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クローズドテスト  作者: hiko8813
1章
9/62

8話 修行という名の

 翌日。宿で朝食を済ませた俺は、ひとりで師匠に会いに行った。


 昨日どうやって寝たのかはあまり覚えていない。夏秋冬(ハルナ)のベッドから離れた場所にソファーを動かして、そこで寝ていた筈なんだが、翌朝ピンクなベッドの上で目を覚ましていたのだ。狐につままれた様な体験だったが、はじめての寝覚めは良好だった。


 隣のベッドで幸せそうに寝ていた彼女には、師匠の所へ行くことを伝えてある。起きた後に俺を探して回るなんてコトはしないはずだ。寝ボケてさえいなければ。

 

 どうやら彼女にもやるべき事があるらしい。レベル上げは午後からという提案はあっさり認められていた。

 

 後は、目の前の師匠から許可を貰うだけだ。


「で、そのカワイコちゃんと二人でデートに行くから修行は午前中にしてほしい、と」

「そうなんですけど……デートとは違うんですけど、ダメですか?」


 師匠は俺の問いかけに答えることなく沈黙している。身体が何故かワナワナと震えている気がする。ひょっとして時間外労働とか絶対にしたくないタイプなんだろうか。


 そんな風に思考が脱線していたら、ものすごい勢いで怒鳴り散らされてしまった。


「バカヤロウ! ハナタレ小僧に気合入れて一端の男にしてやろうってのに、先に色気づくとはどうなってやがる!? 羨ましいぞコンチクショウ!」


 そんなことを言われても返事に困る。つくづく人間臭いNPCだ。

 

「で、カワイコちゃんの前で恥をかきたくないから早く戦闘の心得を教えろと?」

「はい」

「べらんめえ! いい度胸じゃねえか! こうなったらスパルタでやってやらァ!」


 なぜか江戸っ子になった師匠の青い瞳が怪しく輝く。


 体格は決して大きくないのに、その迫力は獣のようだ。恐らく、いや、間違いなく草原のモンスターよりも怖いだろう。


 つまり、この迫力に慣れればモンスターを恐れることも無くなるはずだ。レベル上げもサクサク進むだろう。


「マラソンは終わってるんだろうな?」

「はい。今日のタイムは55分でした」


 最初から飛ばしていたのにこのタイムだ。我ながらかなり遅いと思う。

 

 師匠いわく、このマラソンは体に力を入れる動作の練習にもなるらしい。現実の体とアバターとでは身長も体格も異なるので、アバターに慣れないうちはどうしても意識と動作にズレが生じる。このゲームに限った現象ではないが、ズレが大きな影響を及ぼすらしく、できるだけ早く修正する必要があるのだそうだ。

 

 ちなみに、マラソンにはスタミナアップ効果がちゃんとある。レベル上げのみが能力アップに繋がる訳ではないということだ。


「ふん、今はそんな所か。最終的な目標は5分以内だがな」

「5分!?」


 4kmを5分で走るということは、平均時速48km/hなんですが。

 

「それくらい軽くこなせる能力がないと、あの悪竜は倒せないぜ。ま、初心者らしくこの町の中で震えているなら必要ないがな」


 挑発してくるNPCとはなかなか斬新だ。


「努力します。それで、早く今日のメニューを開始して欲しいのですが」

「おうおう、昨日とはやる気が段違いだなエロ助」

「アキトです」

「はっはっは、可愛げのない野郎だ。いいだろう、体で覚えやがれ!」


 師匠が言い終わったとほぼ同時に、俺の体は宙に浮いていた。


「――え?」


 あまりに突然で、受身を取るなんて考えすら浮かばなかった。吹き飛ばされた俺は激しく床に叩きつけられて、そこでようやく殴られたことを理解した。


「どうしたエロ助。反応くらいしてみせろ!」


 床の上で仰向けになっている俺の視界に足の裏が飛び込んでくる。咄嗟に床を転がって何とか踏みつけは回避したが、その先に回りこんでいた師匠から強烈なサッカーボールキックが飛んできた。避けられず、部屋の壁に叩きつけられてしまう。


「……あれ、あんまり痛くない」


 体を蹴られたり激しく背中を打ち付けた筈なのに、覚悟していた程の衝撃がこない。どうやら痛みがそのまま再現される訳ではないらしい。ちゃんと痛みを感じるから、辛いことには変わりないが。


「ワシは優しいからな。本気出したらお前は最初の一撃でゲームオーバーだ。いいか、この状況でワシから10秒逃げ切ってみせろ。それができたら今日は終わりだ。クリアできたら、草原のモンスター程度が相手なら余裕でオトリ役ができるだろうよ」


 10秒。目で追えない速度で動く相手から逃げる時間としては、あまりにも長い。まだ何も知らない初心者(オレ)がクリアできるような難易度じゃないという予感がヒシヒシとする。

 

 でも、情けない姿を披露してまた独りになる事態は絶対に避けたい。だから、石にかじりついてでもクリアしてやる。


「一撃も貰うなとは言ってねえぞ。今みたいに情けなく這い(つくば)ったらアウトってことだ。避けるなり、ガードするなり、反撃するなり方法は自由。根性でも何でもいいから10秒の間耐えて見せろ。いいな?」


「わかりました」

「いいや、まるでわかってねえな」


 立ち上がった途端、目の前にいた筈の相手が真横から語りかけてくる。それを認識したときにはもう遅かった。


「早く立て。お前が立った時点でカウントスタートだ。制限時間は12:00までにしてやる。そうそう、ギブアップはいつでも受け付けてやるから安心しろ。再挑戦はできないがな」


 吹き飛ばされ、地面に思い切り激突したせいで脳が揺れる。

 

 頭を振って、奥歯を思い切り噛み締めて立ち上がった。

 

 

 * * *

 

 

「カウントリセットだ」

「……ッ、」

 

 情けなく床に転がった俺に、また宣告が下る。

 

 この時点で、開始から20回以上吹き飛ばされていた。本当なら骨の一本くらいは折れているくらいの衝撃だが、優しい師匠(・・・・・)のお陰でまだまだ頑張れそうだ。

 

 しかし、まだ一度も反応できていない。


「どうした、そろそろ降参か?」

「まだ昼まで2時間は残っています。ギブアップなんてしません」

「ハッ、威勢だけで強くなれるほど世間は甘くねえぞ。カウントスタートだ」


 確かに、闇雲に立ち向かっても同じことの繰り返しだ。避けようとする前に攻撃を食らってしまっている現状、見てから反応することは不可能。ならば、相手の動きを予測するしかない。


 攻撃パターンはさほど多くない。視線と体の動きから見極めれば――


 ――右だ!


 床を踏みしめる音と共に師匠の掌が伸びてくる。それを予測(偶然だが)できた俺は、腹と脚に力を入れて何とか耐えようとする。


 しかし無駄だった。強烈な右腕の一撃にバランスを崩されてしまう。完全な無防備になる。

 

「……お、そう来たか」


 全く余裕がない俺を見て、師匠は動かずただ獰猛に笑っていた。その気になれば幾らでも追撃を叩き込めた筈なのに、あえて見逃したらしい。

 

「あと5秒だ」


 体勢を立て直して目の奥に力を入れる。全身の力は抜く。相手の動きを予測して、即座に行動すれば何とかなる。

 

「わかってねえな。全然ダメだ。奇跡に期待するようじゃ命が幾らあっても足りないぜ?」


 その言葉を聞いたのは、回し蹴りをまともに受けて転ばされた後のこと。


 予備動作も何も無く攻撃をしてきたのだ。これでは動作予測なんてできない。天井を仰ぐ俺の耳に、またカウントリセットの宣告が入ってきた。




 とんでもない爺さんだ。


 圧倒的な力の差を見せられて、悔しさよりも先に感心してしまう。こんな経験はリアルでできるものじゃない。


「ほう、ここで笑うとは生意気なエロ助だ」

「アキトですってば」

「うるせえ! 名前を呼んで欲しければクリアしてみせろ!」


 ごもっともだ。どうやら目で見て反応する方法や、動きを予測する方法は間違いらしい。


 となると、俺に残っている手段は一つしかない。昨日体験した超感覚に頼るのだ。

 

「お?」


 俺は大きく息を吸って立ち上がり、そのまま両目をそっと閉じた。

 



 何も見えない世界の中で、黒い染みを探す。まだ全然慣れていないせいか殆ど形がハッキリしないが、前方に薄い墨の塊がゆらゆらと揺れているのを感じる。

 

 これか?

 

「正解だ。見ているだけでは意味ないがな」


 師匠が言葉を発すると、目の前の染みがハッキリ黒く色をつけて波打つように揺れた。


「わかってます」

「だったら、結果を出してみせるんだな」


 ぼんやりとヒトの形をした墨がこちらに向かってくる。動画をコマ送りしているみたいに、一瞬ごとに大きく動く墨をちゃんと認識できている。


「……あ」


 しかし、動く墨のカタチはまるで霧のようにボンヤリしている。位置はわかっても、相手がどんな動きをしているかがまるで解らない。


 こんな状態ではまだ目を開けていたほうがマシだった。相手の接近は知覚できるものの、それからどんな風に俺を攻撃してくるのかが見えていない。


「一度でモノにしようだなんざ、傲慢にも程があるぜ」


 その言葉とともに背後に強烈な衝撃を感じる。


 俺は何もできないまま吹き飛ばされた。



 * * *



「ハァッ、ハァッ……」


 極度の緊張で息が荒くなっている。


 あれから、何度吹き飛ばされたか数える気も起きないほどの失敗を積み重ねた。現在時刻は11:50を過ぎたところ。もうすぐタイムリミットが来てしまう。


 濡れ紙に落ちた墨のようにボンヤリとしていた輪郭は、未だにハッキリ見えない。残り時間はもう少ない。チャレンジできる回数は多くて3回だろう。


 いや、失敗しても良いなんて考えではダメだ。これがラストチャンスだと思うべきだ。


「ギブアップしなかった根性だけは褒めてやるが、さすがに無理だったな」

「まだ終わってません」

「生意気を言う余裕があるなら、その足りない頭で何が駄目なのかを考えろ」


 何だ。何が足りないんだ。


 恐らく、コツのようなものがある筈だ。目を瞑ったまま相手の姿を鮮明に知覚する、その方法に辿りつく為にはどうしたらいいんだ。


 不甲斐ない自分が腹立たしい。目の前の相手を睨んだまま幾ら考えてもわからない。


「あと5秒」


 その言葉はまるで死刑宣告のようで、俺は怯えるように目を閉じる。何もない空間に墨のような影が浮かんで――いない。



 何だ、これは。



 あまりの変化に混乱する。目を瞑ったはずなのに、ボンヤリとしていた影の輪郭がハッキリしている。おまけに、目を開けている時のように色までついているのだ。


 何もない空間に師匠だけが浮かんでいるように見える。


 どうなっているのか理解が追いつかない。ただ解るのは、師匠が笑っているという事と、まっすぐこちらへ近づいているという事。


 師匠が前方から近づいてくる。そのスピードが、かなりゆっくりに感じる。


 目の前で進行方向を変え、俺の真横へと跳躍したことを知覚する。


 身体が沈んでいく。


 右足が徐々に伸びて、俺の右足を狩り取ろうとしているのがわかる。


 これなら、ジャンプすれば避けられる――


「――よしっ!」


 興奮して目を開けると、ゆっくり動いていた世界が速度を取り戻す。俺の爪先を掠めた足が猛烈な勢いで通り過ぎていった。


「ケッ、つくづく生意気な野郎だ」


 必死にジャンプして師匠の一撃を避けた。それだけで満足してしまった。そんな俺の背中に師匠が飛び乗る。背中を踏まれ、両腕をガッチリとホールドされて身動きが取れなくなる。そして、そのまま頭から重力に従って落下していく。


 あ、やばい。


 このまま地面に頭を叩きつけられたら絶対に痛い。痛いじゃすまないかもしれない。

 

「ちょっ、待って、止めて師匠」

「やかましい。リア充に人権など認めん」

「はい!?」


 古びた木目の床が一瞬ごとに近づいてくる。これ本気で死んじゃう――


《――サブクエスト【戦闘の極意:其の一】クリア。おめでとうございます、アキト様》


 地面に叩きつけられる寸前、どこか機械的な女性の声が聞こえた。ほぼ同時にぐるんと体が回って空中に投げ出される。


「ふん、先にタイムリミットが来やがったか。やるじゃねえか、アキト」

 

 頭が割れるのを覚悟していた俺は、なぜか両足で床に立っていた。

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