子を見ていた。そして、何の躊躇いもなく敵を殺す彼海に戦慄していた。
(何だ……。ルーシーは一体何を考えている? 目的は何なんだ?)
浩輝はモニターの隅に見覚えのない白い天使の姿を見付ける。
(敵の新型か? だとすると、アレに乗っているのは恐らく……)
クロセルに通信が入る。
「黒月君、念のためそろそろ行ってきて」
「……分かりました。ウィルシオン五号機・クロセル、黒月浩輝、出撃します」
高橋の命令を受けて浩輝はクロセルを発進させる。
☆
時は遡る。
森崎百合花は学校の校門を出ると、朝渡された紙切れによって指示された場所に向かう。すると、していされたナンバーの自動車を発見した。自動車の外では、今朝百合花とぶつかった、背が高く黒髪ショートのメガネをかけた女性が手を振っていた。
「森崎百合花さんね。朝はゴメンなさい。私は福音軍中尉の笹原真理。坂口才磨大尉の助手をしているわ」
「よろしくお願いします、笹原さん。それで、私を呼んだ理由は……」
「それについては車の中で話すわ。乗って」
「はい」
笹原に促され、百合花は自動車に乗る。運転席に座った笹原は車を発進させる。
「えっと、じゃあ話すわね。あなたを誘ったのは……」
「誘ったのは?」
「あなたの家族から身代金を貰うためよ!」
「えー!?」
「……というのは冗談よ」
「ほ、本当ですか?」
「本当よ。まあ真面目に言うと、坂口博士は禁忌獣、そしてファントムに対抗するための新兵器として『セラフィオン』というロボットを開発したの。そのパイロットとして百合花さん、あなたを坂口博士は推薦したの」
百合花は驚く。確かに彼女はファントムと何らかの形で戦いたいと思っていた。薄々、ロボットに乗って戦う可能性もあると考えていた。しかし、実際にロボット、しかも新兵器に乗って戦えと言われると驚愕せざるを得なかった。
「無理です。私にはロボットなんて乗れません。おとう、いや、父は『レオン』そして『霧雨』のパイロットとして何年も訓練してきました。そしてそんな父はゲファレナー相手にまったく歯が立ちませんでした。私にはできません」
「そうね、あなたには悪を許せないという正義感がある。その一方で頭もいい。あなたがただの臆病でそう言っている話ではないのは分かるわ」
「買いかぶりすぎです。私だって怖いです」
「そうね。ゲファレナーは『霧雨』が5体がかりで1匹も倒せなかった禁忌獣をたった一機で全滅させた。でもね、坂口博士の『セラフィオン』はゲファレナーと同じくらいのポテンシャルを持ってる。何故ならセラフィオンはファントムから盗んだ技術によって造られたからよ」
「もしそうだとしても私には……」
「とりあえず最後まで聞いて。ファントムの兵器は『ウィルシオン』って名前らしいんだけど、これが面白い技術だったの。ウィルシオンは人間が他人から受ける負の感情を物質化してエネルギーに変換することで動かせるの」
「負の感情?」
百合花は怪訝に思う。
「百合花さんは小学生くらいの時に経験ないかしら。ある一人の子に触れたら「ナントカ菌だ」とか言って他の人に移すっていうイジメ」
笹原の言葉に、百合花は思い出す。かつて自分が黒月浩輝にしたことを。いや、何も出来なかったことを。
「……ありました。同じクラスの男の子がそういうイジメを受けてて、私はその子を助けるどころか、それに加担してました。その人とは最近久しぶりに話したんですけど、私の事を許してくれて……」
「まあ、下手にかばったりしたら自分が次の標的になるし仕方ないわ。ちなみに私はされてた方の人間よ」
「……」
「話を戻すわ。つまりウィルシオンはその『ナントカ菌』をエネルギーとして動くのだと、坂口博士は考えた。そして、ウィルシオンによく似た技術が使われているロボットがあったの。それは、あなたのよく知るセント・コールリッジ少尉が乗っていたロボット『フィム』。これはウィルシオンとは逆に正の感情をエネルギーとして動く。しかしフィムはゲファレナーとの戦闘によって大破した。そこで坂口博士、フィムのエネルギー増幅器とウィルシオンを組み合わせて新たなロボットを造った。これがセラフィオンよ。あなたにはセラフィオン』に乗って欲しいの」
「でも、私はロボットなんて動かしたことが有りません。他にもふさわしい人はいると思います。それこそセント君とか」
「いや、彼は福音軍の中でも怪しまれている。人気者とは言えないわ。その点であなたは違う。容姿も人柄も素晴らしい。あなたを知る全ての生き物はあなたを愛するでしょうね」
「そんな事は……」
美人なお姉さんにここまで褒められて百合花は照れる。
「まあ、大げさな言い方になったかもしれないけど、坂口博士はあなたを選んだ。大丈夫よ、あなたなら出来る。そもそもセラフィオンには技術的な意味での才能は必要無い。適当に武器を振ってればファントムなんてケチョンケチョンよ。一方で別の意味での才能がとても重要なの。そして私たちの知る限りで最も才能を持っているのがあなたなの」
「そんなこと言われても……」
「さあ、着いたわよ」
百合花は笹原に案内されて、『福音軍技術開発研究所』のとある部屋に入る。すると、痩せぎすのメガネをかけた男、坂口才磨が出迎えた。
「いやー、百合花ちゃん、久しぶりだね。笹原中尉もおかえりなさい」
「博士、またジュースが白衣にこぼれてますよ。着替えてください」
「えー、別にいいじゃん」
「よくありません! まったく、脱いでください」
「ちぇー、わかったよ」
「大体、基本デスクワークのあなたが何で白衣を着ているのか分かっているんですか?」
「博士っぽい雰囲気を出すため?」
「ち・が・い・ま・す! 汚れを目立たせる為です」
「僕は汚れても別に良いんだけどな……」
「あなたももう30歳なんですよ? そろそろしっかりして下さい!」
百合花は呆気にとられる。目の前の二人は「博士と助手」というよりは「息子と母親」のように見えた。新しい白衣を着た坂口は百合花に言う。
「ところで百合花ちゃん、中尉から話は聞いたと思うけどセラフィオンに乗る?」
「えっ……」
突然の質問に百合花は戸惑う。しかしすぐに、自分の考えを話す。
「私はファントムが許せません。何を考えてるのか分かりませんが、人の事を馬鹿にして、多くの人を恐怖に陥れて。そして、私の目の前には、そんな悪と戦える正義の力が有る。ならば、私の選択肢は一つです。私は戦います」
坂口は満足げに笑う。
「ありがとう! じゃあさっそく見て! これが僕が作った『セラフィオン零型・ウリエル』だよ」
坂口はコンピュータを操作して部屋の壁を移動させる。その奥には巨大な天使がいた。全体は白いが所々赤い部分があり、ヒロイックな印象を百合花は受けた。
「ウリエル……」
「まずは乗ってみてよ」
「はい!」
百合花は坂口の指示通りに『ウリエル』のコクピットのハッチを開放し、乗り込む。そして、そこにあったヘルメットを両手で拾い上げる。ヘルメットからケーブルが延びていて、コクピット内の機械に繋がっていた。百合花はそれを被る。そしてハッチを閉じ、坂口に説明されるがままにウリエルを起動する。
(何?)
ウリエルが起動した途端に百合花を頭痛が襲う。
(頭の中に何かが……来る。これは、この子の動かし方? それ以外にも何か……)
百合花は気絶した。