6話 宿屋に行こう
「あー、美味しかった! この白鳳亭ってお店なかなかやるね! 今度は別のラーメンも食べてみない?」
「そうですね。今度はこってり系も試してみたいです」
食事を堪能してにこにこ笑っていた夏秋冬は、何故かいきなり不満顔になった。
「どうしました?」
「それだよ、その言葉遣い」
「あれ、何か失礼なこと言いましたか。すみません」
「違うよ、丁寧すぎるんだよ。せっかくフレ登録したんだし、普通の喋り方してよ」
と言われても、これが俺の普通なのだ。口に出すときは丁寧語になってしまうので、もう癖みたいなものだ。あまり良くないとは思っているのだけど。
「せっかくゲームで別の人間になれてるんだよ? 普段の自分なんて忘れてキャラになりきってみるのも楽しいよ?」
「そういうものなんですか」
「う、まだ丁寧語だし……わたしの事嫌い?」
「いやいや! そんなことは無いです……無いけど」
そうとう弱った顔をしていたらしい。夏秋冬は「困らせちゃったかな」と笑った。
「もちろん強制はしないけどね。アキト君が丁寧語で喋ると、なんだか切れ者執事っぽく見えないこともないし。メガネとタキシードを着てみたら似合いそう」
そんな衣装もひょっとしたら存在するだろうか。獣耳や妖精の羽が生えたキャラクターが普通にその辺を歩いているのだから、何があろうと不思議じゃない。
「アキト君が執事ならわたしはお嬢様? あ、それイイかも」
「このゲームって宿はどうなってるんですか?」
「無視しないでよ! 話の転換が強引過ぎるよ!」
「いや、話に付き合っていたら長くなりそうだったんで」
「むう、ドS系執事とはアキト君やるじゃない。わたしはどんなキャラでいくべきか」
いかん、またよくわからない話が始まってしまう。この子の常時ハイテンションに応えていたら宿が取れなくなってしまいかねない。
そう思って急ごうと促してみたのだが、夏秋冬はまるで心配していないようだ。
「んー? 大丈夫だよ。さすがに野宿を強制するような鬼畜仕様はありえないから。というか、わたしが既に押さえてあるから問題なっしんぐ!」
「や、夏秋冬さんは大丈夫でも俺が野宿になっちゃいますよ」
「どうして? 一緒に泊まれば良いじゃない」
「なんですと!?」
まるで当然のように言われて変な声を出してしまった。いくらゲームだからってそういうのはマズいと思うんだ。
あ、いや。これがゲームだということは、この子が女の子だとは限らないのか。
「夏秋冬さんって、ひょっとしてオカマ的な人ですか?」
ぽろっと口に出した途端、丸い目を三角にして睨まれてしまった。もしも可能ならグーで殴られていたかもしれない。
「わたしはちゃんとリアルも女だよ! そもそもこのゲームを開始した時に性別の設定なんて無かったでしょ? 自動判別されちゃうから詐称なんてできないと思うよ」
なるほど、確かに性別を申告した記憶は無い。
……それじゃ尚更同部屋で過ごすなんてダメじゃないか。
「うに? どうしてそんなに赤くなってるの?」
「いや、だって女の子と同室になるのはマズイですよね」
言うまでも無いことをいちいち説明するのは何だか気恥ずかしい。しかし彼女は少しも気にした素振りを見せずに、ちょっとイタズラっぽく笑った。
「あ、少しむっつりな顔してる。えへへ、残念だけどえっちなコトはできないよ。ゲームシステム上で禁止されてるからね」
「あ、なるほど……って、そんなのはあまり関係ないと思いませんか?」
「ちゃんとベッドは別々だし、アキト君は嫌がることをするような人には見えないから平気だよ。わたしのお願いを聞いてパーティーを組んでくれるんだし、宿代くらい奢らせてよ」
あまり無駄遣いしたらクリアできた時に勿体無いしね、と笑うけれど、100円にも満たない金額をケチっても大して違いは無いはずだ。
……まさか。
「ひょっとして、俺を襲う気ですか?」
「うぉい!? その返しはさすがに予想外デスよ!? こんな可憐な女の子がそんな事する訳ないでしょーが!!」
若干ひっかかる台詞があった気がするけど、今はスルーしておこう。
「だってもう他に可能性が思いつかないですから」
「アキト君はもう少し人を信用することを覚えたほうが良いよ。大丈夫だって、ゲームの中での犯罪行為は大抵一発レッドカードでサヨウナラーになっちゃうから」
「いや、でも――」
「うー! いいから黙ってふぉろーみー!! おーけー?」
小さい身体を精一杯伸ばして両腕を高く掲げる。
その剣幕に負けて、結局彼女の後をついていくことになった。
* * *
夏秋冬が予約した宿は東大通り沿いにあるらしい。
俺たちは宿へ向かう為に、白鳳亭が面している西大通りを東へと歩いていく。まだ19:00を回ったばかりなので客を呼び込む声は未だに大きい。続々と冒険から帰ってくるプレイヤー達は次々と色んな店へと消えていく。
そんな喧騒とは別に、通り道である中央広場からざわついた気配が漂ってきた。
「何か騒がしいですね」
「うん……あ、見てよアキト君。いま10人くらいが一気に死んじゃったみたいだね」
「え!?」
突然物騒な単語が聞こえてきて驚いた。しかし夏秋冬は当たり前のように続きを喋る。
「18:00からはもう夜だからね。粘ってレベル上げしていた人が負けちゃったんじゃないかな。夜に出るモンスターはかなり強いって話だから」
「し、死んじゃっても平気なんですか?」
「ゲームだもん。ディスプレイで遊ぶRPGだって勇者とかバンバン死んじゃうけど教会で復活するでしょ? あんな感じだよ」
どんな感じだ。復活するときに神父の祈りでも聞こえるのだろうか。
「死んじゃうと、今みたいに中央広場の砂時計の近くで復活するみたいだね」
「そんなアッサリ死ぬとか言いますけど、平気なんですか?」
主に痛さとか。トラウマになったりしないのだろうか。
「平気じゃないよ。レベルは下がっちゃうし、所持金は激減しちゃうし、アイテムだって落としちゃうみたいだから痛いよね。死なないように注意しないとね」
何だか論点がズレている気がする。俺は痛みとか精神的ショックを心配しているのに夏秋冬はゲーム攻略の観点から心配しているらしい。でも、彼女のような考えがここでは当たり前なんだろう。
カルチャーショックを受けながら、チョコチョコと先を歩く小さな背中についていく。これから宿の中で明日の作戦会議をすることになっているのだ。
「あの宿が一番可愛いかったんだよねー。きっとアキト君も気に入ると思うよ」
「可愛いって、俺そんな趣味は無いですよ」
彼女のような容姿なら可愛い部屋もさぞ似合うだろうが、俺が使うとただの変態にしか見えない気がする。通報されたらどうしよう。
「まーまー、見たらきっと気に入ってくれると思うよ。部屋の中フリフリカーテンとか満載だし内装はピンクで統一してあるからすんごく可愛いしね……ってアキト君? 聞いてる?」
「あ、ちょっと魂が抜けてました」
「もう、ちゃんと聞いててよ。それでね、お風呂も露天だからきっと気持ち良いよ」
夏秋冬の言葉が耳から抜けていく。
俺の視線は、街灯に照らされて輝く金の髪と青い瞳に吸い寄せられて固まっていた。
……あんな所で何をやってるんだろう。ひょっとしてまだ友達を探しているんだろうか。
雪羽は少し離れた砂時計の塔付近で、まるで誰かを待つように立っていた。時折周囲に視線を彷徨わせているが、目的のものを見つけた様子は無い。勝気な瞳が印象的な彼女だが、今はどこか寂しそうだった。
声をかけてみようかと思ったが、きっと俺は彼女の足手まといにしかならないんだろう。そう思うと、たまらなく自分が情けなくなる。
「――アキト君? どうしたの?」
「何でもないです。早く宿に行きましょう」
「んに? さっきまであんなに渋っていたのにどうしたの? あ、まさか露天風呂でこのロリボディを視姦しようと思ってるとか。つるぺた好き?」
誰がですか。
「違います。明日の作戦をちゃんと立てておきたいと思っただけです」
「なんだか声が硬いけど……何かあったの?」
「夏秋冬さんは何も悪くないです。俺の方こそすみません」
雪羽の視界に入らないように背を向ける。まだ不思議そうな顔をしている夏秋冬の背中を押して、宿へと急ぐことにした。