7話 宿屋にて
「お客さん、今夜はお楽しみですか?」
「えへへ、やだもうおじさんったら。ほらアキト君、行こう?」
「……これ、運営に苦情言った方が良いんじゃないですか?」
一生に一度言われるかどうかというセリフを宿屋のオヤジに言われたんだが、このゲーム大丈夫なんだろうか。
ニタニタ笑いのオヤジから目を逸らして階段を上っていく。宿屋の内部は床が板張りになっていて、歩くと小さく軋む音がする。山へキャンプに出かけた時に泊まったログハウスを思い出す内装だ。木の色が目立つシンプルな造りになっていて、とても落ち着いた雰囲気だった。
この宿屋はそれなりに大きいが、それでも1000人近くのプレイヤー全員が部屋を取るには狭くないだろうか。宿屋は東西南北の大通りに一軒ずつあるが、それでも足りない気がする。
「宿に全員泊まるのは無理じゃないですか?」
「わたしも最初は不思議に思っていたんだけどね、これを見れば納得すると思うよ」
夏秋冬が指し示した先には宿屋内の案内図があった。そこには何故か20階まであると書かれていて、部屋数は200を超えていた。
「ね? これだけ部屋があれば満室にはならないと思うよ。たぶん他の宿も同じだし」
そんなことを言われても、この宿屋は2階建てだ。階段を上った先は寂れたロビーみたいに閑散としていて、やたら大きな扉が5つほど並んでいるだけだ。
「どういうことですか? 部屋が5つしかないように見えますけど」
「違うよ、これはエレベーターみたいな物なんだって。見ててよ」
言いながら夏秋冬は扉の脇にあったボタンをポチポチと押す。すると扉が淡く発光して『チン』とレンジみたいな音が鳴った。
「ここを抜けると、わたし達の部屋なんだよ。ほら、行こう?」
扉が羽を広げるように開くと、そこには淡い光の幕が待っていた。夏秋冬は迷うことなくその先へ飛び込んでいく。一瞬ためらったが、俺も慌てて後を追った。
* * *
光の幕の先は、今までのログハウスっぽい内装からは想像もできない空間だった。
「わー! やっぱり良いよねこの部屋! とってもファンシーかつキュートかつベリーグッドな感じだよ!」
夏秋冬の評価はよくわからないが、そこは確かに広々としていて豪華で一続きな部屋だった。
二人で使ったとしても十分スペースが余るくらい広い。内装は薄いピンク色がかなり多いが、幸い目が痛くなるような色合いではない。備え付けの家具はまさに高級な西洋ホテルのようで、目の前に居座っているソファーだけでも俺のバイト代じゃ絶対に買えないだろう。ピンク色だから、タダでくれるって言われても断るが。
白色のローブを着ている彼女はともかく、全身が黒っぽい俺は明らかに浮いている。
しかし、そんなことはまるで気に留めずに、夏秋冬はハイテンションで部屋を探索して回っていた。
「凄いよね、こんな豪華な部屋がゲーム内で借りられちゃうんだから。このゲームが一般解放されたらリアルの旅行業界が悲鳴を上げちゃうかも」
確かに、この部屋は凄く豪華だ。ただでさえ現代の旅行業界は元気が無いのに、これだけリアルなゲームで遊べるようになると本格的に危ないかもしれない。
「わ! ベッドだよアキト君! 二つ並んでるよ! フリルたっぷりだよ!」
そうですね、としか答えられない自分は、たぶん情けない男の部類に入ると思う。
「うわー! こっちに来てよアキト君!」
ちょっと目を離したスキに彼女は部屋の外へと飛び出していた。
呼ばれるままに外に出てみると、大きな岩や砂利、綺麗に整えられた樹木が並んでいる純日本風の庭がそこにはあった。
庭の中心あたりは少し高くなっていて、岩が丸い円を描くように並んでいる。内側に張られている湯は灯りの光を反射してキラキラと輝いていた。
「露天風呂! 露天風呂だよ! ろーてーんーぶーろー!!」
庭ではしゃぐ夏秋冬はまるで子犬みたいだ。子犬のワルツを作ったショパンの気持ちが少しだけわかるような気がする。
「一体どうなってるんですか? この風景、町の上空に浮かんでいるみたいなんですけど」
庭の端から外を見渡すと、赤い屋根が並ぶ風景が眼下に広がっていた。空を見上げれば満天の星空が俺たちを見下ろしている。
「細かいことは良いんだよ! ゲームだからだよ! そんなコトよりわたし早速入浴ってみても良いかな? 良いよね? 良いでしょ? おっけー?」
「……おっけーですけど、溺れないで下さいよ」
「子供じゃないよ! その心配はむしろ失礼だよ!」
ならいいんだけど。見た目も行動もまるっきり子供だから何だか心配になってきた。
「一緒に入る?」
「入りません」
* * *
この世界は6のエリアとひとつの町で形成されている。
町とは、いま俺が滞在しているイジーヌのことだ。まだ入れない施設のほうが多いが、ここはプレイヤーの拠点となる重要な町だ。
そして、エリアは以下の通り。
・駆け出し者の草原
・青の渓流
・命の森
・銀の砂漠
・英霊の領地
・悪竜の巣
イジーヌの周辺には駆け出し者の草原|(通称【草原】)が広がっており、東西南北それぞれに向かって進むと別のエリアに繋がっている。
東は青の渓流
西は命の森
南は銀の砂漠
北は英霊の領地
そして、英霊の領地をさらに北へ抜けた先に悪竜の巣がある。ここに棲む悪竜を倒すことがプレイヤー最大の目的だ。
各エリアは地続きになっているので、すべて徒歩で移動可能だ。ただし、最初から探索可能なエリアは草原のみ。他のエリアは各プレイヤーが条件を満たすまで攻略できないようになっている。未確認情報だが、条件を満たしていないエリアへ進むと酷い目に遭うらしい。
条件とは、各エリアに生息する特別なモンスター|(通称【ネイムド】)を撃破すること。
名前・生息場所・容姿・行動パターンなど全てが謎に包まれているが、このゲームをクリアするならば、ネイムドは避けて通れないモンスターだ。
ネイムドは他のモンスターに比べて遥かに強力なので、撃破する為にはプレイヤーも相応に強くなる必要がある。有体に言えば、せっせとレベル上げしなければならないのだ。
「あ、アキト君。マニュアルなんて見てるの?」
背後からの声に振り向くと、露天風呂から帰ってきた夏秋冬はクマのぬいぐるみになっていた。これが彼女のパジャマらしい。顔がほんのり桜色になっていて、かすかに湯気が立ち上っている。
「はい。まだちゃんと覚えていないことがありますから」
真面目だねー、と微笑んでいる。そんな彼女に、草原でどれくらいレベルを上げる予定なのかを聞いてみた。
「草原のネイムドがどれほど強いか不明だから、何レベルまで上るべきかも手探り状態なんだけどね」
当面の目標として、夏秋冬は回復スキルを覚えることを目標にしているらしい。
「みんな情報を出したがらないから他のMMORPGでの経験則になっちゃうんだけど、とりあえずレベル5くらいまで上げれば回復スキルを覚えられると思うの。そうなれば、もっと安全に長時間探索できるから、攻略スピードも上がるはずだよ」
ゲーム開始時に選べる8つの系統の中に明確な回復職はいない。これはプレイヤー間で問題視されているらしく、意見報告用の掲示板にも結構な数の意見が送られている。そういえば開始直後に道具屋がものすごく混雑していたが、誰も回復スキルを持っていないのなら無理もない話だ。
「【銀細工師】系なら回復スキルを覚えるだろうと思うんだけど、ひょっとしたら【天使】系かもしれないんだ。そうなるとちょっと困るかも」
弱いモンスターから受けるダメージは微々たる物だから、無茶しない限り死んでしまうことはない。しかし、攻撃力の高いモンスターが相手だと、どうしても回復手段を整えておく必要がある。道具屋で販売されている回復アイテムは割高に設定されているので乱用できないのだ。
「どうあれ、明日から当面はレベルを上げるんですね」
「うん。回復スキルを覚えられたら文句無しだね。ラーメン屋さんでも言ったけど、わたし体力も防御力もヒドイから単独でレベルを上げるのが凄く難しいんだ。アキト君が一緒になってくれて本当に助かったよ。ありがとね」
感謝したいのは俺も同じだ。
「俺も困っていたんです。こういうゲームは経験ないから勝手がわからないし、誰も初心者の相手なんてしてくれなくて。だから本当に助かります」
「そっか、うん。一緒に頑張ろうね!」
どちらからともなく手を差し出してしっかり握る。子供みたいに小さな手は、俺の手を強く強く握り返してきた。
「さ! 作戦会議も終わったし、アキト君もお風呂入ってきなよ。気持ちいーよ! 最高だよ!」
お風呂あがりの夏秋冬からは甘い匂いが漂っている。よほど気に入ったのか、その表情はとても幸せそうだった。
これはゲームだから汗を流さなくても汗臭くならないけれど、ゲームの中での入浴には興味がある。どんな感覚なんだろう。
「まるで現実みたいな感覚、いや、それ以上だったよ。温泉の成分が体の中に染み込んでぽわぽわするっていうか。あー、もう一度入っちゃおうかなー」
1時間以上楽しんでいたのに、まだ飽きていないらしい。
「……俺これから入りますから、いきなり露天風呂に乱入してこないで下さいよ」
「えへへ、嬉しいくせにー。本当に乱入してあげよっか?」
「駄目ですってば」
運営からレッドカード叩きつけられるのは多分俺だから、それは勘弁してください。