布告
目的地に到着した高橋は彼海に言う。
「ようこそ、ここはゴエティア。我々『ファントム』の基地よ。ついてきて」
彼海は言われるがままに高橋についていく。二人が建物内のエレベータに乗っていると、高橋は言う。
「そう言えば聞いてなかったわね。あなたのお名前」
彼海は戸惑うことなく、誇りをもって答える。
「藤宮彼海です。ハーフではなく普通の日本人です」
「よろしくね、藤宮さん。私は高橋翠。ファントムの副指令よ。「福士玲」というのは偽名よ」
名前を聞いても対した反応をしない高橋に、彼海は意外に思う。
(バカにされるのは嫌いだけど、普通に対応されるのもそれはそれで寂しい……)
やがてエレベータは停止し、扉が開く。やがて彼女達は『ウィルシオン』の格納庫に入る。彼海が格納庫を見渡していると、三体の機械の巨人の姿が視界に入る。
「あれは……ゲファレナー様!」
彼海は叫び、興奮しながらその場に平身低頭する。その目には涙すらあった。
「ああ、ゲファレナー様……。まさか目の前でそのお姿を拝見出来る時が来ようとは……」
突然泣きながらこんなことを言った彼海に高橋は引きながら、声をかける。
「あの、あなた大丈夫?」
すると彼海は素早く立ち上がり、高橋の方に平身低頭する。
「申し訳ありません。私、貴女様の言うことを疑っていました。貴女は本当にファントムであったのですね」
「そ、そうよ」
「ああっ! 私は何と言うことを……」
「ど、どうしたの?」
「もしかして黒月様は本当にゲファレナー様だったのですか?」
「え、ええ」
「私はあの方になんて無礼な事を……。ああ、私はゴミですらない存在……。死にます。お願いします、殺してください!!」
(何この子、めんどくさい)
高橋は珍しく苛立ちを覚える。そして、ある人物に電話を掛ける。
『もしもし、何でしょうか高橋さん』
電話先は浩輝だった。
「黒月君? 今、君が紹介してくれた子をゴエティアに連れてきたんだけど……」
『ああ、藤宮さんですか。彼女がどうかしたんですか?』
「この子、君の正体を知って、君に大変な事を言ってしまった、だから殺してくれなんて言ってるのよ。どうにかしてくれる?」
『ちょっ、どうにかって……』
浩輝の抗議の声を無視して、高橋はスマートフォンを彼海に渡す。暴れていた所をスタッフに押さえつけられていた彼海は、電話相手の名前に反応し、食い付くように電話に出る。
「あの、お電話変わりました。藤宮彼海です。黒月様、いやゲファレナー様。私、先ほどあなた様に対して大変失礼な行動をしてしまいまして、私のようなゴミは死ぬべきだと思うんです」
(なるほど、これは重症だ)
電話の先で浩輝は頭を押さえ、答える。
『藤宮さん。僕の事は黒月でお願いします』
「ああ、申し訳ございません、黒月様」
様を付けて自分を呼ぶ彼海に浩輝は苦笑する。
『まあ、良いでしょう。僕は藤宮さんの言った事は気にしていません。そもそも僕は貴女が必要だったから、貴女を高橋さんに紹介したのです。むしろ死なれた方が困ります』
その言葉に、彼海は狼狽する。
「そ、そんな……。黒月様に私などが必要だなんて。しかし、何故でしょうか? 私には何の取り柄もありません」
あくまで自虐的な彼海に浩輝は再度苦笑をしてから、問う。
『藤宮さん。ウィルシオンについての説明は受けましたか?』
「ウィルシオン?」
彼海は眉をひそめる。
『ファントムが開発したロボットです。僕が1週間前に乗ったのは『ウィルシオン五号機・クロセル』という攻撃に特化した機体です』
「それでしたら恐らく、現在私の目の前に3台ほどあります」
『ウィルシオンというロボットは強力である反面、一部の人間にしか扱えないという欠点が有ります。そして貴女にはそれを使う資格が有るのです。つまり貴女は、選ばれた存在なのです』
「誠に恐縮なのですが、資格とは?」
『ウィルシオンは人間が発するIVという物質をエネルギーとして動きます。詳しい説明は高橋さんに任せますが、藤宮さんは多くのIVを持っています』
「……」
彼海は沈黙する。
『藤宮さん、僕は貴女に乗れと強制している訳ではありません。ウィルシオンに乗れば禁忌獣や福音軍とも戦い、世界を敵に回す事になるでしょう』
「……」
『僕はとある理由で禁忌獣を憎んでいるため、ウィルシオンに乗りました。貴女には理由はありますか?』
「理由……」
『ウィルシオンはとても大きな力です。下手すれば、世界をどうにかできるポテンシャルを秘めている。貴女に、それほどの力を得る理由はありますか?』
「私は……」
彼海は一度言葉を切る。
「私は、世界を壊したい」
その言葉は、電話の様子を周りで聞いていた高橋達を驚かせた。しかし、彼海と一度話をしている浩輝は気にせずに答える。
『ならば、貴女には相応しい力かも知れません。貴女が具体的に何をするのか、楽しみにしています』
「ああ、その様な勿体無きお言葉……」
『期待していますよ。それでは高橋さんに代わってください』
「その……、差し出がましいかも知れませんが一つだけ、その、お願いが」
『何でしょう?』
浩輝は怪訝に思う。
「あの、私の事は、名前で呼んで欲しいのです。いえ、別に呼ばなくてもいいんです。ただ……」
それを聞いて浩輝は緊張する。同年代、しかも年上の少女を名前で呼ぶなど、彼には難しいことだった。だが、彼は覚悟を決める。
『構いませんよ、ルーシーさん』
「ああ、黒月様……。ありがとうございます」
『それと、ルーシーさん。僕は貴女より年下です。様付けはやめてください』
「ああ、申し訳ございません! しかし、貴方の事を呼び捨てで呼ぶわけには……」
『君でもさんでも構いません。それに、敬語もやめてください。これは命令です。僕の事は、ただの男子中学生として扱って下さい』
彼海は少し戸惑う。しかし、命令と言われれば断る訳にはいかない。
(確か、フルネームは黒月浩輝……)
「……分かった。浩輝君」
『なっ……!?』
突然ファーストネームで呼ばれた浩輝は驚愕する。
「その、お気に召しませんでしたか? それでは……」
『い、いや、それで構いません。わがままを言ったのはこちらです』
「そう……。じゃあ、私は高校生として、中学生のあなた
に命令する。私にも敬語は使わないで。それと、「さん」もいらない。「ルーシー」って呼んで」
『でも、僕は年下ですし……』
狼狽した浩輝は震え声で言う。
「これは命令」
『分かり、いや、分かったよ。ルーシー』
「うん」
彼海は満足したように頷く。
『それじゃあ、高橋さんに代わってくれるかな?』
「うん。さよなら」
彼海はスマートフォンをニヤニヤとしている高橋に渡す。
「モテモテね、黒月君」
『そんなんじゃ有りませんよ。彼女にとって僕は信仰対象みたいなものですし、そもそも彼女は同性愛者です』
「でも、君は違うわよね。ねぇねぇ、ロリ巨乳先輩美少女に「浩輝君」なんて呼ばれてたけど今どんな気持ち?」
『切りますよ』
高橋のからかいを無視して浩輝は告げる。満足した高橋は言う。
「まぁまぁ、そう照れないで。それはともかく黒月君。彼女、世界を壊すって言ってたけど」
『はい、ファントムに世界を壊して欲しいとか何とか言ってたので、自分で壊してみろって言ってみました』
「なるほど、面白そうね。彼女」
『そうですね。では、後の事はよろしくお願いします』
浩輝は電話を切る。高橋がそれを確認すると、初老の男性――霧山隆介が近付いてくるのを見付けた。
「話は聞いていたよ、藤宮君。ウィルシオンには乗るのかい?」
霧山は確認として問う。
「はい、乗ります」
案の定、彼海はそう答えた。
☆
霧山や高橋の説明を受けて、彼海は『ウィルシオン』や『IV』について理解した。
「そして問おう。『三号機・ザガン』と『四号機・ハルファス』、どちらに乗るかい?」
霧山は質問する。彼海は説明を思い出す。
(スピードに特化した『ハルファス』と防御に特化した『ザガン』。『ハルファス』は操縦が難しいらしい。しかし、空中戦を得意とする……)
彼海は二体の巨人を見比べる。
(私は世界を壊す。このふざけた世界を高い所から見下ろして、私を侮辱してきた馬鹿共に鉄槌を食らわせる。だから私は……)
彼海は決意する。
「私は、『ウィルシオン四号機・ハルファス』に乗ります」
霧山は笑う。
「そうか、じゃあすぐに準備をしよう」
「すぐ、ですか?」
彼海は戸惑う。
「まあね。とは言っても今回は戦闘行為は無しだ。ちょっと福音軍基地の日本支部に行って挑発してきて欲しいんだ」
「……それはどういう意図で?」
「福音軍は今、ウィルシオンに対抗するための新型機の開発中でね。だからちょっと煽って欲しいんだ」
「ちょっと煽った位で完成するものなのですか?」
「いや、完成はしないだろうね。でも、とある敵を釣ることは出来る」
「敵というと、先ほど霧山様が仰っていた、倉島大和ですか」
「その通り。後日君には、倉島君の『ウィルシオン一号機・バティン』を倒して貰いたい」
「了解いたしました」
「藤宮さん、こっちに来て」
高橋に呼ばれ、彼海は彼女についていき、とある部屋に入る。
「これがパイロットスーツよ。後でハルファスのコクピットの中ででも着替えてくれる?」
「承知しました」
「それじゃあ、この扉の向こうからハルファスのコクピットに行けるわ」
「はい」
彼海はハルファスのコクピットのハッチを開け、中に入る。そして言われた通りに着替える。その結果、彼女の小柄な体に不釣り合いな大きな胸が強調されているが、現在それを見ている者は存在しない。彼海は呟く。
「ん、きつい」
そして、あらかじめ説明されたようにハルファスを起動させる。目の前のモニターには『Virusion Ⅳ Halphas』と表示される。その直後、彼海が被っている、コクピット内の機械からケーブルが繋がっているヘルメットが光る。
(頭の中にこれの動かし方が流れ込んでくる……)
得体の知れない感覚を、彼海は特に気味悪がる事なく受け入れる。
「起動できました」
彼海はスピーカーによって外にいる高橋に報告する。スピーカーからはボイスチェンジャーによって加工された、機械音声のような声が出た。
「分かったわ、霧山博士!」
「よし、今回はちゃんと発進してもらおう」
霧山はコンピュータを操作し、ハルファスを載せたエレベータが上がる。やがてエレベータはゴエティアの屋上まで上がる。
「準備は出来たわよ。何時でも良いわ」
コクピット内のスピーカーからは高橋の声が彼海の耳に届く。
「了解。ウィルシオン四号機・ハルファス、藤宮彼海。出撃」
ハルファスは高くジャンプし、翼とスラスターによって天空を飛翔する。
「ぐうっ、気持ち悪い。耳も痛い。最悪」
彼海は苦痛に唾を飲みながら顔をしかめる。しかし、その表情にはすぐに笑顔が現れる。
「でも、これが私の力。世界を壊す為の力。私の目的の為ならこの程度の苦痛など対したものではおええええええええ」
彼海は嘔吐する。高速で移動するハルファスのコクピットの中を彼海の吐瀉物は飛び交う。
「うう……気持ち悪い」
彼海は苦悶の表情を浮かべつつも、吐瀉物で汚れたモニターに示されている目的地へと進む。
☆
「いやぁ、いきなりでこれをこの速さで難なく飛ばせるなんて凄いねぇ。パイロットとしての腕は黒月君より上なんじゃないかな」
ハルファスの飛翔を映像で観ながら霧山が感嘆する。それに高橋が答える。
「分かりませんよ。戦闘のセンスなら黒月君もなかなかです」
「それもそうだね。でも、ハルファスに適しているのは確実に藤宮君の方だね」
「そうですね」
高橋は頷く。
「おっと、もう目的地に着いたようだ。始まるよ」
☆
彼海はモニターで地上の様子を見る。そこには多くの人間がいて、自分の方を指差して脅えている者、慌てて走って逃げようとしている者、あるいはスマートフォンのカメラで撮影する者など様々だった。彼海は呟く。
「ここには、私の創造する新たな世界に存在する価値のある者はいるの?」
彼海は少しハルファスの高度をさげる。そして、スピーカーの電源を入れて、宣言する。
「ごきげんよう、皆さん。私はファントムの者です。福音軍の方は新型機の完成に向けて頑張っている様ですね。私は一週間後、改めてここに現れます。そちらの新型機の完成を楽しみにしています。そして、その新型機は私が壊します。二度とファントムに楯突く者が存在しない様にするために。ではまた、一週間後に会いましょう」
それだけ言うと、彼海はゴエティアに帰還する。その後、高橋によって自動車で自宅へと送られた。
「お疲れ様。どうだった? ハルファスは」
高橋は自動車の運転席から問う。車外に出た彼海は答える。
「最悪で、でも最高でした」
「それは良かった」
高橋は満足げに頷く。
「高橋様。本当に私には出来るでしょうか? 世界を壊す事が」
彼海は聞く。その顔には不安の色があった。高橋は笑顔で答える。
「それはあなた次第よ」
「そうですか。高橋様、本日はありがとうございました。浩輝君、霧山様、あなた、他のファントムの方々。私は皆様に感謝しています。ただのゴミだった私は皆様のお陰で変われそうな気がします」
「でも、本当にあなたが変わりたいのならあなた自身が頑張らないとダメよ」
「勿論です」
彼海は笑顔で答える。
「よろしい。それではさようなら、藤宮さん」
「高橋様もお気をつけて」
彼海は深く頭を下げる。それを確認した高橋は自動車を発車させる。高橋を見送った後、彼海は自宅に入る。
「……ただいま」
「遅かったのね」
彼海は呟く。すると、彼女の母親の藤宮花子が迎えた。花子は高校一年生の時に彼海を身籠り、高校を中退した。以後、女手一つで彼海を育ててきた。しかし、彼海はそんな母親の様にはなりたくないと毎日必死に勉強し、県内の県立高校ではトップの常空第一高校に入学した。ちなみに、黒月浩輝の志望校もここである。彼海は学校が終わればすぐに帰宅し、勉強を始めるため、彼女が遅く帰るのは初めてである。現在は午後7時である。花子は水商売の職場に行くため、今まさに家を出ようとしていた所だった。
「あの……お母さん」
彼海の口から出た言葉に花子は驚く。彼海は普段花子を「あなた」と呼び、他人行儀で接している。
「……何」
しかし花子は感情を表に出さずに、不機嫌そうに答える。
「今日、ある人に名前を褒められたの。「海」の「彼方」に行って活躍して欲しいという願いが込められたいい名前だって」
その言葉に、更に花子は驚愕する。彼海は自分の名前を嫌っているため、その名前を話題にする事など無かった。しかも、その名前に込めた意味も当てられている。
(今日この子に何があったの?)
今日、ファントムのロボットが突然現れたというニュースが話題になっていた。現れた場所はこの常空市からは離れた東京だったが、いつまでも帰ってこない為何かに巻き込まれたのではないかと花子は心配していた。実際は巻き込まれたどころか当事者だったのだが。
「お母さん、彼海って名前を付けてくれてありがとう」
突然の娘の変化に、花子は涙を流す。しかしその涙を見せないために顔を背け、仕事に行くために家を出る。
「……行ってくるわ」
その声は涙により上擦っていた。そんな母親の声を聞いて、彼海はもらい泣きした。
☆
浩輝は自宅で、姉が作り置きしていた夕食を食べながらテレビのニュース番組を観ていた。話題は東京に突然現れた『ウィルシオン四号機・ハルファス』の意味深な言葉についてだ。日本政府はハルファスが現れた辺りの住民を一週間以内に避難させる事を決めた。場合によっては関東圏の住民が避難する事になるという事も視野に入れている。 そんなニュースを聞きながら浩輝は考える。
(また姉さんの仕事が増えてしまったな)
浩輝の姉、遥はジャーナリストである。今回の事件について出来るだけ情報を集めるために呼び出されている。
(良い情報源がここにいるんだけどな……。まあ、俺がファントムだということを教えるつもりは無いから情報を提供する事も無いけど)
浩輝は罪悪感を覚えながら、今日の出来事を思い出す。
(今日は色々な事が有ったな。セントが学校に来て、日元奏太や青木孝とかと接触して、セントや森崎百合花と学校から帰ることになって、森崎には謝られて、そして藤宮彼海をファントムに誘った)
食事を終えた浩輝は食器を片付けながら考える。
(それにしても、何で俺は藤宮を誘ったんだろうか。別に自分から接触する必要は無かった。取り合えずデータだけ送って、後は高橋にでも任せれば良かった。それにも関わらず、俺は偉そうな説教じみた事をして、ただの信者だった藤宮を、修羅の道に引きずり込んだ)
そこで彼はあることに気付く。
(そうか、俺は友達が欲しかったんだ。仕事で忙しい姉さんや、何を考えてるか分からない高橋や霧山達とは違う、友達っぽい付き合いをしたとは言え敵であるセントや、俺が散々侮辱した森崎修治の娘、森崎百合花とは違う、本当に信頼できて一緒にいられる友達を。そんな俺の我が儘に、藤宮彼海を巻き込んだ。何がゴミだ。一番のゴミは俺じゃないか)
彼は自己嫌悪する。テレビには依然として、どこか鳥のような雰囲気を持つハルファスが映っている。既に『ガルーダ』というニックネームが付けられていた。
(藤宮彼海はもう戻れない。それなら俺は藤宮を守る。これが俺の使命だ)
浩輝はそれが単なる自己満足であることに気付かぬまま決意し、疲れていた彼はすぐに眠りについた。